とりあえず世界中のすべての国民に汎通的に妥当する規則は一つしかない。それは「戦争中は自殺者が減る」ということである。これには例外がない。欧米もアジア圏も含めて、すべての社会集団に共通する自殺率の増減についての法則はこれ以外には何も見つかっていない。
日本に限って言えば、自殺率は社会が変動期に入ると低下し、安定期・停滞期を迎えると上昇するという全般的傾向が指摘できる。
近代史上、日本で自殺率が有意に低い値を示したのは5回ある。
日露戦争(1905-6年)、第一次世界大戦(1914-18年)、日中・日米戦争(1937-45)、ベトナム反戦闘争・全国学園紛争(1964-71年)、バブル経済末期からバブル崩壊期(1989-95年)である。
で、最終的に友愛が足りないんじゃないかってことになってるけど、引用したとこだけ読むと、敵を作ればいいんじゃないかと思いますね。バブルは当てはまらないけど。
ずっと欧米に追い付き追い越せでやってきて、達成されちゃって、でもうまくいかなくなって、もう敵もお手本もないし、日本独自のものもなくなっちゃって、どうもならんって状態じゃないのかな。
■最近は背伸びをしなくなったな、と思ってて、欧米に対するコンプレックスが背伸びの原動力だったのかもな、とか考えてたんで、かこつけて自分の言いたいこと言ってるだけですが。
俺らの世代だと中学くらいから洋楽を聴くやつが出てきてた。優れたもの、新しいものが欧米にあると思ってるから、歌詞はわからんし情報も少ないのに、背伸びして聴き始める。他の連中が知らないものを聴いてる優越感もある。
最近、若い人だと思うけど「洋楽聴く必要を感じない」って書き込みを何度か見て、必要あるとかないとかじゃないだろうと思ったんだけど、まあ実際そうかもしれん。Jポップのクォリティーも上がったんだろうから、背伸びしたところで凄く遠くが見えるわけじゃない。いろいろ細分化されてるから、人が知らないもの知っててもどうってことない。
そもそも背伸びは必要があってやることじゃない。若者のクルマ離れも「必要ないから」とか言うんだけど、昔は必要なくても欲しかったんでしょう。
昔は雑誌が「西海岸の大学生のライフスタイル知ってる?」とかやれば、「なんすかそれ!? 教えてくださいよ!」みたいなことになった。今は「知ってる?」ってやれば「知らない」で終わる。
そういう傾向に雑誌の方が先回りして、即結果が出るお役立ち情報にシフトした。読者のニーズに合わせて「お客様の知りたがってたこと、替わりに調べておきましたんで」みたいになった。読者が知らないことを知ってる兄貴の座を自分で降りた。
兄貴からの情報=背伸びの対象には、日本のものもある。けどやっぱり、欧米に動きがある、離れた日本で欧米に向かって動いてるってのが、太い柱だったんじゃないのかな。
とか、中高生の時に買ったバス釣りの本を読み返してて思った。この本は普通のハウトゥーじゃなく、いろいろ画期的で、まさに中高生の俺が知らないことを吹き込んでくる兄貴だった。
著者は’60年代に相模原基地の米兵を通じてバス釣りを知ったそうだ。日本の釣りとは道具もやり方も違う。それは新鮮だっただろう。PXで釣具を買ってきてくれと頼むと、品揃えが悪いからと本国から取り寄せてくれたそうだ。船便で届く、見たことのない、同級生が誰も持ってない外国の釣具。話聞いててもわくわくする。
俺がバス釣りを始めた30年前、釣具は格段に外国製が優れてた。ダイワやオリムピックみたいな大手も外国製品のパチもんみたいなルアーを出してて、使ってるうちに水が入ってきて沈んだりしてた。リールはスウェーデン・アブ社のアンバサダーが最高だった。
これが10年で逆転した。アブがシマノのマネをするようになった。
バスはアメリカの魚で日本では害魚、トーナメントの規模が全然違う、とかあるけど、道具は国産の勝ちだし「アメリカの釣り」って意識も結構薄れてるだろう。
似たようなことが他にもいろいろあると思う。野球知らないけど、昔は大リーグつったら神みたいなことじゃなかったんすか。
■そんでまた雑誌の話。
雑誌が好きで雑誌の仕事やってたけど(今もちょっとやってるけど)、自分でも雑誌買わなくなっちゃった。今買ってるのはモーニングとブブカだけ。
ミュージックマガジンずっと買ってたけど、俺が知らない「なんすかそれ!?」みたいなことが減ってきて、商売っ気は出てきた。んで買うのやめた。まあ、俺が年食ってスレて鈍ったってのもあるんだけど。
ブブカは余計なことしか載ってないから、ずっと買ってる。芸能人のスキャンダルとかどうでもいい。全く余計。話としてはそれなりに面白い。関わってる人には興味がある。知らなかった話が入ってくる。B級で始まってB級で通してるから、ある意味ウソがない。爽やかに下世話。
俺にとって面白い雑誌は、知らないことを教えてくれる、余計なことをやってる雑誌なんだけど、そういうのは難しいみたいですね。かと言って、お客様のニーズに合わせた雑誌はいつまで保つのかな。そんで、それやってて楽しいのかな。知らないけどユリイカとかも、いいのかなあって思いますね。やたらマンガとか扱うようになって。
一方で「俺が教えてやる」的なトップダウンというか、ブロードキャスト的な編集は、もうかなり難しいと思う。自分が読みたい記事だけ集めた雑誌があればいいな、というのは、ネットじゃRSSリーダーでできちゃってる。個々のユーザーが編集をやってるから、中間のフィルターはいらない。よっぽど優れてたり、ネームバリューがあったりしないと編集は成り立たない。
つーか、ネームバリューに流れるのもどうなんだってのもあるけど。ツイッター始めて有名人フォローしてるのは先祖帰りっぽいというか。まあでも数的にはそっちなんだろうな。
趣味的なものは残ると思う。例えばアームズマガジンは買ってないけどずっと立ち読みしてるし。俺より興味が深い人は買うでしょう。あと出版の本分である文化。儲からなくても意味はある。
出版は縮小しないとしょうがないと思うんだけど、出版以外の業種も縮小してくれないと格差ができちゃうんで。そんで文化に意味があるって思う人が増えないとダメだけど、当の出版社が即物的な商売してたら誰も大事に思わないよな。
欧米がなくても背伸びできるシステムがないと、しんどいなと。