コニカ撤退

カメラ事業、フォト事業の終了と今後の計画について
 薬種問屋、小西屋六兵衛店が写真材料の取り扱いを始めたのは1873年(明治5年)。コダック創業より7年早い。1903に発売したチェリー手提用暗函は日本初の固有名を持つカメラだった。コニカの歴史は日本の写真の歴史とか言われてたのに……。
 コニカはコンパクトカメラで頑張ってたな。ヒロミックスも使ったビッグミニはヒット作だった。だいたい世界初のAFコンパクトがジャスピンコニカだし、その前にはストロボ内蔵を一般化したピッカリコニカがあった。もっと遡ると、ローライ35の影響を受けてハーフカメラ並みに小型化したジャーニーコニカがある。井上順が「じゃあね」に引っかけて「じゃあに〜」と言ってたCMを覚えてる。
 CMと言えば、さくらカラーの「4枚増えて値段は同じ。どっちが得かよーく考えてみよう」もインパクト強かった。
 
0601_konica.jpg ウチにはコニカのカメラが3台ある。その1台が写真のパールIII。’55年発売のセミ判スプリングカメラ。’01年に中古で買った。が、オートマット機構が壊れててコマ間にばらつきがある。パールのオートマットはもともと壊れやすいらしい。ネットで調べると、コニカのサービスは戦前のカメラでも受け付けるらしかった。直せるなら直してもらって、ついでにオーバーホールを頼もうと、新宿のサービスセンターに持ってった。結局、オートマット機構の修理は部品交換が必要で、部品はもうないということなんで、OHせずに引き上げたんだけど、点検の際に蛇腹を破損したっつって、無料で新品に交換してくれた。中古で買っててコニカにお金入れてないのに、なんか悪い感じ。やっぱ老舗は違うなあ。お客さんを大事にするなあと思った。コマ間のばらつきも実用範囲内だし良しとした。
 パールは全く自動化されてなくて、シャッターを押すまでにこまごまとした儀式が必要なのだが、俺が買った’01年の時点ではデジカメだって動作が遅い上にレンズキャップを必要とする大型のものが主流だった。レンズキャップを外して、起動を待って、合焦を待って、写して、電源切って、沈胴を待って、レンズキャップをまた付けて……めんどくささではパールと変わらない。’01年のデジカメのかったるさに耐えられるなら、パールの不便さにも耐えられる。画質で言えばパールの圧勝となる。パール発売当時のアサヒカメラのテストでは、レンズの解像度は当時の測定限界を超えるミリ160本以上。645の面積は35ミリフィルムの3倍あるから、最新の一眼デジカメとだっていい勝負ができる。今は外観よれよれだけど、高級品だった風格は今も備えてる。愛せるカメラだ。
 けども、蛇腹カメラを直せる技術者はメーカーにいなくなるんだなあ。カメラに興味持って最初に中古で買ったのがコニカC35FD、一眼はミノルタX-7、次がα-8700iミール仕様。コニカもミノルタも愛着あったんだけどな。とか言いながら中古でしか買ってないから、そのうち新品を買って還元したかったんだけどな。

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