首斬り朝


 作:小池一夫、画:小島剛夕『首斬り朝』を読み返していた。刀の切れ味を試す、御様し御用(おためしごよう)兼、死刑執行人、山田浅右衛門をモデルにしたフィクション。おもしろいんだけど、いま電子書籍しか売ってないみたい。

 首打ち場を土壇場といい、「最後の土壇場」はここからきていると、作中の解説にある。土壇場での死罪人の言動により、そこに至るいきさつを、首斬り役の朝右衛門が知る、というパターンの話が多い。罪を犯さざるを得なかった不運や因果がつづられる。
 不幸はたまたま、幸福もたまたま、みたいな話が繰り返し出てくる。システム批判が出てくることもある。世の中が悪い。今はどうにもならないが、いつか正されることを願う、みたいな。

 朝右衛門はストイックで情が深い。人情話は苦手だけど、ストイックが加われば、べたべたせずさっぱりする。そのうえで、情というものがとても興味深く頭に入ってくる。
 人情の話をするのに情緒のない書き方をするが、それぞれの人物が情報のノードのように見える。
 俯瞰すれば、世の中とか時代とかが大きくて、情報量を持つもの。そのなかの個人はたいした存在ではない。けども土壇場で語られる罪人のいきさつは、人にはどうにもならないという意味で“大きな”因果だとか、システムに由来している。だから大小じゃなく裏表に見える。ひとりのノードは小さいけど、誰もが語る言葉を持っていて、何人ものノードに触れていくと、ネットワークの宇宙っぽいものが浮かんでくる。
 単なる原因と結果である非情な因果と、情との絡み合いがなんとも複雑に感じられる。

 あと、女性の色っぽさが大変に魅力的。河童の新子かわいい。
 もともと喫茶店で読んでて、あとで文庫版を買った。マン喫だと読みたいの読むけど、普通の飲食店だと置いてあるのを読むしかないから意外な作品に出会ったりしますな。マンガ置いてある店、大事。いま住んでるとこにはなくて残念。

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