■丸山宗利『ツノゼミ ありえない虫』買った。
著者のブログ断虫亭日常はいつも写真を楽しみに見させてもらってる。かっこいいんですよね。標本の写真に「かっこいい」っていうのはおかしいのかもしれないけど、どうにもキリッとしてかっこいい。虫以外の写真も面白い。
ツノゼミは「ツノ」の部分が奇怪なかたちになっているものが多い。サブタイトルに「ありえない虫」とあるが、「どうしてこうなった」って感じ。
この本ではバラエティーに富んだツノゼミの姿が、美しい写真で楽しめる。コンパクトなA5判で値段も手頃。紙面もおしゃれな仕上がり。変ではあるけどグロくはないんで、「とにかく虫はダメ」って人以外なら大丈夫だと思う。
左隅に原寸大写真が載ってるのもいい。「わずか数ミリの」と言われてもピンと来ないが、写真で見ると「こんな小っちゃいんだ!?」ってなる。
■本文より長い余談です。
’85年に出た『珍虫と奇虫』っていう図鑑を持ってる。中身はタイトルどおり。ツノゼミも載ってる。この本を見たときちょっとショックだった。
昔はオタクでロボットとかSF的なメカばっかり描いてたんだけど、これはかなわんな、人間の考えるものは知れてるなと思った。
生物はそれぞれの生存戦略(お)でもって適応進化したと習った。その理屈は生き物の不思議を全部吸収する。わかった気になれる。けどこの図鑑で現物の多様さを見せつけられると、話が単純じゃないとわかる。合理的にできてるにせよ、意味がわからず非合理にせよ、「どうしてこうなった」が戻ってくる。知るほど不思議っていうか。
話が変な方に行きますが、オカルトって不思議なものを扱うけど、不思議なものに手っ取り早いオチも付けるでしょう。例えば理解しがたい現象が起きたとする。解明するまで不思議が残る。そこで「これは霊の仕業ですね」って言っちゃうとオチが付く。不思議が消える。
西洋医学で対処できない病気が、漢方でなんとかなったのを実際に経験してる。漢方は、科学的に説明が付いた部分もあるし、経験の積み重ねだったりもするけど、もともとの理屈は今となってはオカルトでしょう(って言ったら怒られるかもしれんけど)。でも効いた。ある文脈で説明できないものに、別の文脈を持ってくるとなんとかなるっていうのはあると思う。
なので、オカルトのオチの付け方も有用な場合があるとは思う。「ここに霊がいます」って言うとき、それ以外の言葉では説明できないなにかがあるんでしょう。
でも楽しむっていうか、それと向き合うぶんには、わかろうとしたうえで、わからないものはわからないまま保留する方が面白いと思う。わからない部分にはまだ先があるから。
とかまあ、全然科学的知識がないからこんなこと言うんだろうけど。
さらにまた別の話で『工場萌え』とかね。「萌え」って着地点付ければわかりやすい。「おお、工場って萌えるよなあ」って共感を呼ぶ。でも、わかりやすくしちゃうと、なんかの型にはまっちゃって、なんかが抜けていく。対象とのあいだにフィルターが1枚入って、そのものが見えなくなる。
『珍虫と奇虫』には、現実を見せることで頭で考えたごちゃごちゃを吹き飛ばす力があったんですよ、大げさに言うと。そんでこの『ツノゼミ』もそういう本だと思う。ちょっと面白い話題を提供して終わりじゃなくて、入り口を見せてくれるような。
『珍虫と奇虫』は絶版で、書影が検索しても見つからなかったからスキャンした。せっかくなんで、古くなって汚いのはそのまま大きめに載せときます。