3年前からちょっと何かに希望を見出しては失うということを何度か繰り返して、若干おかしくなった。
新しく起きることは、新しいストレスになる可能性がある。もうこれ以上のストレスはカンベンってことになってるらしく、前もって過剰に緊張する。そういう考え自体やめときゃいいのに、なってしまう。
定例でやってる仕事は既知のことだから問題ないが、それ以外がしんどい。遊びでも待ち合わせをするのに緊張する。ひどいときはメールが来るのも、電話が鳴るのも、玄関の向こうで人の声がするのもよくないことの予兆に思える。手が震えたりする。そんで病院行って薬もらってる。
ここまで来ちゃったのは原因がある。自分だ。手を打つのが遅れた。突き詰めれば性格が悪いから失敗している。この客観的に正しいと思える原因がまたしんどく、自覚したところで簡単に正せるものでもない。まして状態が悪いときは性格がひねくれがちで、よくするのは難しい。
不況だから新卒でも転職でも何十社と面接受けて普通らしいが、日本の奇っ怪な就活の中、そんだけ否定されまくったら壊れて当たり前だと思う。年間3万人が自殺してるのは凄いけど、これで済んでてマシなのかもしれない。
引き籠もりに対して、人と関わることを恐れていたら何も進まないとか言うけども、彼らの多くはストレスにさらされた結果そうなったんだろうから、マッチョに正論ぶってもなと親近感持ったりもする。
ここ数日、救いがあって、でもまたそこから落ちて。頭に浮かぶのは細野さんの『漂流記』の歌詞、「どんなにうまくやっても いつもの調子はずれ」。
客観的に考えればよくある何でもないことで、深く考えないよう努めて、細野さん聴いてたら、逡巡してるけど洒落て軽妙な歌詞で多少やけくそな元気が出てきた。