ポルトガル語漬け

■秋山奈々らしき人を見かけた。顔はごく短時間しか見えなかったけど、たぶんそうだと思う。少なくともルックスと服装と一瞬聞こえた話の内容からしてモデルかタレントであることは確か。北陽の伊藤でもなかった。美少女というより美女だった。もうちょっと人が少なければ、しっかり見れたのに。
 
■昨日書いたのは、昔/今と、ブラジル/日本がごちゃごちゃで何言ってんのかわからんな。
 ブラジルのことで言うと、こないだ買ったカルトーラは’74年の録音で、このとき65歳だそうな。これがファースト(とセカンドのカップリング)なんだが、かといって「苦節何十年、ようやくレコード出せました」的な超遅咲きではないらしい。二十歳のときにマンゲイラを創立している。サンバの巨人であることに、レコードが出てるかどうかは関係ないらしい。こういうの、日本じゃ考えにくい。
(マンゲイラは史上2番目にできた、現存する最古のエスコーラ・ジ・サンバ。エスコーラは学校の意味で「サンバ学校」と訳されるけど、意味合い的には「チーム」で、生活共同体だったりもするらしい)
 
 中原仁『ブラジリアン・ミュージック』(持ってるのは’95年版)に載ってた、ノルデスチ(北東部)の民衆詩人の話もなんか凄い。

 北東部の民衆詩人(ポエタ・ポプラール)は、その表現の仕方において大きく「吟遊詩人」と「詩人」に分けられる。詩を用いて物語を綴るのが「詩人」であるのに対し、吟遊詩人は「歌い手(カンタドール)」とも呼ばれるとおり、自作の詩や他の詩人が作った詩を歌いながらセルタォン地方の旅を続ける遍歴者だ。彼らはいつも、旅先で仕入れた最新の情報を持ってやってくる。そして見たこと、聞いたこと、体験したこと、感じたことをテーマに「物語」を創り、歌って歩く。世相を反映した詩を人々に歌って聞かせるという、まさに「歩くシンギング・ニュースペーパー」のような存在だ。
 (略)
 民衆詩人の詩作は、口述によって人々に紹介される一方、小冊子に印刷され販売されている。この小冊子を「フォリェット」と言う。一般的には新聞紙に印刷されていて、ページ数は4の倍数。内容がニュースの場合はページ数が少なく、架空の話の場合は16ページから64ページまである。表紙やイラストには、作者自ら描いた木版画が用いられることが多い。これらの小冊子による文学を総称して「リテラトゥーラ・ヂ・コルデル(紐の文学)」と呼ぶ。これはイベリア半島から伝わってきた呼び名で、小冊子が紐でつるされて売られていたことが起源である。もっともブラジルでは一般的に、地面に新聞紙を敷いてその上に並べるか、ふたを開けたトランクの中に入れて売られている。“手入れ”があった時のことを考え、素早く店をたたんで逃げるのに便利だからだ。
 (略)
 実際、フォリェットはこの百年ほどの間に、北東部の民衆に最も広く読まれている印刷物だ。学術的な出版物の発行部数が国内で約2000部ぐらいなのに対し、フォリェットは1万から2万部発行されている。ベストセラーは10万部以上になる。フォリェットは多くのブラジル人の嗜好や情緒を養い、そのような人々を通じて民衆文学そのものも養われていく。マスメディアを媒介としない広がり方はいたって明確なもので、内容の良いものほど大勢に読まれ、自然発生的に口コミで情報が広まっていく。

 なにこの同人マーケット。いつの時代の話ですか?って感じだが、今もこうらしい。

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