■三鷹のラーメン屋、江ぐちが今月いっぱいで閉店ということで行ってきた。いつもどおり、チャーシューお皿で、ビール小瓶。あとから五目そば。
江ぐちのことは前に書いたことがある。上石神井に引っ越して自転車で行けるようになったんだけど、ちょっと遠いし、貧乏で外食を控えてることもあって数回しか行ってない。いつでも食べに行けると思ってたのに残念。来週も行くつもりだけど流石に混むだろうなあ。
’86年の江ぐち。このときはビルに入る前の仮店舗で、私は本来の江ぐちを知らない。
上のリンク先にある『小説 中華そば「江ぐち」』のもとの本。タイトルは『近くへ行きたい。』で、“江ぐち”を含む以下の部分はサブタイトル。序文にこうある。
<…>
別に江ぐちでなくともよかったんです。たまたま江ぐちだったわけで、「たとえば江ぐちの場合」なわけです。
近所のお店、ということです。近くにあるからというのが一番大きな理由で行くお店ということです。だけどその店に行くのがなんか楽しいという。それがたまたまボクの場合江ぐちなんです。
誰にでもあるでしょう、そういう店の一軒や二軒。少なくとも小さい頃は絶対あったでしょう。駄菓子屋とか。最近はシブイ駄菓子屋も少なくなったから、パン屋かな。もう少し大きくなって、クラブの帰りにいつもアイスクリームをなめる店とか。店の前にぐじぐじたまって。コロッケを買い食いする店とか。
そういうのの延長というか、そういうものなわけです。ただ、昔話というんじゃないんだけど。
<…>
では、これからボク、堂々と江ぐちのラーメンを食べてきます。君も堂々とこの本を読んだら、近所のお店へ行ってくれたまえ。
上京して1年目の’86年頃、高校の同じサークルの友達3人が三鷹に住んでた。このエッセイがきっかけになって、俺らにとっても江ぐちは地元の楽しい場所になってた。
当時三鷹に『ゲームセンター・にのたか』ってのがあって、入り口で揚げ物を売ってた。昼頃起きたら、ここで『にのたかウイング(手羽先の揚げ物)』とか買って、おばちゃんに「お釣り40万円」とか言われて、店内の自販機のドクターペッパー(この自販機にはドクターペッパーしか入ってない)を飲みながら食うのを、俺らは「にのたかモーニング」と呼んでた。で、江ぐちは“ディナー”の扱いになっていた。
にのたかは再開発の頃なくなって、江ぐちもとうとうなくなる。
江ぐちは、ラーメン通みたいな人がよそから来てあーだこーだ言うようなもんじゃない。地元の味。江ぐちはなくなるし、俺はもう三鷹に住んでないし、今の地元で楽しいところを見付けなきゃいけないんだけど、まあやっぱり、にのたかとか江ぐちみたいな店はなかなかないよ。だから江ぐちは愛されたわけで。なんとか存続してくれればいいんだけど。
*追記
江ぐちは『みたか』に受け継がれました。こんな感じ。
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