いや、スポティファイじゃなくてもいいんだけど、スポティファイは無料プランがあるじゃないですか。他のサブスク使ってる人も、取りあえずスポティファイのアカウント持っておけば便利かと思うんですよ。
・Cartola『Verde Que Te Quero Rosa』
サンバの大御所カルトーラ、70歳前のサードアルバム。サンバっていうと、サンバホイッスルがピーピピ鳴ってやたらアッパーなのか、マツケンサンバみたいなのしか浮かばない人も多いと思うが、そんな人にこそ聴いてほしい。サンバってそうじゃなくて、こういうのなんですよ。
・アート・リンゼイ『Prize』
アート・リンゼイっていうとギターがギャギャギャとノイズを奏でボーカルは絶叫、みたいのしか浮かばない人も多いと思うが、そればっかりじゃないんですよ。聴けば聴くほど味わい深いスルメアルバムなのでぜひ。
・湯川潮音『灰色とわたし』
インディーズ時代の『逆上がりの国』が1番好きなんだけどスポティファイにないので、次点のこれを。
・Keith Leblanc『Major Malfunction』
キース・ルブランと80年代後半のもろもろというエントリーで紹介したアルバムが、まるっと聴けます。
・スーパー戦隊シリーズテーマソングコレクションVol.8
これは聴いてほしいというか、お好きな方には嬉しいアレで。
俺の主張を聴けという「俺の歌」が一方にあって、コミュニティーの歌である「みんなの歌」がもう一方にある。
アニソン・特ソンもわりと「みんなの歌」で。少なくとも観てた世代が繋がれる。大事なものだと思うんですよ。
まあでも、もともと曲自体を聴く傾向があるので、つまんない曲はつまんないと思うんで、作品の人気が高ければアニソンの人気も高いのが納得いかなくてもやもやすることもある。例えば『残酷な天使のテーゼ』が私は嫌いなんですよ。あと、なんか普通のJ-Popで全然アニソンじゃないのもありますな。
大体のアニソン・特ソンは、ちゃんと曲作れる人が作って、ちゃんと歌える人が歌って、クオリティー保ってる。サブスクでも聴きやすいかたちに整理してどんどん上げてくれるといいんだけど。と、いう意味で入れてみました。
お客様は素人です
ローソンPBのデザインがこじゃれててわかりにくいと不評だ。俺も実際店頭で見てなんだこれと思った。「客の立場から」文句を言うのは全然いい。逆に絶賛したければしてもいい。
しかし我々はコンビニの運営に関わっていないし、デザイナーでもない。その道のプロではない。
プロはそれを成し遂げるノウハウを持っている。経験の蓄積がある。実際にメシを食っている。
そのプロに対して「作り手・送り手の立場から」文句を言うのはまるで意味がない。「あなたはこうすべきだった」とか、「わたしならこうする」とかだ。
立場を逆にして考えてみればいい。自分はなにか仕事をしている。その仕事をまったくしたことがない人からの、作り手の側に立ったアドバイスに、耳を傾ける気になるか。「じゃあ、お前がやってみろよ」で終わりだ。
今回のローソンに関して、仮に失敗だったとしても、マーケティングについて、ただの客の俺よりもローソンの人間の方がはるかに詳しいし、デザインに関しても俺より佐藤氏の方がはるかに詳しい。知識があるだけじゃなく、かたちにする力がある。どちらに関しても向こうがプロ、こちらは素人、当たり前だ。
作り手・送り手は、作り出し、送り出すための手段を知っている。しかし受け手ではない。受け手がどう捕らえるか、経験上ある程度予測がついても、完全にはわからない。受け手の立場に立って考えてるつもりでもバイアスがかかったり、自分の趣味が出てしまったりする。「客の立場から」の意見は貴重だ。だから雑誌にアンケートハガキが付いている。我々が言うべきことは、「作り手の立場に立った客観的な」意見なんかじゃなく、個々の受け手の意見だ。「俺は、客のひとりとして、こう受け止めた」ということだ。
これは何に対しても同じだ。
俺の音楽の聴き方の偏屈さ
大阪のベッドタウンに住んでいたので、輸入盤屋というのは少し遠い存在だった。そんななかでも輸入盤に触れる機会をくれたのが新星堂だった。クレプスキュールなどの輸入盤を細野さんたちの推薦文付で売ってたりしてた。
あと茨木市駅前に『親指ピアノ』というレンタルレコード屋があって、郊外の店なのにニューウェイブをガンガン入れててありがたかった。
こと音楽に関していえば、’80年代は’78年頃から始まっている。YMOの1st.だって’78年だし。区切りがこの辺にある。
ワイヤーは「ロックでなければなんでもいい」と言った。ニューウェイブの文脈の一部では、ロックはかっこ悪いものだった。
ニューウェイブはなんでもありだった。なんでもありだから、なんでもあったけど、全体としては音楽に対する取り組みがあった。既存のスタイルに疑いを持って、なんか新しいことをしようとしていた。その結果できたものが、演奏技術や構成が未熟で、今となってはつまらないものだったとしても。
’70年代末にはもうひとつ動きがあった。ヒップホップだ。ラップというスタイルが出てきた。歌わない。ただしゃべってるだけではなくリズムに乗せてはいるが、歌が持つ力を捨てていた。ここで、「じゃあ歌ってなに?」って疑問が出てくる。朗々と歌い上げるスタイルが、テクニカルなギターのように、型にはまったうさん臭いものに感じてくる。歌というものをもう一度考え直させるものがあった。
若い内は自意識過剰なので、アーティストの自意識過剰にも共鳴できた。が、年を取るにつれどうでもよくなる。それで興味は「俺の歌」じゃなく、コミュニティーの歌、「みんなの歌」へ向かう。一例が古いサンバだったり。サンバ大好き。
新曲でなくていい。いい曲は何人が何度やってもいい。サンディーが歌謡曲を、細野さんが古いR&Bなんかをカバーしたりするのは良いと思うし楽しい。
こんなふうに音楽を聴いてきたので、未だに音楽には「取り組み」を求めてしまう。そして俺にはロックの素養がない。単にキャッチーな曲、オシャレな曲にも反感を持つ。「いい歌」に対して身構える。
どこかで聴いたような「新しい俺の歌」はいらない。
ヒトの行動原理
そういう些末なものもあるが、もっとその人の根本・人格に関わる行動原理が見えてしまうことがある。「あなたの行動原理はこんな風なんだよ」と本人に言えば、イヤな顔をされるだろう。的外れなことを言ってたら腹立つし、逆に心当たりがあれば、あればあるほど頭にくるだろう。どっちにしても言われたくない話だ。
見えてしまった俺は当然それを正解だと思っているのだが、本当にそうかはわからない。本人にも言えなし、言ったところで通じるかもわからないので確かめようはない。でも俺は正解だと思っている。
で、その行動原理どおりに相手が動くと、気味が悪く、なんともいえない気持ちになる。自覚なく、合理的でない動きをされるのが、俺は嫌いなのだ。
本人は合理的に動いてるつもりなのだが、俺から見たら違う。あなたには、こういうインプットに対して、こういうアウトプットを返すプログラムがあって、そのとおりに動いていて、それは必ずしも状況に対して合理的であるとは限らない。合理的でなく、かつ俺の意見と食い違うことがあっても、あなたは自分の行動原理に沿って、多くの場合「感情的に」自分の意見を押し通そうとするのだ。
というようなことをこちらとしては言いたいのだが、言われた方はなんのこっちゃまったくわからないだろう。だからさすがにそれは言えない。それで非常にイライラする。
と、書いてきて、おかしいのは俺の方じゃないかという気も膨らんできたんだけど、全然めちゃくちゃな話でもないとは思う。読んでる人には伝わらなかったかもしれないが、書いてちょっとすっきりした。いやまあ、今日ちょっとあったんですよ。ある人の行動パターンが明確に見えちゃってイライラすることが。
当然俺にも単純な行動原理があるはずで、それを指摘されたとき素直に受け止められるかどうかはわからないが、自分が散々それで悩まされてきてるので、いくらかは理解して修正できるんじゃないかと思う。
ctrl+H
初めて買ったパソコンはMSX 2。これでパソコン通信やら、簡単なプログラムやら、タッチタイプやら覚えた。
ワープロソフトも使っていたのだが、8ビットのMSX 2にはかなり重いプログラムだった。もっさり、もっさり動く。そんで、少しでもキータイプを減らすためにコントロール・オペレーションを覚えた。ctrl+Aで行頭移動とか。
かな漢字変換ソフトはMSX-JEだった。このキーアサインに慣れてしまって、Macを買ってもキーアサインをそれ風にカスタマイズしている。かな漢字変換時に、ホームポジションから遠いファンクションキーや、カーソルキーは使わない。文節の区切り直し・移動もコントロールキーを併用してフルキーのみで行う。
そんで、MSXもMacのJISキーボードも、コントロールキーはタブキーの下、ホームポジションに指を置いたとき、小指のすぐ横にある。ずっとこの環境で日本語を打っている。
今の仕事先はデザイン会社なのだがMacではなくウィンドウズだ。コントロールキーは左下にあって、Macのコマンドキーの扱いになる。コマンドキーを小指で押すというのはこれはこれで理にかなっている感じもする。
ただ問題は、ctrl+Hだ。バックスペースをこれでやるクセが付いている。アドビのソフトはこれが効かずイライラする。ウィンドウズはそれ以前に、キー配列の問題で無意識にこれをやるとキャプスキーを押してしまう。俺は打鍵速度はそこそこ速いものの、タイプミスもそこそこ多く、ctrl+Hを多用するのだ。ウィンドウズだとそのたびに変なことになってミスを重ねるのだ。
コマンドキーの代わりをコントロールキーにやらせたうえ、コントロールオペレーションにも使うというのは無理があるように思うんだが、慣れればなんてことないんだろうか。
仕事先では長年使い慣れたキー配列と違う操作を無理矢理行い、家に帰ればそのクセが残ってキー操作を間違い、と、大変ややこしい。
Catalinaを迎えて
19年10月28日現在、Catalinaはなかなかの不調です。
まず、先日のプチアップデートで、「設定アシスタントが完了しない不具合を修正した」とあるが、この不具合、ウチでも出た。これ自体はまあ解決したんだが、修正点はほかにもあるので、アップデートしようとしたら、このインストーラーが途中で止まる。
どうやら、起動してるアプリによって挙動が違うらしい。
例えば、エプソンの各種インストーラーが途中でレインボーカーソルになって使えなかった。サポートにメールしてみると、Catalinaでちゃんと動作したと。動作するって言ってるんだから動作するんだろうなと何度も試して、起動直後ならインストールできることがわかった。
プチアップデートも起動直後に試したりしてるうちに、ようやくできた。
もひとつ。シャットダウンがうまくいかない。アプリがすべて終了し、壁紙だけの状態から動作が止まる。しばらくすると勝手にリスタートする。リスタート直後にシャットダウンするとうまくいく。なんだかなあ。これ、かなり鬱陶しいですよ。もう寝ようと思ってシャットダウンして、動作の行方を見守って、やっぱりダメで、リスタートを待って、もう1回シャットダウンして、動作の行方を見守って。
あとこれは、ほとんどの人には関係ないと思うんだけど、ViennaっていうRSSリーダーを使ってるんだが、まともに動かない。しょうがないからアップデートが来るまでInoreaderを使ってる。
細かいとこだと、ゴミ箱が空にできなかったり、フォルダのアイコンが白紙ファイルのアイコンになってたり、メール着信の音がだいぶ遅れて届いたり。不具合じゃないけどiTunesから分離した「ミュージック」アプリ、使いにくい。
オリンパスOM-4Ti Black
このサイトでは、コニカTC-X、フジカST801について書いた記事に定期的にアクセスがあるのだけど、私がメインで使っていたフィルムカメラは、オリンパスOM-4チタンブラックだ。このカメラが究極のMFカメラだと思っている。その素晴らしさについて書いてみたい。ある程度カメラの知識がないとわかんない話でもあり、オリンパスマニアの独り言でもあるので、多分に通じにくいとは思うが。
今はデジタルのOM-D E-M1を使っていて、フィルムカメラは全部処分してしまったので、画像はカタログに頼ることになる。
MFカメラのおもしろみは、まずピントを自分で合わせること。
もうひとつは露出を自分で合わせること。OM-4はマニュアル露出ではなく、絞り優先AE機だが、「出た目」(露出計の指示どおりの露出)で撮るのなら、マニュアルは単に出た目に合わせてダイアルを自分で回すだけのことで、AEはその手間を省いてくれる便利な機能だ。どちらも大差ない。
OM-4が発売された’83年、マルチパターン測光を採用したニコンFAが出ている。以後、各社これに習い多分割測光を採用していく。「マルチパターン測光」はニコンの呼び名で、「評価測光」がキヤノン。なんにしても、撮影画面をいくつかの領域に分割して測光し、その結果を「評価」して露出を決める。ニコンFAでは5分割に過ぎなかったが、今では何百もの領域に分割して測光。その結果を評価する。アルゴリズムも進歩している。おかげで今では「出た目」で撮っても大した問題がない状態になった。
フォーカスはオートで、露出もオートで。明暗の具合だけは好みなので露出補正をかけて。ミラーレスカメラなら、露出補正のかかり具合もファインダーで確認できる。OM-Dでの撮影はそんな感じで非常に楽に行っている。
と、これは今の話。’80年代に話を戻す。ニコンFAは5分割測光だった。当然十分ではない。OM-4は多分割測光を採用せず、代わりにマルチスポット測光を搭載した。最大8点までのスポット測光の結果を加重平均して露出を決める。
マルチスポット測光には定番の悪口がある。8点も測光したら平均測光と変わらなくなるなど。いや、誰も毎度毎度8点測光しろと言っていない。必要なときに必要な回数測光すればいい。例えば、主となる被写体に2点、ここも重要というところに1点、そういう使い方でいい。
マルチスポット測光の優れているのはメーター表示だ。上はカタログから、ファインダーを覗いた状態の画像。1点スポットしたものだ。OM-4は絞り優先AEなので、メーターにはシャッタースピードが表示されている。この画像の場合、設定した絞り値で顔の部分が適正露出になるシャッタースピードは1/125秒ということになる。
この状態でカメラを振ると、画像ではバーの先端部上にある◆マークがもうひとつ出てきてメーターの左右に動く。露出は1/125秒でロックされ続けているが、カメラを振ってスポット測光範囲を移動させると、その部分の適正シャッタースピードが表示されるのだ。
えーと、ややこしいな。つまり、現在AEロックした露出がある。それはメーターのバーで表されている。この場合1/125秒。この状態でカメラを動かすと、動かした時点のスポット測光範囲の露出が、現在の設定値からどのくらいズレているかが◆マークで一目瞭然なのだ。
例えばこの画像の場合、右上の列車は、女性の顔よりわずかに暗い程度なので、適正範囲で写る。一方で空の部分は顔よりずいぶん明るいので白く飛んでしまう。画面内のどの部分が具体的に何段分明るいのか暗いのか、スポット測光エリアを移動すれば確実にわかってしまうのだ。
こうやって画面を見渡して、必要があれば多重スポット測光を行い、狙いどおりの露出に持っていける。これは人力多分割測光だ。
露出をカメラまかせで決められれば楽だ。現に今はデジカメでそうしている。でも、この時代の分割測光はそれほど精度が良くなかった。まして、今あえてフィルムカメラを使いたいという人は、ピントも露出も自分で操作したいはずだ。露出を確実に自分で決定するという点において、OM-3、OM-4ほど優れたカメラは無いと思う。
読んでわかるとおり、多重スポット測光は面倒くさい。露出がややこしい状況でなければ、普通に中央重点測光で撮ればよい。
OM-3、4には、ハイライト・シャドウモードというのもあった。スポット測光した範囲を真っ白、または真っ黒にするというものだ。具体的にはスポット測光の適正値に対して、ハイライトの場合+2EV、シャドウの場合-2 2/3EVの補正がかかる。これにもトンチキな悪口がある。補正値が固定されているのはおかしいと。自分で決めるものだろうと。しかし、重要な点が抜けている。白、もしくは黒にするのは、スポット測光範囲なのだ。どこを白、または黒にするかは自分で決める。そして、その範囲を白、または黒にする数値は、フィルムのラティチュードによって決まっている。人の感性がどうのという問題ではない。それに完全な真っ白、真っ黒から外したければ、露出補正を併用する手もある。
画像はまたカタログからだが、OM-3、4の軍艦部はスポット測光、ハイライト・シャドウモードを非常に使いやすいレイアウトになっている。
マルチスポットは他社のカメラに採用されたこともあった。しかし、メーター表示が普通だったので活かしにくかった。
ハイライト・シャドウモードはOM-Dにも搭載されている。しかし、即座には呼び出しにくく、説明書にもろくな説明がない。
オートに頼るのではなく、自分でカメラを設定して撮りたい。そういう人にOM-4はおすすめだ。