Coisa Mais Linda

ディス・イズ・ボサノヴァ [DVD]『ディス・イズ・ボサノヴァ』をレンタルで。
 萎え萎えな邦題。原題は曲名から取って『Coisa Mais Linda(もっとも美しいもの)』副題がボサノバの歴史、みたいの。このまんまだったら劇場に見に行ってた。日本のプロモーションは俺に訴求しない。
 内容は大変に良かった。もともとブラジル国内向けに製作されたドキュメンタリーらしく、しっかりできてる。ボサノバが誰のどんな影響で出来上がってったか多方面から解説していく。面白くってためになる。セル版は特典映像が充実してるそうなので、余裕あったら買いたいなあ。しかしジョビンの息子、キモいというか怖いというか。

買いCD

エドゥ・ロボ&マリア・ベターニアエドゥ・ロボ&マリア・ベターニア
 ’66年、ブラジル。アマゾンにリンク貼ってるけど、渋谷タワレコで輸入盤が1000円で売ってた。
 1曲目『ウッパ・ネギーニョ』はエドゥ・ロボの代表作で、いろんな人がカバーしてるらしいが初めて聴いた。なるほど良いです。キャッチーでブラジルっぽい。ただ今俺の中で大ヒット中。YouTubeにあったから貼っとく。
 あとの曲は泣きが強めなうえ、もともと苦手なマリア・ベターニアの歌い方と相まって、どんより気味だなあと思ったけど、聴いてるうちに良くなってきた。

 
ウン・ヴィオラォン・エン・プリメイロ・プラーノホジーニャ・ヂ・ヴァレンサ『Um Violão em Primeiro Plano』
 ’71年、ブラジル。女バーデン・パウエルとか言われてるらしいギタリスト。なるほど、ちょっとそれっぽい。「女なんとか」って言い方もどうかと思うが。アイデア豊富でキャッチー、数曲に入るボーカルも上手くないけどキュート。どなた様にもウケる感じ。その分ベタな感じがしないでもない。1曲が3分なかったりするのはこの時代普通だが、フェードアウトが多くて、もっと聴かせてよ的な不満アリ。
 こんなのです
 
Vihmaヴァルティナ『Vihma』
 ’98年、フィンランド。この辺の音楽全然知らんけど、好みのものがあるっぽい。取りあえず良さげなのを買ってみた。やー、凄くいいですわ。
 こんなん
 
スファラ『Blueprint』
 インド系アメリカ人のタブラ奏者だそうで。音はエレクトロ。この種の曲とタブラのマッチングが凄く良くて面白い。ただ、もうちょっとなんか欲しい気も。
 収録曲はこんなの

ブラジルフェス

ブラジルフェスティバル行ってきた。年々賑やかになってる。なんか食おうとすると結構並ぶのがつらし。けど、並んでる間、横にサンバで盛り上がってる1団がいて楽しかった。おばさんも時に激しく踊ったり、自然体でゆるくていいわー。
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 ショーロな方々
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 カポエイラな方々
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 国民食フェイジョアーダ。豆と肉を煮たものが、ごはんに乗ってる。黄色いのはイモの粉。旨いんだけど量が多かった。箸休め的なものがあれば良かったんだけど、単調っていうか。
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 今回、なんとジョルジ・ベン・ジオールの2時間ライブがあった。無料ですよ! 当然これがメインになるわけだけど、40分くらいして雨が降り出した。ちょっとくらいなら耐えようと思ったけど、前の人が傘さすとステージが全く見えなくなり、やがて激しい雷雨に。諦めて帰ったけど、腹くくった人たちはむしろ盛り上がってた。

生潮音

こないだ買ったCDにサイン会参加券が付いてたんで、湯川潮音のインストアライブに勝負下着で行ってきた。
 目の前の存在というか器官から玄妙な音が出てくる不思議。
 サイン会はiPhone買えそうな勢いの行列であり、目の前でサインもらったりしたらファンであることの意味が不純になりそうなのでやめた。映像で見るよりお美しかったし。

5枚組と6枚組

灰色とわたし湯川潮音『灰色とわたし』。メジャー移籍後2枚目のフルアルバム。
 1枚目がいろいろと良くなかったんで、その後のミニアルバムもびびりながらiTSでつまみ買いしてたけど、今回はシンプルな作りで良かった。声が綺麗に響く。湯川潮音は声の人なので嬉しい。音が普通にフォークっぽいのが、やっぱりちょっと不満だったりするけど。ジャケの自画像については何も言いませんけど。
 変な言い方だけど湯川潮音の場合、歌を声で聴いてるんじゃなく、声を歌のかたちで聴いてる感じがする。魅力的なボーカリストなら声の魅力で聴くのは普通だが、湯川潮音だけボーカルじゃなくて“声”を聴いてる。
 
 栗コーダーカルテット&湯川潮音『溜め息の橋』iTSで購入。
 
The Mighty Upsetterリー・“スクラッチ”・ペリー『The Mighty Upsetter』
 久々の秀作と評判。レゲエもOn-Uサウンドも買うの久しぶりだなあ。良くできてんだけど、しっかり緻密に組み立てられたダブって、なんか妙な気もする。
 
『ブラジル音楽100 〜ブラジル音楽のすべて』。詳細と試聴は公式サイトで。
 BMGの音源から中原 仁が選んだ100曲。CD5枚組で3150円! レーベル縛りがあるんでブラジル重要曲全網羅とはいかないけど入門用にイイ感じ。2枚目と4枚目がイマイチだったけど、人によっては逆の感想を持つかもしれず。とにかく、いろいろ聴けてこの値段はありがたし。
 
『ベスト・ワールド・サウンズ100』。これだけ新譜じゃなく’05年発売。ブラジルばっかり聴いてるのもアレなんで、そろそろ他の国のも聴くかなと思ってたとこで目に付いた。定評あるJVCのシリーズ100タイトルから1曲ずつ収録。こちらは6枚組3150円! 3000円ぽっちでAround the World in a Dayですよ。まだ全部聴いてないけど、やっぱ声と音色だよなあ。
 こないだ古本屋で買った’92年のムック『地球の音を聴く ワールド・ミュージックCDカタログ』に、このシリーズの中の人、山城祥二の文章が載ってた。一部引用。

 欧米型録音文化支配の深刻な影響は、まず、ハードウェアにみられる。クラシック楽器音の欠陥をおぎなうことで成功したノイマンに代表されるヨーロッパ系のマイク、ポップスのサウンドに魅力をつけくわえるシュアーをはじめとするアメリカ系のマイクの大部分は、その非忠実性によって特定の附加価値を強調する。いわゆる民族音楽のなかで、それが負の効果として作用しないものはごくすくない。収音の段階ではやくも欧米型サウンドへの歪曲がはじまるといってよいだろう。
 モニタースピーカーにも、同じ問題がある。<…>
 欧米型録音文化の罠は、ソフトウェアもみのがさない。近代的専門分化を反映して、録音エンジニアが出自ないし専門をクラシックとかポピュラー音楽などの特定ジャンルに持たない場合は皆無に近い。そしてほとんど例外なく、その専門分野のサウンド・ポリシーを負のバイアスとして作用させる。
<…>
 こうした陥穽とは無縁なとりくみを最初からつらぬけたことを幸運に思う。

 どこまでどうなのか知らないけど、知らないゆえに面白い。最後の「無縁」をどこまで信じていいかこっちはわからない。突き詰めれば文化圏ごとにオリジナルな機材と優秀なエンジニアを自前で揃えた上、制作時に他の文化圏に色目を使っちゃいけないということになる。なんか不確定性原理みたいだ。

フクトシンセン

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■最近、花園神社近くの会社に通ってる。副都心線の出口が花園神社の横にあるから便利になるなあと思ったら、この出口までがどこまでも、どこまでも真っ直ぐに続く一本道で笑ろた。地図見たら、花園神社って新宿三丁目駅からそんなに近くないのな。
 まあでも渋谷から若干速く行けるようになったし、空いてるし、車内アナウンスの声が心地いいしで良かった。
 
暗黙共同体へ-秋葉原事件で考える

 私はここ数ヶ月、「情報共有圏」という言葉を考えている。
 
 しばらく前、硫化水素で自殺者が相次いだとき、アマゾンで興味深い現象が起きた。トイレ用の洗剤として良く知られている商品を調べると、「この商品を買っている人はこんな商品を買っています」というレコメンドに、自殺に関する書籍が多数表示されるようになったのだ。ついでに書籍と並んで、「薬用入浴剤」「天然湯の花」「特大ポリ袋」「結束ロック」「タイマーコンセント」などの商品もお勧めされていた。
 
 もちろんこれは、単なるショッピングサイトの、単なるレコメンデーションシステムという即物的な関係に過ぎない。硫化水素の原料や自殺本をアマゾンでまとめて買い込んだ人たちも、お互いの存在を直接的に認知できない。しかしアマゾンで硫化水素の原料を買った人たちは、「この商品を買った人は自殺本も買っています」というアマゾンの表示によって、自分と同じように人生に悩み、絶望し、自殺というオプションを現実的な選択肢として考えている人たちの存在を知り、自分と同じ人生の最後を選ぼうとしている人たちの存在を、おぼろげながら認識している。
 
 その関係は地縁でなければ血縁でもなく、利益でさえも結ばれていない。目的も存在しない。ただ「自殺に関連する商品を選んだ」という情報でつながっているだけだ。さらに言えば、情報でつながっていると言っても、マスメディアの作り出す情報の圏域と比べれば、自殺関連商品を選んだ人たちの圏域は、はるかに小さい。でも小さいからこそ、おぼろげであっても、「そこに誰かがいる」ということを、自分の目で確認できる。

  岡田有希子のこと思い出した。前に書いた自分の文章を引用する。

 また昔話だけども、俺は岡田有希子のダイブに引っ張られたクチで。岡田有希子は不思議ちゃんじゃなかったが、場にそぐわない感じがあった。俺が勝手にそう思ってただけかもしれんが。坂本龍一作曲、松田聖子作詞なんていう、モロに当てに来た曲で実際当たったんだが、岡田有希子本人には前に出ようっていう意志が見えなかった。アイドルとしての岡田有希子は華やかなステージに立ってるが、彼女自身はそこに居ないみたいだった。変な違和感があった。
 その空っぽの岡田有希子がダイブして、物体になった。物体は空っぽじゃなく存在感が凄かった。
 電線にとまってる鳥の一羽を撃つと、その振動が伝わって他の鳥も落ちるって話がある。ウソだろうけど。なにか場に違和感を感じてた人たちが、日本のあちこちにバラバラにいて、お互い知らないけど、見えない同じ電線に載ってた人たちが、連られて落ちていくように思えた。俺は特に岡田有希子のファンではなかったけど、そんなふうに感じて引っ張られた。

 ニューウェーブを聴き始めたときも似たことを感じてた。今ムックスにアップしてるような曲を好んで聴いてた。ハンドメイドでパーソナルで稚拙だったりもする、いびつで可愛い曲。ベルギーとかでちょこっとプレスされたレコードが日本にも届く。まるで手渡しされたみたいに感じる。たぶん同じ思いの人が世界中にいる。会ったことのない、ちょっとズレちゃった人たちが、夜中に小さい音で鳴らす音楽で繋がってるみたいだった。