■疑似科学を叩くのが好きな人は、テーブルをもの凄い悪みたいに言うCSSの人と似てる、場合がある。やってることは正しいかもしれんが、モチベーションのありように変なものを感じる、場合がある。
一個裏にホントのことがあって、一個裏を知ったことが自分にとって大問題で。オカルトの人はみんなが知らない一個裏を見付ける人たちだけど、懐疑論も一個裏みたいなところがあって。って言うこれもまたその一個裏なのかもしれんが。
脱オタに成功した人によるファッション講座にもちょっと似てるかもしれない。ちょっとのコツで改善できる。このメソッドであなたにも外見が、人生がコントロールできるようになる。
さっきスーパーでぼけっと考えたんだけど、山積みの野菜(キュウリとか)をいちいちビニール袋に入れるのはなんだかなあと思ってて。俺はそのままカゴに放り込むんだけど、レジで袋に入れられる。もひとつ意味がわからない。なにかしらの潔癖性ならちょっと気持ち悪い。
あと昔から「お金は誰が触ったかわからないから汚い」とか言ったりするけども、こういう潔癖性って結構タチ悪くないか?
そんで出口んとこに、ナントカ水のサーバーがあって。浄水器ってのも似たようなものじゃないかと思った。誰の手を経たかわからない汚いものも、自分の主体性を持ち込めば綺麗になる、と感じる。カオスっぽい状況が、コントロール下に入る。
浄水というメソッドが一個裏。さらにその裏であるメソッドの詳細はどうでもいい。還元でも磁化でもマイナスイオンでもクラスターがうんちゃらでもいい。オルタナティブなメソッドを使うこと自体が大事。
ゴアの映画と本が話題になったとき、人間は終末が好きなんだなあと思った。そんで、ちょっとのメソッドでコントロールできるってのがもっと好きで。主従で言えば、主なのは気付き、主体性の方で、危機的状況が従なんだろう。危機がデカい方が、主体性の意義が増す。
「覚醒した俺によって世界が分節され秩序を得る」と、みんなが思いたいわけで、そのメソッドの中身はそれぞれ趣味で選んでるだけ、みたいな。覚醒のためにメソッドを探してる。
「俺を覚醒させた知識体系に皆も準じれば世界は秩序を得るのでアナタだけにそっと教えましょう準じない人は正すか排しましょう」って言うとアレだな。
繰り返すが、やってることは正しいかもしれんが、モチベーションのありように変なものを感じる、場合があるって話で。