■忙がCのでR(嵐山光三郎)。
■雑誌からネットに移った“バカ記事”の主導権 / デジタルARENA
まあ広告の関係もあるんだろうけど、雑誌は余計なことをしなくなった感じがする。
昔は「雑誌は、雑誌の体裁を取らなきゃ」みたいのがあったように思う。「雑誌なんだから、雑多な記事を載せないと」みたいな。エロ本にも新譜・新刊の情報コーナーがあったり。こんなん誰が読むんだみたいな。良かった記事に丸を付けろ的なアンケートじゃ点は取れない記事でも「これを載せとくことに意味があるんだ」っていう考え方が昔はあった。
けど、今はない。余計なことする余裕がなくなったような。スパ写が薄くなったみたいに、短期的なユーザーニーズに寄り過ぎな気がする。
昔、雑誌は情報の発信者として優位に立ってたと思うんだけど、編集方針としてお客様を神様にしてしまうと、優位性を読者に明け渡すことになり、結果的に雑誌の存在意義が損なわれる。これは「雑誌よりネットの方が情報が速い」とか「ネットで誰もが発信者になれるようになった」とかそういうこととは関係なく、単に雑誌を作る側のスタンスの問題だと思う。読者におもねることで、雑誌は自分の優位性を捨てちゃって、スタンスの確保に失敗したんだと思う。優位性は幻想としてでも保持できたはず。
長期的に見て、サービスする側に優位性のない雑誌なんて面白いわけない。雑誌が売れない→短期的に売れる記事に絞る→雑誌つまらない→雑誌売れない、のループのように俺は思う。けど、大多数がどう思ってて、何にならお金を払うのかは知らない。
俺は俺が気に入った雑誌にお金を払いたいんであって、それで足りない分を広告で補ってもらう分にはかまわないが、広告ベースでお金が動いてるのは気持ち悪い。R25にも、もやもやしたものは残るし、デイリーポータルZを手放しで素晴らしいとも言えない。
■リズム天国、秋山奈々、ソニン。
秋山奈々の目の隈が気になる。俺は涙袋に弱い。ソニンのスカートの裾が気になる。スカートの裾は誰でも弱い。
エロ本の新譜情報、プロレス記事面白かったなぁ。。。
エロ本が本来の機能を果たした直後のまったりした精神状態で
ボーっとこういう記事を眺めるのが好きだった。。。
んでこういう時に限って親に見つかったりして「いや、おれは
今プロレスの記事をだねぇ。。」とか凄く言いたくなった。
今、実際に「これを載せとくことに意味があるんだ」っていう
考え方を持ってる編集者って生存しているのだろうか?
てか編集者ってひょっとして雑誌とか作るの嫌いなんじゃないか
とも思える。
最近某EMIの「自称画期的」な新人ミュージシャン発掘企画に
意見を求められた。「エントリーしてくれた人達の中からよさそう
なのをタマゴのうちからウチのプロフェッショナルがプロデュース
してサポートして育てその経過を随時msnで公開して一般からの
投票システムの結果をみてプロデビューさせます」
たぶんこの人達、音楽に興味ないんだろうなとオレは思った。
ロリコン雑誌『ヘイ・バディー』で
高杉弾がレコードとか映画とか紹介してたのを楽しみに読んでたのが
俺の原点みたいに思ってたり、
『写真時代』でトマソン読んで美学校行ったりしたんで、
なんやら複雑なものが。
今雑誌やってる人って、好きで雑誌がやってんのかなあ、みたいな。
某EMIと言えばCCCDとYouTubeの削除要請に熱心なとこっすね。
わぉ『ヘイ・バディー』懐かしい♪
EMIって皆いい印象持ってないみたいね。忌清志郎の反原発ソング
を発売禁止?にしたとかなんとか。
ハナシ変わるけど盆とか帰省しないの?
権利関係うるさいのは全世界的なんだろうけど、
原発は国内で、どっちにしても良い印象は与えがたいよね。
盆は帰んないす。あんまり盆休みとかはっきりしないんす。