■ひとり暮らしの自炊で、栄養バランス考えてバラエティーに富んだもの作ろうとすると、あんまり安くなんない。
4人家族として、4人分のコロッケを作るのは大変だけど、かかるコスト(手間と材料費)は4倍にはならない。仮に3倍だとすると、ひとり分合理化されたことになる。
そんで、コロッケ作るの好きな人が、店を出すことにする。町のみんなの分を作ればさらに合理化できる。
全国やら世界やらの分を作ればもっと合理化できる。けど全国やら世界やらの食品メーカーを相手にしなきゃいけないので大変。その合理化競争に勝利したとしても、「コロッケ作るの好きだから」は、どっか行っちゃってる。
食べ物の場合「手作りの」がウリになる。手間暇にお金を払ってもらえる。なので合理化した大手メーカーと小規模な店が共存できる。
金物の場合、工芸品のヤカンには高い値段が付けられるけど、普通の値段のヤカンにかけた普通の手間暇にはお金を払ってもらえないかもしれない。中国で安く作れるから。
企業努力で品質そのまま値段を下げるのも限界あるから、削れる部分は削ったりすると、高級品でも格安でもない普通にいいものが減っていく。
物でもソフトでも「キャッチコピーに謳えるようなことじゃないが、ここんとこはちゃんとしとかないといけない」みたいなことがある。そういう普通のヤカンの普通のこだわりが削られると、働く側はしんどい。
俺の仕事だと、今後電子出版がどんどん出るとして、たぶん低価格だろうから、「組版とかどうでもいいよ」とか、そこんとこの手間暇が合理化対象になる。っていうか「組版って何?」みたいな人が担当かもしれない。
西友のコロッケは49円なので、100円の手作りコロッケも厳しいかもしれない。ファミレス業界ひとり勝ちのサイゼリヤの社長が「手作りとかいらん、同じ味が確実に出せる工場の方が、おいしいものができる」みたいなことを言ってたんで、手作りの立場も危うい。特別おいしければ300円でも売れるんだけど、なかなかそうはいかない。コロッケ屋を閉めて働きに出てみると、無駄なく回転する会社は何を作って誰に売ってんだかわからんし、どうであってもそんなに変わらん。
やっぱりコロッケ作りが好きなので、タダで配って、みなさん食べてください、おいしいって言ってくれる人がいれば僕は満足です、みたいなことになって、なんならコロッケでお金をもらうのは間違ってるみたいなところまでいって、食ってる人がそれ言ってたら腹立つけども、作った人が言うのはわかるんで、仕事ってなんだろなー、みたいな。
コロッケといえば、にのたかの・・・あれは
芋フライかw
で、こんな事はどうでもいいの。
「江ぐち」が1/31で閉店だそうだ・・・ちょっとびっくり。
あぁ〜あのラーメン、俺は二度と食べられないのか。
代わりに行ってきてください。
行ってきたよ!