皆様の歌

■東京国立近代美術館に行った。『わたしいまめまいしたわ 現代美術にみる自己と他者』ってタイトルで、なんか学生が考えたみたいな企画だけど、行ったらそれなりかなと思ったら、やっぱ見てるうちにだんだん腹立ってきた。
 牛腸茂雄『SELF AND OTHERS』を全部展示してて、牛腸茂雄は良い悪いは知らんけど、どうも好きなのでこれは良かった。
 
 同じようなことを何度も書きますけども、気になってるのは自意識過剰。
 歌謡曲は皆様のために先生が曲を書き、皆様のスターが歌った。対して「アーティスト」は自分の歌を歌う。ロッカーなんかは特に「俺がギター持っていっちょやるから見れ」ってことで、演劇的要素が強い分音楽じゃない。そんで「着いてこれるヤツだけ着いてくればいい」。皆様のためにはやってないかもしれない。俺様の歌。
 先生が与えてくれるなんてのは、上から目線でもあるので、若者は反発しだす。皆様の歌は俺の歌じゃない。「俺」を託せる俺的なスターの振る舞いを「俺のもの」とする。「俺様の歌」が俺の歌。
 パンクやDTMは端的に、ヘタでも「俺の作品」が出せる状況を作った。タレント(才能)がなくてもスターへの道がある。自分にもやれそうなことをやってる人間が「俺のスター」になる。
 昔『少年スケベマンガ』というサイトで引用した、教育評論家“カバゴン”こと阿部進による『ハレンチ学園』1巻の解説をまた引用する。

 いままでの手塚、石森、白土、ちばてつや、さいとうたかおといった人たちは「いまの子供たちは何をどう好むのか」「どんなものを描けば子供たちは共感してくれるのだろうか」と、いわばおとな側が、子どもたちにマンガを描きあたえる立場であったわけです。
 永井豪は、その受け手の子どもが育って、「子どもはこういうマンガが気にいっているんだ」「読みたいのだ、見たいのだ……」という立場をもって現われた最初の人だといってよいでしょう。(仲間としてはジョージ・秋山が入ります。)
手塚、白土、石森といった作品は、多少の抵抗があっても、おとなにも理解できるものです。時間がたてば「ハアアン、こういうもんだったのかい」というものです。
 ところが永井豪えがく一連の作品、とりわけ「ハレンチ学園」は「わかるやつにはわかるが、わからないヤツにはまったくダメ。時間がたっても変化なし」というマンガなのです。別のいい方で言うと、
「子どもには、一度みたらわすれない、一度読んだらわすれないホイ」といった子どもたちだけに通じるものなのです。そこにはおとなたちに対する、子どもたちの論理が一本ビシッとつらぬいています。
 徹底的に子どもたちのものの見方、考え方の姿勢の上で物語を展開しています。
 おとなたちから、どんなに変な目で見られようと、否定されようと、子どもたちの間に、深く広くひろがっていく強さは、まさに、「子どもによる、子どもの、子どものためのマンガ」の誕生であることを知らせています。
 もし、おとなの人たちがこれをみて「フン、こういうのがいいのかねえ」としたり顔や、わかろうとする努力はしないことです。「くだらん、とんでもないマンガだ」とカッカカッカ怒ってください。
 読者である子どもたちは、自分が否定されたと受け取り、いっしょうけんめいこのマンガを弁護するでしょう。そこでより一層永井豪とはいかなるものかが浮き彫りにされる…わたしはそれが楽しみです。

 そう言えば『ハレンチ学園』復刻されてるみたいなんで、興味ある人は売ってるうちにどうぞ。
 カバゴンの文章は単語を置換すれば、若者が支持するものに大体当てはまる。カッカカッカ怒られてナンボのものを好むことで「俺たちの」感を強める。熱く弁護するとこまでが、あらかじめセットになってる。そういうのを時代時代で繰り返してるだけ。『ハレンチ学園』の時代には、硬直した現体制とかメインカルチャーに対して風穴を開ける意義が期待されただろう。けど、もはやメインもわからない状態に拡散していて、今の「俺たちの感」にはさらに拡散して壁を固める意味しかない。風なんか通らない。
 「趣味、自分」がデフォルトで、お互い相容れないが、「趣味、自分」自体は共通してるからそこで繋がるってのは気持ち悪い。かつてt.A.T.u.が流行ったときに書いたが、男の自意識過剰は受け入れられないが、女の子のそれだけは男女双方から受け入れられる。「大人」「今の世の中」のカウンター、つまり端的な「若者」でいられるのが「少女」で、だから「自分は外れてる」と思ってる連中は、男女問わず少女に仮託する。これを利用する少女もいるが、基本的に不幸だ。
 オタは萌え以降のマンガを「俺たちのマンガ」と思い、少女に仮託し、硬くする。オタ以外もガールポップに仮託し、硬くする。少女はそんなふうに消費される。ガーリーとかはもういいっす。
 アーティストに自意識過剰は付き物かもしれんが閉じてちゃかなわん。絵にしろ、歌にしろ、マンガにしろ、昔のでも今のでも、ナルシシズムが強いのはイヤだな、と思った。つきあう義理がないし。
 「自己と他者」なんてのは鬼門であって、迂闊に踏み込むべきじゃない。そんなテーマをハンパに絡めるから、作品見る上で邪魔にしかならなかった。

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