なにを言っているのかというと

 選挙に行っても意味がないという人がいる。1票入れたところでなんか変わるわけじゃないからだ。1票の力は有権者数分の1しかない。当たり前。意味がないというのはそれが不満だということ。俺様の1票はもっと力を持つべきと思ってる。思い上がりですね。
 デモに行っても意味がないという人がいる。これも一緒。デモは示威行為だ。思うことを表しにいく。意見の表明に意味がないわけがない。意味がないというのは、行ったら即座に変わらなければイヤだということ。ひとりが意見を表明しても変わらない。当たり前。数が増えるほど力は増す。意味がないからと言って参加しなければ数は増えない。自分はその数の1人でしかなく、その数の1人だ。
 政治は政治家が上の方でやるもので、下々には関係ない、下の意見はどうせ反映されないと言って投げるのは、自分が民主主義の主体だとわかってない。選挙に行け、デモに行けということじゃない。システムの中の自分はそういうもんだということ。誰もが世界の有り様に責任を持つ。ちょびっとずつ。
 ゴジラ-1.0の話をしてるんですが、あれはシステムを否定してた。こないだ書いたこれだけども。戦時中は民主主義じゃなかった。否定するのは変じゃない。戦後すぐも民主主義体制が整ってたわけじゃないだろう。それはわかる。でも作品に共感するチャンネルは、「国はあてにならない→俺たちでやる→俺がやる」だと思う。国を外のものとして否定する。最終的に「俺」の力が強い。現代の視聴者がこの感覚を持ってないと感情移入できない。で、俺はできなかった。そういうことです。

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