食人習慣

 古本屋で買ったユリイカ’98年6月号に載ってた、カエターノ・ヴェローゾ『食人習慣』から部分引用。

僕にとってはとりわけ、オズヴァルドの一連の「マニフェスト」のショックが強かった。二四年の『パウ・ブラジル的詩作のマニフェスト』、そして特に二八年の『食人習慣的マニフェスト』である。この驚異的な美しさを誇る二つのテキストは、今日的であると同時にヨーロッパ的前衛主義からの開放だった。ヨーロッパで生まれた各種マニフェスト同様、これらもマリネッティの未来主義の申し子であり、特に前者はシュルリアリズムに先立って生まれている。また、この二つは、ブラジルの再発見であると同時に、新たなブラジルの創設でもあった。(略)
 二番目のマニフェスト『食人習慣的マニフェスト』は、食いつくすことの隠喩を展開し、明示している。我々ブラジル人は、どこからくるなんであれ、真似をするのではなく、食い尽くさねばならない、あるいはアロルド・ヂ・カンポスの言葉を借りるなら、「ブラジル種の元で外来の経験を吸収し、これに、最終生成物が独自の性質を持つよう、そしてとりわけ、海外との接触において輸出用産品として機能する可能性を持つよう、疑いのない地域的特徴を加味しつつ、我々の流儀でこれを再発明」せねばならない。オズヴァルドは、使い古された形式、方程式を持つ不滅の輸入行為という(しかも、作者の側の想像力というよりは、過去の事例と未来への助言の出来の悪い集大成に見えていた)図式をひっくり返したのだ。そして、食人習慣という神話を提議し、国際的な文化関係に人食いの儀式を持ち込んだのである。インヂオがペーロ・フェルナンデス・サルヂーニャ神父をむさぼっている場面こそが、ブラジル文化、ひいては我々の国民性の基礎たる最初の場面となるのだ。
 文化的食人習慣の思想は、トロピカリスタにぴったりと適合した。僕らはビートルズやジミ・ヘンドリックスを「食らっていた」からだ。

 

 しかし、トロピカーリアの中にも(そして食人習慣の中でも)ブラジルを観光客にとってもブラジル人にとってもエキゾチックにしてしまおうとする傾向があると見るのは妥当なことだ。疑いなく、ぼく自身も今日まで、この熱帯のカソリックの化け物が持つ奇妙な特徴を中和しようとする、平凡な国際的尊敬とやらを模索する名目で行われる滑稽な試みと思えるものは撃退してきている。無論、バナナを吊したターバンの連想が、ブラジル生まれの核物理学者や古典文学者の頭にとって、特に有益でないことくらいは僕にもわかる。ただ、僕が知っているのは、この「ブラジル」という事実が上記のような学問の研究者(あるいは新しい学問の発明者)を大勢輩出するような創造的エネルギーを発するとしたら、それは、この「ブラジル」が自身を前に臆病がらない場合だけであり、国際秩序に対し、可能な限り分別を働かせて従うことの落胆の上に、自己愛的喜びを位置させられる場合だけだと言うことだ。『オルフェウ・ド・カルナヴァル(黒いオルフェ)』が初公開されたとき、僕は十八歳だった。僕はこの映画をバイーアのバイシャ・ドス・サパテイロス(!)のシネ・ツピー(!)で見た。僕を含めて客席中が笑い、あのフランス人監督に、かくも魅力的なエキゾチシズムの産物を作り出させた厚かましい不正当性を恥ずかしく思った。我々ブラジル人がこの作品について下した批評は、「いったいなぜ、ブラジルを代表するもっとも純粋な音楽家たちは、このようなまやかしを装飾する(そして、これに威厳を添える)ために作品を提供することを承諾したのだろうか?」に要約される。この映画の元となった戯曲の作者であるヴィニシウス・ヂ・モライスが、ロードショー前に制作者が行った試写会の際、腹を立てて試写室を出ていったというのは、世に知られた事実だ。とはいえ、その魅力は外国人においては機能した。映画は(実にさまざまな文化レベルの人々にとって)ギリシャ神話のモダンで大衆的なお涙頂戴バージョンと映っただけでなく、この物語の背景となった極楽のような国を紹介するものだったのである。トロピカリズモが起こったとき、この作品はブラジルではすでに忘れ去られていた。しかし、六九年、僕らがロンドンへ着いてみると、レコード会社の役員たち、ヒッピー、インテリなど、知り合ったすべての人々が、一人の例外もなく、僕らがブラジル人だと知るやいなや、『黒いオルフェ』について熱狂的に語り出した。僕らはまだ、若干の恥ずかしさを覚えていたが、「カルナヴァルの朝」を歌ってくれというリクエストに応えるのは、多くの場合報われることだった。外国人(ロックのシンガー、第一線の小説家、フランス人社会学者、新人女優)によるブラジル発見物語のナラティヴは、今日に至っても絶えることがなく、そのどれもが忘れ得ぬマルセル・カミュの映画によって彩られているのである。エリザベス・ビショップは、リオから出した手紙の中で、最初は——恐らく詩人であり、ブラジルに長く住んでいたからであろうが——アメリカ人の友人たち(ロバート・ロウェルを含む)に向かって、あの映画は音楽は素晴らしいが、内容は彼らが思っているのとは逆にくだらないと言って説得しようとしていたが、じきに、その評価においてブラジル人とは距離を置きはじめ、映画の曲は「純粋な」リオのファヴェーラの音楽とは違うからという理由で評価しなくなった。ジョン・アップダイクは、部分的にはこの『オルフェ』に触発され、『ブラジル』と題された著書を書いたが、これはカミュの映画と大して変わるものではなかった。映画が封切られた時期に、この作品、詩、オルフェの神話とリオデジャネイロの町について、なにからなにまで正当な評論を書いたのは、唯一ジャン=リュック・ゴダールだけだった。トロピカリストにとってこの評論は、まさに自ら署名したいと望めるものだ。だが、これが書かれていたことを僕が知ったのは、七〇年代に入ってから、バイーアに戻った時だった。その間に、この映画についてなされたトリピカリズモ的批評は、とりわけ、外国人のブラジルに対する見方について、そしてエキゾチシズムを伴う愛と戦争の繊細さについての考察が深められたと指摘していた。

 ややこしい文章だなあ。インテリだな。熱いな。
 日本人だからエキゾチックなものとしてしか『オルフェ』は見れないけども、とても「極楽のよう」に見えなかったけどな。単に「うわー、貧乏だなー」と思った。一方’99年のリメイクはPVみたいで、それこそ「極楽のよう」に見えた。で、音楽はカエターノ。これはどうなんだ。ブラジル映画だからいいのかな。

2 thoughts on “食人習慣

  1. すごい面白い文章ですね。今なら「オリエンタリズム」という言葉が流行っているのだけど、それより「食人主義」(カルナヴァルとかけているんですね)のほうがおもしろい。たしかにインテリだ。でも、ブラジルって音楽以外に世界に通用する創作物ってなにか作ってましたっけ?

  2. そうなんですよね。
    ブラジル人なら、国際的なブラジル人の名前挙げられるんだろうけど……。
    遠い目標だから檄が必要だったりするのかも。

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