■森下裕美『大阪ハムレット』2巻
一話一話が濃い。淡々としてるが濃い。1巻にも増して濃い。本当に濃い。現行マンガの至宝のひとつ。
■漫画:矢吹健太朗 脚本:長谷見沙貴『To LOVEる』1巻
単行本化で乳首が書き加えられて話題を呼んだジャンプのマンガ。今さらだけど買ってみました。宇宙から美少女が降ってきてお嫁さんにしてくれと言う、あーアレですよ例の。あまりの新規性のなさに驚いた。絵柄を除けば’80年代の作品でも全然おかしくない。別にけなしてるわけじゃない。ワンパターンでもかまわん。単純に驚いた。ホントに新味がない。おかげで安心して読めるし、この種の作品としては良くできてると思う。
結構前から少年マンガが読めなくなってる。昔買って楽しんだのも、今は1冊読み通せなかったり。中年のツボ・妄想が、中高生のそれと同じである方がおかしいんで、読めなくなって当たり前だと思う。スピリッツも結構つらくなってきた。
それと別に、今のマンガはノリが合わないというのもある。かつてオタだったクセに、べったりオタなマンガはつらい場合がある。昔のオタと今のオタは違うから。
『To LOVEる』は楽しめたから、俺にとって優れてると思った。言うても、2巻目以降は買わないけどね。
昔、2ちゃんで「クラフトワークはテクノじゃなくてエレポップ」という書き込みを見た。言わんとすることはわかる。今のテクノとクラフトワークは違うものだ。けど、「クラフトワークはテクノじゃない」は「JBはファンクじゃない」くらいの猛烈な違和感がある。
「ラムちゃんは萌えキャラじゃない」ってのも同様で。「キャラの自律性」とか理屈はあるのか知りませんけども、俺らはラムちゃんに萌えたのであって。結局のところ「今の若いもんから見るとラムちゃんは萌えキャラに見えない」というだけのことでしかない。
例えば俺は、秋山奈々や堀北真希を見るとどうにも目が離せなくて「この可愛さは異常」と思って「これはもしかして、恋?」とか考えてしまって「ああ、俺はもうどうしたらいいんだろう?」って気持ちになるのだが(答:どうもしてはいけません)、同じような気持ちに2次元でもなることがあって。内容は全く知らんが、アニメ『結界師』のオープニングをそば屋で見ててヒロインに「ほえー」となってしまったり、ちょっと前だと瀬川おんぷさんにズキズキのメロメロにされたりしたが、これは「萌え」でしょう? 厳密な定義は知りませんけど、結界師の人とか、おんぷちゃんがいいと言うのを「萌え」と言っても誰も怒らないでしょう? 同様の感情がラムちゃんにも起きてたんですよ。それを否定されても、起きたものはしょうがない。
左翼系の、例えば現国教師とかが「愛とはなんぞや?」とか言うと引くでしょ? 「愛」ってのは、そもそも定義が曖昧なものだから、何とでも言える。「愛とはこういうものだ」「いやいや、愛はそうとは限らない。わたくしが思う愛とはこうだ」とか。「萌え」だって同じでしょう。「愛とはなんぞや?」がバカみたいだと思うなら「萌え論」だってバカみたいたいなんだよ。
『To LOVEる』が萌え系かってのもアレだけど、グラデーションがひけるわけだから。