5枚組と6枚組

灰色とわたし湯川潮音『灰色とわたし』。メジャー移籍後2枚目のフルアルバム。
 1枚目がいろいろと良くなかったんで、その後のミニアルバムもびびりながらiTSでつまみ買いしてたけど、今回はシンプルな作りで良かった。声が綺麗に響く。湯川潮音は声の人なので嬉しい。音が普通にフォークっぽいのが、やっぱりちょっと不満だったりするけど。ジャケの自画像については何も言いませんけど。
 変な言い方だけど湯川潮音の場合、歌を声で聴いてるんじゃなく、声を歌のかたちで聴いてる感じがする。魅力的なボーカリストなら声の魅力で聴くのは普通だが、湯川潮音だけボーカルじゃなくて“声”を聴いてる。
 
 栗コーダーカルテット&湯川潮音『溜め息の橋』iTSで購入。
 
The Mighty Upsetterリー・“スクラッチ”・ペリー『The Mighty Upsetter』
 久々の秀作と評判。レゲエもOn-Uサウンドも買うの久しぶりだなあ。良くできてんだけど、しっかり緻密に組み立てられたダブって、なんか妙な気もする。
 
『ブラジル音楽100 〜ブラジル音楽のすべて』。詳細と試聴は公式サイトで。
 BMGの音源から中原 仁が選んだ100曲。CD5枚組で3150円! レーベル縛りがあるんでブラジル重要曲全網羅とはいかないけど入門用にイイ感じ。2枚目と4枚目がイマイチだったけど、人によっては逆の感想を持つかもしれず。とにかく、いろいろ聴けてこの値段はありがたし。
 
『ベスト・ワールド・サウンズ100』。これだけ新譜じゃなく’05年発売。ブラジルばっかり聴いてるのもアレなんで、そろそろ他の国のも聴くかなと思ってたとこで目に付いた。定評あるJVCのシリーズ100タイトルから1曲ずつ収録。こちらは6枚組3150円! 3000円ぽっちでAround the World in a Dayですよ。まだ全部聴いてないけど、やっぱ声と音色だよなあ。
 こないだ古本屋で買った’92年のムック『地球の音を聴く ワールド・ミュージックCDカタログ』に、このシリーズの中の人、山城祥二の文章が載ってた。一部引用。

 欧米型録音文化支配の深刻な影響は、まず、ハードウェアにみられる。クラシック楽器音の欠陥をおぎなうことで成功したノイマンに代表されるヨーロッパ系のマイク、ポップスのサウンドに魅力をつけくわえるシュアーをはじめとするアメリカ系のマイクの大部分は、その非忠実性によって特定の附加価値を強調する。いわゆる民族音楽のなかで、それが負の効果として作用しないものはごくすくない。収音の段階ではやくも欧米型サウンドへの歪曲がはじまるといってよいだろう。
 モニタースピーカーにも、同じ問題がある。<…>
 欧米型録音文化の罠は、ソフトウェアもみのがさない。近代的専門分化を反映して、録音エンジニアが出自ないし専門をクラシックとかポピュラー音楽などの特定ジャンルに持たない場合は皆無に近い。そしてほとんど例外なく、その専門分野のサウンド・ポリシーを負のバイアスとして作用させる。
<…>
 こうした陥穽とは無縁なとりくみを最初からつらぬけたことを幸運に思う。

 どこまでどうなのか知らないけど、知らないゆえに面白い。最後の「無縁」をどこまで信じていいかこっちはわからない。突き詰めれば文化圏ごとにオリジナルな機材と優秀なエンジニアを自前で揃えた上、制作時に他の文化圏に色目を使っちゃいけないということになる。なんか不確定性原理みたいだ。

フクトシンセン

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■最近、花園神社近くの会社に通ってる。副都心線の出口が花園神社の横にあるから便利になるなあと思ったら、この出口までがどこまでも、どこまでも真っ直ぐに続く一本道で笑ろた。地図見たら、花園神社って新宿三丁目駅からそんなに近くないのな。
 まあでも渋谷から若干速く行けるようになったし、空いてるし、車内アナウンスの声が心地いいしで良かった。
 
暗黙共同体へ-秋葉原事件で考える

 私はここ数ヶ月、「情報共有圏」という言葉を考えている。
 
 しばらく前、硫化水素で自殺者が相次いだとき、アマゾンで興味深い現象が起きた。トイレ用の洗剤として良く知られている商品を調べると、「この商品を買っている人はこんな商品を買っています」というレコメンドに、自殺に関する書籍が多数表示されるようになったのだ。ついでに書籍と並んで、「薬用入浴剤」「天然湯の花」「特大ポリ袋」「結束ロック」「タイマーコンセント」などの商品もお勧めされていた。
 
 もちろんこれは、単なるショッピングサイトの、単なるレコメンデーションシステムという即物的な関係に過ぎない。硫化水素の原料や自殺本をアマゾンでまとめて買い込んだ人たちも、お互いの存在を直接的に認知できない。しかしアマゾンで硫化水素の原料を買った人たちは、「この商品を買った人は自殺本も買っています」というアマゾンの表示によって、自分と同じように人生に悩み、絶望し、自殺というオプションを現実的な選択肢として考えている人たちの存在を知り、自分と同じ人生の最後を選ぼうとしている人たちの存在を、おぼろげながら認識している。
 
 その関係は地縁でなければ血縁でもなく、利益でさえも結ばれていない。目的も存在しない。ただ「自殺に関連する商品を選んだ」という情報でつながっているだけだ。さらに言えば、情報でつながっていると言っても、マスメディアの作り出す情報の圏域と比べれば、自殺関連商品を選んだ人たちの圏域は、はるかに小さい。でも小さいからこそ、おぼろげであっても、「そこに誰かがいる」ということを、自分の目で確認できる。

  岡田有希子のこと思い出した。前に書いた自分の文章を引用する。

 また昔話だけども、俺は岡田有希子のダイブに引っ張られたクチで。岡田有希子は不思議ちゃんじゃなかったが、場にそぐわない感じがあった。俺が勝手にそう思ってただけかもしれんが。坂本龍一作曲、松田聖子作詞なんていう、モロに当てに来た曲で実際当たったんだが、岡田有希子本人には前に出ようっていう意志が見えなかった。アイドルとしての岡田有希子は華やかなステージに立ってるが、彼女自身はそこに居ないみたいだった。変な違和感があった。
 その空っぽの岡田有希子がダイブして、物体になった。物体は空っぽじゃなく存在感が凄かった。
 電線にとまってる鳥の一羽を撃つと、その振動が伝わって他の鳥も落ちるって話がある。ウソだろうけど。なにか場に違和感を感じてた人たちが、日本のあちこちにバラバラにいて、お互い知らないけど、見えない同じ電線に載ってた人たちが、連られて落ちていくように思えた。俺は特に岡田有希子のファンではなかったけど、そんなふうに感じて引っ張られた。

 ニューウェーブを聴き始めたときも似たことを感じてた。今ムックスにアップしてるような曲を好んで聴いてた。ハンドメイドでパーソナルで稚拙だったりもする、いびつで可愛い曲。ベルギーとかでちょこっとプレスされたレコードが日本にも届く。まるで手渡しされたみたいに感じる。たぶん同じ思いの人が世界中にいる。会ったことのない、ちょっとズレちゃった人たちが、夜中に小さい音で鳴らす音楽で繋がってるみたいだった。

Muxtape

■オリジナルテープを編集して人に無理くり聴かせてキモがられたりがウェブで簡単にできるMuxtape。今んとこMP3のみで、m4aとかはダメなのと、重くて繋がらないことがあるのは要注意だが、あとは説明いらず。
 んで、作ってみた。40分だけ付き合ってくれたまえ。バックグラウンドで鳴らしといてくれたまえ。みんなもブラジル音楽を聴けばいいじゃない!
 
“環境問題のウソ”のウソ山本 弘『“環境問題のウソ”のウソ』飛ばし読み。買わずに立ち読みで済ませばよかった。『環境問題のウソ』(俺は読んでない)がいい加減だということはわかったが、くどくどくどくど重箱の隅をつつくような文章が厭らしくて不快。まるで2ちゃんでやってる議論のための議論。表紙も酷いね。
 
■ハニー THE LIVEはよかったですね。原幹恵が意外とハマリ役だった。水崎綾女はこれでファンになった。
 辛酸なめ子が出てた『くちこみジョニー!』も終わったし、今期のスゥーパァ〜〜ヒィロォタァイムは脱落しましたので『やりすぎコージー』以外もう見るものないな。福満しげゆきの原作も使う『週刊 真木よう子』は見てみようかな。

中古で買ったCD(ブラジル)

愛するマンゲイラカルトーラ『Verde Que Te Quero Rosa (愛するマンゲイラ)』
 これはたまらぬ。身体がよじれてしまう気持ち良さ。1st.と2nd.のカップリング『人生は風車/沈黙のバラ』は持ってて、1st.分より2nd.分の方が良かった。3rd.であるところのこれは、さらに輪を掛けて尚のこと、より一層良いよいよいよい(残響音)。皆もジジイの美声に酔うが良いよいよいよい。
 カルトーラは1908年生まれ。史上2番目に古いエスコーラ(サンバチーム)『マンゲイラ』の創設者。キャリアは長いが、レコードデビューは’74年。マンゲイラのチームカラーは緑とピンクで、コーヒーカップとソーサーがその色になってる。
 
ブラジリアーナルイス・ボンファ&マリア・トレード『Braziliana』
 これは試聴したことがある。いいのはわかってて、そのうち買おうと後回しにしてた。ルイス・ボンファは、映画『黒いオルフェ』の音楽を担当した人。マリア・トレードは10歳から歌手をやってる奥さん。エコーの効いた音像、スキャット、口笛など、ソフトロック好きに受けそうな音。
 
■ドリス・モンテイロ『Mudando De Conversa』
 サンバ・カンサォンの時代から歌ってる、キャリアのある人。美人で歌がうまい。買ったのは’96年に出た日本盤だが、もう廃盤らしい。今、手に入るのはエレンコの『サマー・サンバ』だけみたい。けどiTSに一通りある。これ(→iTS)
 ’71年の『Doris』と’76年の『Agora』の2 in 1を持ってる。『Agora』(→iTS)の評判がいいみたいだけど、『Doris』(→iTS)の方が好き。今回買った『Mudando De Conversa』(→iTS)は’69年発売で、一番売れたアルバムらしいが、先のふたつには及ばなかった。なんにせよどれも魅力的で、楽しいサンバもシックなボサもありバラエティーに富んでて、ブラジル音楽聴いたことない人でも女性ボーカルものとして普通に受け入れられそうな内容。
 
■はてなの仕様変更で、プライベートモードのダイアリーの更新取得がRSSリーダーでできなくなった。はてなアンテナのRSSもなんかおかしい。めんどくさいなあ。

体当たりの演技

細野晴臣 STRANGE SONG BOOK-Tribute to Haruomi Hosono 2-(DVD付)■細野さんトリビュート第2弾、『細野晴臣 STRANGE SONG BOOK』買った。前のより全体にクオリティーが高い感じがする。久保田麻琴『ルーチュー・ガンボ』も鈴木慶一『東京シャイネス・ボーイ』も期待を裏切らない。大貫妙子『ファム・ファタール』にはスザーノが参加してる。ウィスット・ポンニミットのジャケが凄くいいですな。前から気になってたんだけどマンガ買ってみようかな。
 
■映画『ジプシー・キャラバン』観た。
 各国のジプシーを集めたアメリカツアーを追ったドキュメント。ひと言でジプシーつっても、国も文化背景も違えば音楽も違う。違うけど共通項もある。それぞれが人生持ち寄って盛り上げていく様が、うまいことまとめられてた。うまさに引っ掛かるとこもあるが。
 
■フライデー袋綴じに吉野紗香。映画『病葉流れて』で濡れ場を演じてる。
 昔からのファンとしてはいささか複雑だが、取りあえずこの袋綴じでは先端が出てません。セーフ! 見たかったものが見えてなくて喜んでるのもどうなのか。
 「もちろん乳首も見える。時間は5分程度。薄暗いのがちょっと残念」ということで映画では一応見えるようだ。ここでもまた、丸出しじゃないことに安心したり、どうせならお日さまに身体を見せつけてやれ的な気持ちもあり。
 去年出たDVDについて書いたエントリーに、やたらとアクセスがある。2ちゃんにリンクされてるし、検索も多い。攻殻機動隊の件で炎上したときは「まだいたの?」的な言われようだったのに、やっぱ脱ぐと盛り上がるんだなあ。うーん。

皆様の歌

■東京国立近代美術館に行った。『わたしいまめまいしたわ 現代美術にみる自己と他者』ってタイトルで、なんか学生が考えたみたいな企画だけど、行ったらそれなりかなと思ったら、やっぱ見てるうちにだんだん腹立ってきた。
 牛腸茂雄『SELF AND OTHERS』を全部展示してて、牛腸茂雄は良い悪いは知らんけど、どうも好きなのでこれは良かった。
 
 同じようなことを何度も書きますけども、気になってるのは自意識過剰。
 歌謡曲は皆様のために先生が曲を書き、皆様のスターが歌った。対して「アーティスト」は自分の歌を歌う。ロッカーなんかは特に「俺がギター持っていっちょやるから見れ」ってことで、演劇的要素が強い分音楽じゃない。そんで「着いてこれるヤツだけ着いてくればいい」。皆様のためにはやってないかもしれない。俺様の歌。
 先生が与えてくれるなんてのは、上から目線でもあるので、若者は反発しだす。皆様の歌は俺の歌じゃない。「俺」を託せる俺的なスターの振る舞いを「俺のもの」とする。「俺様の歌」が俺の歌。
 パンクやDTMは端的に、ヘタでも「俺の作品」が出せる状況を作った。タレント(才能)がなくてもスターへの道がある。自分にもやれそうなことをやってる人間が「俺のスター」になる。
 昔『少年スケベマンガ』というサイトで引用した、教育評論家“カバゴン”こと阿部進による『ハレンチ学園』1巻の解説をまた引用する。

 いままでの手塚、石森、白土、ちばてつや、さいとうたかおといった人たちは「いまの子供たちは何をどう好むのか」「どんなものを描けば子供たちは共感してくれるのだろうか」と、いわばおとな側が、子どもたちにマンガを描きあたえる立場であったわけです。
 永井豪は、その受け手の子どもが育って、「子どもはこういうマンガが気にいっているんだ」「読みたいのだ、見たいのだ……」という立場をもって現われた最初の人だといってよいでしょう。(仲間としてはジョージ・秋山が入ります。)
手塚、白土、石森といった作品は、多少の抵抗があっても、おとなにも理解できるものです。時間がたてば「ハアアン、こういうもんだったのかい」というものです。
 ところが永井豪えがく一連の作品、とりわけ「ハレンチ学園」は「わかるやつにはわかるが、わからないヤツにはまったくダメ。時間がたっても変化なし」というマンガなのです。別のいい方で言うと、
「子どもには、一度みたらわすれない、一度読んだらわすれないホイ」といった子どもたちだけに通じるものなのです。そこにはおとなたちに対する、子どもたちの論理が一本ビシッとつらぬいています。
 徹底的に子どもたちのものの見方、考え方の姿勢の上で物語を展開しています。
 おとなたちから、どんなに変な目で見られようと、否定されようと、子どもたちの間に、深く広くひろがっていく強さは、まさに、「子どもによる、子どもの、子どものためのマンガ」の誕生であることを知らせています。
 もし、おとなの人たちがこれをみて「フン、こういうのがいいのかねえ」としたり顔や、わかろうとする努力はしないことです。「くだらん、とんでもないマンガだ」とカッカカッカ怒ってください。
 読者である子どもたちは、自分が否定されたと受け取り、いっしょうけんめいこのマンガを弁護するでしょう。そこでより一層永井豪とはいかなるものかが浮き彫りにされる…わたしはそれが楽しみです。

 そう言えば『ハレンチ学園』復刻されてるみたいなんで、興味ある人は売ってるうちにどうぞ。
 カバゴンの文章は単語を置換すれば、若者が支持するものに大体当てはまる。カッカカッカ怒られてナンボのものを好むことで「俺たちの」感を強める。熱く弁護するとこまでが、あらかじめセットになってる。そういうのを時代時代で繰り返してるだけ。『ハレンチ学園』の時代には、硬直した現体制とかメインカルチャーに対して風穴を開ける意義が期待されただろう。けど、もはやメインもわからない状態に拡散していて、今の「俺たちの感」にはさらに拡散して壁を固める意味しかない。風なんか通らない。
 「趣味、自分」がデフォルトで、お互い相容れないが、「趣味、自分」自体は共通してるからそこで繋がるってのは気持ち悪い。かつてt.A.T.u.が流行ったときに書いたが、男の自意識過剰は受け入れられないが、女の子のそれだけは男女双方から受け入れられる。「大人」「今の世の中」のカウンター、つまり端的な「若者」でいられるのが「少女」で、だから「自分は外れてる」と思ってる連中は、男女問わず少女に仮託する。これを利用する少女もいるが、基本的に不幸だ。
 オタは萌え以降のマンガを「俺たちのマンガ」と思い、少女に仮託し、硬くする。オタ以外もガールポップに仮託し、硬くする。少女はそんなふうに消費される。ガーリーとかはもういいっす。
 アーティストに自意識過剰は付き物かもしれんが閉じてちゃかなわん。絵にしろ、歌にしろ、マンガにしろ、昔のでも今のでも、ナルシシズムが強いのはイヤだな、と思った。つきあう義理がないし。
 「自己と他者」なんてのは鬼門であって、迂闊に踏み込むべきじゃない。そんなテーマをハンパに絡めるから、作品見る上で邪魔にしかならなかった。