視覚の記憶

■今の部屋に越して1年半以上経つが、前に住んでた辺りのなんでもない風景が、脈絡もなく浮かんでくることがある。なんとなくあそこにはもう行けないんだなと思ったりする。残念なわけでも懐かしいわけでもない。行けば行けるし、用がないから行かないだけだし。ただ突然ぼんやり浮かぶのが妙で、何かしらのぼんやりした感情は起きる。
 引っ越すたびにこうなる。また引っ越したら、今度はここら辺のなんでもない景色がぼんやり浮かぶんだろう。その記憶が今ぼんやり自覚なく積み重なってるんだと思うと、それもなんか妙だ。

場所とか

■ウチから三鷹へ行くときは、千川上水沿いに西へ行ってから、武蔵野市役所の前を南下する。
 千川上水ってのはこんなん。ちょっとした春の小川。横が畑だったりして、23区内とは思えない呑気さ。
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 武蔵野市役所周辺も、グラウンドや体育館なんかが集まってて晴れやかで、大きな街路樹が並んでる。
 天気のいいとき自転車で走ってると気持ちいい。おいしいもの食べたとか、いい曲を聴いたとか、そんな感じに似たものがある。
 どっか外国の、都市計画と自然保護がしっかりしたところに住んでたら、こんなもんじゃないんだろう。日常受け取るものがかなり違うんだろうなと思ったりする。
 
 単に自然が多いということなら地方に住めば良くて、でもそうせずに、わざわざ都心部に住んでる時点で、自分の中のプライオリティーが低いことになるが。
 いがらしみきお『かむろば村へ』で、主人公のタケが、郷土料理オタクのみんちゃんのところへ行って、飯を食わせてもらうシーンがある。朝、急に押しかけて出てきたのは、里芋の茎の味噌汁と、ご飯と、大根の漬け物。
「オレビンボだけど いいもの食ってるなぁ〜」
「タケちゃんは うまいうまい 言ってくれるから。」
「え? みんなはうまいとか言わない?」
「田舎の人はね、うまい時は黙って食べるの。」
「そう言えばみんな黙って食べてるよね。」
 都会から来たタケと、もともと住んでる人で、ご飯への接し方が違う。うまいとき黙るのは、感覚的にわかる。説明しようとすると、つまんなくなるのでやめとく。
 “田舎では普通の、うまいもの”があるとする。タケがその“ビンボだけどいいもの”を喜ぶのは、都会では普通じゃない珍しいものだからで、もうひとつはタケが田舎を選んで越して来たからだ。都会を選ぶ人は、田舎に当たり前にあるいいものとは違ういいものを求めて都会にいるわけだから。
 あれ? 引用までしといて、何が言いたくてこの部分を書き始めたのかわからなくなってしもた。
 
 あんまり関係ないけど、最近“パワースポット”って言葉をよく目にする。なんか「元気もらいました」に繋がる気がして感じ悪い。
 前も書いたけど「元気もらいました」ってもともと、歌手とかスポーツ選手とかが、ファンに対して言う言葉だったんじゃないかな。本人に届いてるのか、意味があるのかわからない応援に対して、届いてますよ、あなた方の声援があるから私は輝けるのですよと。
 ファンの側が「元気もらいました」って言うと、主従というか上下が逆転する。「あなたの行動や作品は、この私の得になりました」になる。あんた何様で、なんでいちいち損得に勘定するのかと。
 昔から作品や有名人の行動に勇気付けられることはあっただろうけど、こんな気持ち悪い言い方してなかったと思うなあ。
 そんでパワースポット。そこへ行くと気分が良かったり、神妙な気持ちになったりする場所はある。そこで感じるのは大きな存在に対する畏敬の念だと思うが、その辺が軽くて、元気もらったり癒されたりの、“私の得”に収められてる気がする。

江ぐち→みたか

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■今年の頭に閉店した三鷹のラーメン屋、江ぐちが、“みたか”の名で復活したんで行ってきた。閉店のとき書いたのはこれ
 ちょっと行列できてて、並ぶの嫌いだから一回出たんだけども、実は前の日も来てて、3時くらいまでやってるだろうと思ったら2時で終わってて食えなくて、ここで帰ったら二日連続何しに三鷹まで来たんだかわからんので並んだ。食った。うまかった。満足。
 若い人4人でやってた。オープニングで忙しいから一時的なヘルプの人もいるのかな。
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 スープ品切れで張り紙出したり。こんなん見たことなかった。調度昼の時間が終わる頃だったけど。
 三鷹に住んでた20年前の江ぐちは、カウンターだけのラーメン屋が普通そうであるように、どちらかと言えば殺伐としてた。今みたいに店員の方からフレンドリーにギャグ飛ばしてくるなんてことはなかった。昔は昔で良かったし、今は今で良い。
 すっかり若い人に入れ替わって、また違うことになりながらも、こういう小っこい店が続いていくのは凄いなあと思って、チャーシュー食いながらちょっと泣けてきた。

背伸び

Twitter と自殺について (内田樹の研究室)

とりあえず世界中のすべての国民に汎通的に妥当する規則は一つしかない。それは「戦争中は自殺者が減る」ということである。これには例外がない。欧米もアジア圏も含めて、すべての社会集団に共通する自殺率の増減についての法則はこれ以外には何も見つかっていない。

日本に限って言えば、自殺率は社会が変動期に入ると低下し、安定期・停滞期を迎えると上昇するという全般的傾向が指摘できる。
近代史上、日本で自殺率が有意に低い値を示したのは5回ある。
日露戦争(1905-6年)、第一次世界大戦(1914-18年)、日中・日米戦争(1937-45)、ベトナム反戦闘争・全国学園紛争(1964-71年)、バブル経済末期からバブル崩壊期(1989-95年)である。

 で、最終的に友愛が足りないんじゃないかってことになってるけど、引用したとこだけ読むと、敵を作ればいいんじゃないかと思いますね。バブルは当てはまらないけど。
 ずっと欧米に追い付き追い越せでやってきて、達成されちゃって、でもうまくいかなくなって、もう敵もお手本もないし、日本独自のものもなくなっちゃって、どうもならんって状態じゃないのかな。
 
■最近は背伸びをしなくなったな、と思ってて、欧米に対するコンプレックスが背伸びの原動力だったのかもな、とか考えてたんで、かこつけて自分の言いたいこと言ってるだけですが。
 
 俺らの世代だと中学くらいから洋楽を聴くやつが出てきてた。優れたもの、新しいものが欧米にあると思ってるから、歌詞はわからんし情報も少ないのに、背伸びして聴き始める。他の連中が知らないものを聴いてる優越感もある。
 最近、若い人だと思うけど「洋楽聴く必要を感じない」って書き込みを何度か見て、必要あるとかないとかじゃないだろうと思ったんだけど、まあ実際そうかもしれん。Jポップのクォリティーも上がったんだろうから、背伸びしたところで凄く遠くが見えるわけじゃない。いろいろ細分化されてるから、人が知らないもの知っててもどうってことない。
 
 そもそも背伸びは必要があってやることじゃない。若者のクルマ離れも「必要ないから」とか言うんだけど、昔は必要なくても欲しかったんでしょう。
 
 昔は雑誌が「西海岸の大学生のライフスタイル知ってる?」とかやれば、「なんすかそれ!? 教えてくださいよ!」みたいなことになった。今は「知ってる?」ってやれば「知らない」で終わる。
 そういう傾向に雑誌の方が先回りして、即結果が出るお役立ち情報にシフトした。読者のニーズに合わせて「お客様の知りたがってたこと、替わりに調べておきましたんで」みたいになった。読者が知らないことを知ってる兄貴の座を自分で降りた。
 兄貴からの情報=背伸びの対象には、日本のものもある。けどやっぱり、欧米に動きがある、離れた日本で欧米に向かって動いてるってのが、太い柱だったんじゃないのかな。
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 とか、中高生の時に買ったバス釣りの本を読み返してて思った。この本は普通のハウトゥーじゃなく、いろいろ画期的で、まさに中高生の俺が知らないことを吹き込んでくる兄貴だった。
 著者は’60年代に相模原基地の米兵を通じてバス釣りを知ったそうだ。日本の釣りとは道具もやり方も違う。それは新鮮だっただろう。PXで釣具を買ってきてくれと頼むと、品揃えが悪いからと本国から取り寄せてくれたそうだ。船便で届く、見たことのない、同級生が誰も持ってない外国の釣具。話聞いててもわくわくする。
 俺がバス釣りを始めた30年前、釣具は格段に外国製が優れてた。ダイワやオリムピックみたいな大手も外国製品のパチもんみたいなルアーを出してて、使ってるうちに水が入ってきて沈んだりしてた。リールはスウェーデン・アブ社のアンバサダーが最高だった。
 これが10年で逆転した。アブがシマノのマネをするようになった。
 バスはアメリカの魚で日本では害魚、トーナメントの規模が全然違う、とかあるけど、道具は国産の勝ちだし「アメリカの釣り」って意識も結構薄れてるだろう。
 似たようなことが他にもいろいろあると思う。野球知らないけど、昔は大リーグつったら神みたいなことじゃなかったんすか。
 
■そんでまた雑誌の話。
 雑誌が好きで雑誌の仕事やってたけど(今もちょっとやってるけど)、自分でも雑誌買わなくなっちゃった。今買ってるのはモーニングとブブカだけ。
 ミュージックマガジンずっと買ってたけど、俺が知らない「なんすかそれ!?」みたいなことが減ってきて、商売っ気は出てきた。んで買うのやめた。まあ、俺が年食ってスレて鈍ったってのもあるんだけど。
 ブブカは余計なことしか載ってないから、ずっと買ってる。芸能人のスキャンダルとかどうでもいい。全く余計。話としてはそれなりに面白い。関わってる人には興味がある。知らなかった話が入ってくる。B級で始まってB級で通してるから、ある意味ウソがない。爽やかに下世話。
 俺にとって面白い雑誌は、知らないことを教えてくれる、余計なことをやってる雑誌なんだけど、そういうのは難しいみたいですね。かと言って、お客様のニーズに合わせた雑誌はいつまで保つのかな。そんで、それやってて楽しいのかな。知らないけどユリイカとかも、いいのかなあって思いますね。やたらマンガとか扱うようになって。
 
 一方で「俺が教えてやる」的なトップダウンというか、ブロードキャスト的な編集は、もうかなり難しいと思う。自分が読みたい記事だけ集めた雑誌があればいいな、というのは、ネットじゃRSSリーダーでできちゃってる。個々のユーザーが編集をやってるから、中間のフィルターはいらない。よっぽど優れてたり、ネームバリューがあったりしないと編集は成り立たない。
 つーか、ネームバリューに流れるのもどうなんだってのもあるけど。ツイッター始めて有名人フォローしてるのは先祖帰りっぽいというか。まあでも数的にはそっちなんだろうな。
 趣味的なものは残ると思う。例えばアームズマガジンは買ってないけどずっと立ち読みしてるし。俺より興味が深い人は買うでしょう。あと出版の本分である文化。儲からなくても意味はある。
 出版は縮小しないとしょうがないと思うんだけど、出版以外の業種も縮小してくれないと格差ができちゃうんで。そんで文化に意味があるって思う人が増えないとダメだけど、当の出版社が即物的な商売してたら誰も大事に思わないよな。
 
 欧米がなくても背伸びできるシステムがないと、しんどいなと。

江ぐち

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■三鷹のラーメン屋、江ぐちが今月いっぱいで閉店ということで行ってきた。いつもどおり、チャーシューお皿で、ビール小瓶。あとから五目そば。
江ぐちのことは前に書いたことがある。上石神井に引っ越して自転車で行けるようになったんだけど、ちょっと遠いし、貧乏で外食を控えてることもあって数回しか行ってない。いつでも食べに行けると思ってたのに残念。来週も行くつもりだけど流石に混むだろうなあ。
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’86年の江ぐち。このときはビルに入る前の仮店舗で、私は本来の江ぐちを知らない。
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上のリンク先にある『小説 中華そば「江ぐち」』のもとの本。タイトルは『近くへ行きたい。』で、“江ぐち”を含む以下の部分はサブタイトル。序文にこうある。

<…>
別に江ぐちでなくともよかったんです。たまたま江ぐちだったわけで、「たとえば江ぐちの場合」なわけです。
近所のお店、ということです。近くにあるからというのが一番大きな理由で行くお店ということです。だけどその店に行くのがなんか楽しいという。それがたまたまボクの場合江ぐちなんです。
誰にでもあるでしょう、そういう店の一軒や二軒。少なくとも小さい頃は絶対あったでしょう。駄菓子屋とか。最近はシブイ駄菓子屋も少なくなったから、パン屋かな。もう少し大きくなって、クラブの帰りにいつもアイスクリームをなめる店とか。店の前にぐじぐじたまって。コロッケを買い食いする店とか。
そういうのの延長というか、そういうものなわけです。ただ、昔話というんじゃないんだけど。
<…>
では、これからボク、堂々と江ぐちのラーメンを食べてきます。君も堂々とこの本を読んだら、近所のお店へ行ってくれたまえ。

上京して1年目の’86年頃、高校の同じサークルの友達3人が三鷹に住んでた。このエッセイがきっかけになって、俺らにとっても江ぐちは地元の楽しい場所になってた。
当時三鷹に『ゲームセンター・にのたか』ってのがあって、入り口で揚げ物を売ってた。昼頃起きたら、ここで『にのたかウイング(手羽先の揚げ物)』とか買って、おばちゃんに「お釣り40万円」とか言われて、店内の自販機のドクターペッパー(この自販機にはドクターペッパーしか入ってない)を飲みながら食うのを、俺らは「にのたかモーニング」と呼んでた。で、江ぐちは“ディナー”の扱いになっていた。
にのたかは再開発の頃なくなって、江ぐちもとうとうなくなる。
江ぐちは、ラーメン通みたいな人がよそから来てあーだこーだ言うようなもんじゃない。地元の味。江ぐちはなくなるし、俺はもう三鷹に住んでないし、今の地元で楽しいところを見付けなきゃいけないんだけど、まあやっぱり、にのたかとか江ぐちみたいな店はなかなかないよ。だから江ぐちは愛されたわけで。なんとか存続してくれればいいんだけど。

*追記
江ぐちは『みたか』に受け継がれました。こんな感じ

コロッケ

■ひとり暮らしの自炊で、栄養バランス考えてバラエティーに富んだもの作ろうとすると、あんまり安くなんない。
 4人家族として、4人分のコロッケを作るのは大変だけど、かかるコスト(手間と材料費)は4倍にはならない。仮に3倍だとすると、ひとり分合理化されたことになる。
 そんで、コロッケ作るの好きな人が、店を出すことにする。町のみんなの分を作ればさらに合理化できる。
 全国やら世界やらの分を作ればもっと合理化できる。けど全国やら世界やらの食品メーカーを相手にしなきゃいけないので大変。その合理化競争に勝利したとしても、「コロッケ作るの好きだから」は、どっか行っちゃってる。
 
 食べ物の場合「手作りの」がウリになる。手間暇にお金を払ってもらえる。なので合理化した大手メーカーと小規模な店が共存できる。
 金物の場合、工芸品のヤカンには高い値段が付けられるけど、普通の値段のヤカンにかけた普通の手間暇にはお金を払ってもらえないかもしれない。中国で安く作れるから。
 企業努力で品質そのまま値段を下げるのも限界あるから、削れる部分は削ったりすると、高級品でも格安でもない普通にいいものが減っていく。
 物でもソフトでも「キャッチコピーに謳えるようなことじゃないが、ここんとこはちゃんとしとかないといけない」みたいなことがある。そういう普通のヤカンの普通のこだわりが削られると、働く側はしんどい。
 俺の仕事だと、今後電子出版がどんどん出るとして、たぶん低価格だろうから、「組版とかどうでもいいよ」とか、そこんとこの手間暇が合理化対象になる。っていうか「組版って何?」みたいな人が担当かもしれない。
 
 西友のコロッケは49円なので、100円の手作りコロッケも厳しいかもしれない。ファミレス業界ひとり勝ちのサイゼリヤの社長が「手作りとかいらん、同じ味が確実に出せる工場の方が、おいしいものができる」みたいなことを言ってたんで、手作りの立場も危うい。特別おいしければ300円でも売れるんだけど、なかなかそうはいかない。コロッケ屋を閉めて働きに出てみると、無駄なく回転する会社は何を作って誰に売ってんだかわからんし、どうであってもそんなに変わらん。
 
 やっぱりコロッケ作りが好きなので、タダで配って、みなさん食べてください、おいしいって言ってくれる人がいれば僕は満足です、みたいなことになって、なんならコロッケでお金をもらうのは間違ってるみたいなところまでいって、食ってる人がそれ言ってたら腹立つけども、作った人が言うのはわかるんで、仕事ってなんだろなー、みたいな。

ブラジルフェスティバル

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ブラジルフェスティバル今年も行ってきた。上はカポエイラの方々。観客が多くて闘ってる人があんまり見えないんだけど、音がいいんすよ。単純なコーラスが延々続くなか、断続的に言葉を乗っけていく。ポル語わかんないけど応援的なことなのかな。左側の人がその役やってて声も顔も良かった。
 

 
 ソーセージの屋台で突如サンバの演奏が始まれば、人が集まって歌い踊る。こういうの日本だとちょっと考えられない。羨ましい。
 もうちょっと様子が良くわかるのも撮れたんだけど、一般のお客さんの顔がアップで映っちゃってて動画でバッチリさらすのもアレなんで。揺れる腰を後ろからご鑑賞ください。
 最初は外で演奏してたんだけどダメって言われて、だからテントの中でやってるが、それでも怒られたからもうやめるしかない、みたいなことをこのあと言ってた。これ、なんとかなんないんすかねえ。踊れない俺も、見て聴いてるだけで楽しいのになあ。