エイリアン・エイリアン2

 2本で2079円。
 かなり悩んだ。「おお! エイリアン2が1000円で買えるのか!」と思いつつ、手に取ったり棚に戻したり繰り返したあげく買わずに帰った。別の日にまた悩んでようやく買った。レンタル1回300円として、4回見れば得したことなる。けどラインナップの中で確実に4回観る作品がエイリアン2しかなかった。もう1本に迷って、結局エイリアンにした。
 1作目は今観るとたるいなあ。「見えない恐怖」って2回目以降は通用しないしなあ。あと3回、観たくなるかなあ。『X-MEN』にすれば良かったかなあ。X-MENにはおっぱいがあるもんなあ。
 2はやっぱりオモロいな。当時は、作品としての深みとかじゃなくてただただ派手ってのに喜んだんだが、今観るとちゃんとしてるな。ニュート可愛いな。
 組織に忠実であるがゆえに悪者ってパターン、SFでは多い気がするけど、昔からあるのかな。国とか大企業とかが悪いことをたくらんでるって前提が。
 1の終わりの方でリプリーがネコ探しに行く。それまで合理的に動いてたのに、急に非合理なことをする。これはベタな解釈だと母性なのかもしれんし、内田樹はプッシー(キャット)だと言ってた。別の生き残りは冷却用のボンベを探してて、ボンベはちんこだと。
 1で組織に忠実な悪者は、端的に非人間のロボットだったわけだけど、リプリーが見つけたのは(これまたベタに)人間性で、ボンベは実用品ってことはないのかな(結局ボンベなしで脱出用のシャトルは飛ぶんだけど)。うあー、人間性とか言っちゃったな。ヒューマニズムじゃなくて、なんていうか機能性とかに関わることなんだけどうまく言えん。なんか別の映画観てるときもこういうこと考えてたんだよな。機能的になるのと、感情的になるの。どっちも度が過ぎるとダメで、死んじゃったりする。

3 thoughts on “エイリアン・エイリアン2

  1. 内田樹の本を読んでないんだけど、エイリアンを構造分析して、なぜ猫(ジョンジー)が登場する必要があるのかを解き明かしていると彼のBLOGで読んだ事があります。でもプッシーだチンコだって、それ構造じゃない気がします。たんなる駄洒落。構造主義的に解釈するならもっと違った論じようがあるのでは?ぼくも猫のジョーンズが気になってはいたのですが、猫は人間とエイリアンをブリッジするものではないでしょうか?異種生物として。さらにやわらかい皮膚、エイリアンの外骨格、毛皮といった対比項としての必然性とか、物語的に要請される犠牲者と生存者といった関係性において必要とされる項なのでは?エイリアンを見返さないとわかんないですけど。構造分析より記号論的に見たほうがわかりやすいのかもしれないです。

  2. あー! なるほど!
    内田樹はエイリアンの話を何度も書いてますけど、『女は何を欲望するか?』では4作通しでフェミニズムの視点から書いていて(私には)説得力がありました。
    ただ、ネコがプッシーなら、あのネコはミスキャストですよね。もっとしなやかなネコでないと。強引ではあります。4の解釈も疑問が残るものでした。

  3. っていうか、あのネコをキャスティングした意味を考えるべきっすね。やっぱプシキャットはないな。

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