■ポニョ観てきた。オモロかった。
わけがわからない、もはやカルトムービーなんて聞いてたんで、どんだけムチャなのかと思ったら、そういう意味では期待はずれだった。リアルな話じゃないが、夢みたいな話として違和感なく観れた。
いままでジブリの作品ちゃんと観てないんだけど、宮崎駿はちゃんと話が作れない人って印象を持ってた。人に通じない言葉で話を作ってるから、謎解きとか深読みなんかする価値がないと。
けど凄いちゃんとできてた。変な話なりに、入っていけるように周到に作ってあるなと思った。俺が間違ってたすんませんでした。まあ、それでもわからんのだけど。っていうか、竹熊さんが言うような怖さをあまり感じない時点で俺は全然わかってない可能性大。あと、俺は宮崎駿をエコの人だと思って書いてます。
以下、思い付くままネタバレ含むメモ。長いです。
・冒頭の海のシーンが凄くて、水棲生物好きとしては、もうこの時点で来て良かったと思った。
・ポニョは宗介の血を舐めて人間になる。粘液の交換。これはエロい話なんだなと思った。魚、海が既にエロいし。
エロ、海・原初の生命・ちょっと母性、魔法・カオスがワンセット。
エンジン、電気、人間の秩序が、対立するワンセット。
・でも宗介は船のオモチャをずっと持ってるぞ。エコじゃないのか?
・母ちゃんの車の運転荒いのはエンジンの人だからじゃないか。根本的に機械は危ないもの、などの含意もありそう。
あと、この時点でまだあんまり母親じゃないからかも。
ママ、パパじゃなくて名前で呼び合うのも、母じゃなく剥き出しの女(と男)だからじゃないかと思った。父ちゃん帰ってこれなくて拗ねたりするし。
いっぺんポニョがさらわれたあと、車の中でひとつのソフトクリームを舐め合う。ポニョがいなくなったタイミングで、ポニョに代わって粘液の交換。ポニョからの息子奪還。母エロス。要・乳離れ子離れ。対してポニョの母ちゃんは「怖い」人。
単純な家族愛の話にしたくないから個人名にしたのかもしれん。
・このポニョが連れさらわれる前だっけか、海に降りていくとフナムシがざわっと逃げるシーンがあるけども、あれは守護してるようなもんで、ここからが海の領域だと伝えてる。こういうとこがしつこくちゃんとしてた。
・父ちゃんは船乗り。この話の中では、大人の男とは船を操るもの。
・保育園と老人ホームが一緒。生まれてそんな経ってない社会参加する前の子どもと、リタイアして死に近い婆さんがセット。ある意味近い存在だけど、主人公が園児なもんで、園児の方はリアルタイムであり老人と同列に並ばない。しかもポニョとの関係はエロいので、同年代の女の子は話に入ってこれない。活躍の場ナシ。婆さんは枯れてるから話に入ってOK。
あ、そういえば爺さんが出てこないな。
・ひとり電動車椅子の婆さんがいる。「人面魚が出たら津波が起きる」と不吉なことを言う。実際そのとおり。この婆さんは電気の人、秩序側の人。まともな人。
宗介は他のばあさんには金魚の折り紙を渡すが、この人には船の折り紙を渡してる。そんでこの船は父の船。
・ポニョの父・フジモトは、人間を嫌う過激なエコロジスト。原初の海に還そうとする。でも船に乗ってる。薬も使って、苦労して無理やり今の存在になった。フジモトの目論見は成就しない。
・ポニョ人間化。なるほどクトゥルーちゃん(諸星大二郎『栞と紙魚子』)。
ここから宗介のもとに帰るまでのシーンが凄い。なんかしらんけど泣けてきた。
・カオス暴走、秩序崩壊。
この大災害がポニョのせい、ってのを見かけた。そうっちゃそうだけど、もとはといえば危ない薬を作ってたフジモトのせいだし、基本的に事故。
・母ちゃん、あっさり人間ポニョを受け入れて、ちょっと違和感。
家に入ってラジオのスイッチ入れて、電波が入らないことを確認。水道とガスは出るが、出る理由がいちいち説明される。本来出ないはずだが、特別な理由があって出ている、秩序は壊れてると強調。一方ポニョは電気の非常灯を面白がって頭に乗せてる。両者歩み寄ってる。というか、ポニョはもう人間側。エンジンの始動を手伝う。
この辺から母ちゃんは、ちゃんと母親になってきてるからポニョを受け入れたのか。
飲み物に蜂蜜を入れる。3人で粘液の交換。
・母ちゃん、エンジンで『ひまわりの家』へ。
・ポニョの巨大母ちゃんが通ると船のエンジンが止まる。通り過ぎるとまた動く。父達は巨大母を崇めている。観音様。
・ポニョの魔法で大きくなったオモチャの船で母ちゃんのもとへ。この辺から妙な展開。
宗介、船の操作がわかってきたと言う。父と同列に男になりつつあるということか。でも成長譚って感じはあまりしない。
子連れの夫婦に会う。良い船だと褒められる。
ポニョ、スープを渡す。粘液の交換。赤ちゃんはスープを飲めないが、母が飲めば乳になると言う。宗介もお母さんの乳で育ったと言う。母と子と粘液と。
通りがかる船は体育会系。船は男の世界。宗介は船乗りだから避難しろとか言われない。宗介は「忙しいから」、やることがあるから。
賑やかな旗はなんだろう。単に男の船出を盛り上げてんのか。非日常ではある。
・ポニョ眠い。この辺からが重要なのにわからん。「ポニョが眠っててくれさえすれば」みたいなセリフもあったが、ポニョのカオスな力が困るということか、宗介に任せる必要があるのか。他に理由がありそう。
ポニョはトンネル怖い。宗介は前に来たことがある。いかにも意味ありげ。普通に考えればこの世とあの世の境、産道とかだろうけど、あっさりトンネルから出ちゃうんでわからん。
ポニョは魚に戻るまでバケツ持ってる。宗介はオモチャに戻った船を持ってる。ポータブル海と船でワンセットのカップル。
母ちゃん自慢のエンジン(車)は、放棄されてる。意味ありげなナンバープレート333はわからず。
電気の婆さんが邪魔をしに来る。
・ラスト。
『ひまわりの家』はちょっとした異世界。生死が曖昧にされてる。母ちゃんは、すっかり母親になってる。
「ポニョの本性が魚でもいいか」との問い。これ、たぶん凄い重要な問いなんだろうけど、ここまでの話からして悩む余地がない。絵的にも終盤、盛り上がりに欠ける感じ。
↓こちらに興味深い話が。今回のラストで雑種性を認めたということなんだろうか。
・風と雑種性 – 猿虎日記(さるとらにっき)
父がフジモトで、母は魚じゃなく神様みたいのだし、ポニョは本当の意味で子どもかわからんが、魚の子というからには魚なんだろうけど、普通の魚じゃなくて化け物だよなやっぱり。カオティックなものが魔法を失って人間になって良しとしつつ、「元は魚」と認めさせることは譲れない点、なんだろうか。
ポニョが人間になってハッピーエンド、しかもフジモトの野望が潰えてるんで、単純にエコじゃないのは確か。電気の婆さんも大団円に加わるし。
「これで世界のほころびは閉じられた」と言う。「古い魔法」って言葉と、婆さんたちが立ち会ってることからすると、単にもうちょい昔のやり方で共棲していくってことなんかもしれん。だとしたら作者にとっての意味合いは知らんけど、見る側にしたらあんまり含蓄ない感じ。まあ、こんなに単純じゃないんだろう。
なんにせよテーマだけ取り上げてもしょうがない。全体に凄く面白かった。
書き終わってみれば、俺はエコ軸で見すぎだな。そんで、ここに書いたことから先が問題なんだろうな。
いろいろな解釈が可能かと思いますが、私の解釈は以下です。リサ=出産前の女性、洪水=膣が濡れること、婆さんたち=リサの身体の器官のこと(出産前は女性は本当の能力を出し切れていない)、島が沈没=リサが受精を迎える状態になったこと、宗介=精子、船=男性の性器、結界=セックス中は他人は入れない。トンネル=膣、ポニョの父=リサの父親像さらには処女膜、ポニョの母=助産師や産婆のような存在(あるいは過去の女性たちの知恵)、月=リサの月経、崖を挟んだラブコールがリサに届いたため、リサの身体が変化し(あの島一体が変化し)宗介がポニョとキスをする(受精成功)こんな感じで解釈するとすっきりするような気がします。
私にはピンと来ないんですが、それですっきりするなら
きっとそういう風でもあるんでしょう。
男から見た、産む存在への畏敬というか、
生理的にわかんなくて怖い感じが強い気はします。
あと関係ないですが、他の作品観ると、
この人のなかでは人間=働く女性みたいな感じですね。