■昨日たまたまハルヒを初めて観て、なるほど面白いな、これから観ようかな、と思ったが最終回だったようで。遅かった。で、さっきYouTubeで1話と2話観た。
まったく個人的なことでアレなんだが、前にシナリオ担当したフラッシュアニメの主人公の設定が“日常に退屈して不満げで、周りにろくな男がいないとぼやく、自分は特別だと思ってるオカルトマニアの女の子”だったんで興味深かった。このシナリオで何かを言った気がするんだけど、何を言ったのか自分でわからない。そんで設定似てても、設定の意味が全然違ってる。その違いを見ることが「俺はなぜ、あんな話にしたのか」のヒントになって面白かった。
3本しか観てないから迂闊なこと言わないようにすべきだろうけど、現時点で思うことを書いてしまうと、ヒロインがその場にそぐわない子っていうのが魅力的だと思った。って言うか、すげこまの言う「仲間はずれじゃなく、仲間はずし」的なあり方で、「この場は私にふさわしくない」だけど。
もはや笑いの対象であり終わった人になっちゃったから同意されにくいだろうが、t.A.T.u.の魅力も近いところにあったと思う。
俺は不思議ちゃんに弱い。
また昔話だけども、俺は岡田有希子のダイブに引っ張られたクチで。岡田有希子は不思議ちゃんじゃなかったが、場にそぐわない感じがあった。俺が勝手にそう思ってただけかもしれんが。坂本龍一作曲、松田聖子作詞なんていう、モロに当てに来た曲で実際当たったんだが、岡田有希子本人には前に出ようっていう意志が見えなかった。アイドルとしての岡田有希子は華やかなステージに立ってるが、彼女自身はそこに居ないみたいだった。変な違和感があった。
その空っぽの岡田有希子がダイブして、物体になった。物体は空っぽじゃなく存在感が凄かった。
電線にとまってる鳥の一羽を撃つと、その振動が伝わって他の鳥も落ちるって話がある。ウソだろうけど。なにか場に違和感を感じてた人たちが、日本のあちこちにバラバラにいて、お互い知らないけど、見えない同じ電線に載ってた人たちが、連られて落ちていくように思えた。俺は特に岡田有希子のファンではなかったけど、そんなふうに感じて引っ張られた。
『ICO』のヨルダも、プレイヤー(俺)から見て場にそぐわない人に見えた。「キミはそこに居るべきじゃない」的な。だから俺と逃げよう、俺がなんとかする、みたいな。
警察協会制作の傑作ビデオ『なくせストーカー』でも、ストーカーは、非現実的なまでに純粋な小倉優子に対して「キミはそこに居るべきじゃない」と勝手に思っている。
また例が『すげこま』でなんだかアレだが、ヨシオおにいさんの、えむ子に対する思い、「その子はまるで 捨てられた人形のように夢の島で泣いていた ささくれた都会の中でバラバラにされたきみの心を… そっとぼくは拾った」的なことをDTは思いがちで。
これは類型であって。しかも女子がサブカルチャーの極みになるというのは男社会を前提にしてのことなんで、あんまりいいこととは思えない。「場にそぐわない存在」は、男じゃいけない。男のそれはみっともないだけだ。女の子にだけ許されてるのは、女の子にとっていいことなのか?
そんで不思議ちゃんがいかに魅力的であろうと、おっさんとしては「ボクがなんとかしてあげる」なんて勘違いはさすがにできなくなっていて、現に俺は「不思議ちゃん=萌え」という話を書かなかったし、そういう意味ではハルヒのオチって感情移入できないものだろうなあとは思う。これは若い人向けの話で、俺の話じゃないなと思った。