おちけん

おちけん (アクションコミックス)川島よしお『おちけん』。落語入門的な要素を持たせた4コマ。かなりの意欲作なのでは。
 作者は落語が好きみたいだから今度の舞台は落語研究会なんだな、でもまあ4コマは4コマだしな、くらいのつもりで読み出したら、文化系部活モノをしっかりやってて驚いた。前半はストーリーが強くて「もう4コマじゃない方がいいんじゃないの?」と思ったくらい。でも落ち着いた構図が良かったりする。こういう絵は4コマだから許されるんだよなあ。
 後半からわりと普通の4コマになって、これはこれで楽しいんだけど、折角いい話なんでラストに向けて徐々に盛り上がる構成がないのはもったいない気がした。ラスト自体は非常にいいんですよ。
 落語を知らない人にキモを伝える配慮が、凄く丁寧な感じがする。単に落語をネタにしたマンガではなく、学習マンガかエッセイマンガ的に単に落語を紹介するものでもなく、両方気合い入って一体になってる。俺は落語知らなくて、ちょっと興味あって、調度ターゲットになるような人間で、楽しく読めた。相変わらず絵うまいし、女の子かわいいし。

かむろば村へ

いがらしみきお『かむろば村へ』4巻読んだ。
 最終巻。ある意味聖者みたいな主人公が、聖域の村で暮らす話だったが、悪人やら欲深いのやら出てきて、街にも出てって、予想外にややこしく展開した。
 予想外と言えば、あとがき。どういうつもりで書いたどういう話か、作者自身が文章できっちり説明してるのに驚いた。この手の作者のメッセージって、読んでこっちが受けた印象とズレみたいのがあって、「ふうん」とか思って参考にはするけど若干遠い感じが普通はする。けど、このあとがきはこれ以上のものはない感じで、しかも種明かしされたことで損した気がまるでしない。
 こないだ読んだ仏教の本は執着を捨てろと言う。ヨサブロも自分を捨てろと言う。けど神様である“なかぬっさん”は、どうせおまえらは何かしてしまうからやり続けろと言う。じたばたせずにあるがままを受け入れることは、神様にしかできないとも取れる。凄い肯定の仕方で、作品中の悪人も根本的に否定されない。
 あとがき含めて余韻が残る、大変に面白いマンガだった。

中春こまわり君

山上たつひこ『中春こまわり君』 読んだ。
 小中学生の頃『がきデカ』に大喜びし、’90年頃再開された『がきデカ ファイナル』が大好きな俺としては、読み始めてまず、ギャグにキレがないことにがっかりした。こまわり君も老いたが、それ以前に作者が老いたと思っていったん本を置いた(俺もキレがない)。けども読み進めてみると、ギャグはともかくマンガは面白い。
 バカボンパパは中身が小学生のおっさんで、こまわりは中身がおっさんの小学生。どっちも同じことで、この立場が最強。
 今回のこまわりは、ときどき昔ながらのギャグをかます以外は極めてまともなキャラになってる。むしろ周りのキャラがおかしい。話を俯瞰する立場にいる。社会人として父として、役割を背負ったこまわりにギャグの破壊力を期待するのはムリだろう。けど、そこから描ける大人の話がある。
 ’87年頃の『主婦の生活』がこれまた大好きな俺としては、この人ならではの機微のある話が楽しめて面白かった。小説家に転向する前の山上たつひこは絵的にも話的にも凄い良くって、そこからの衰えはまるで感じない。マンガ描くのしんどくて小説家になったのかもしんないけど、もっとマンガ描いてほしい。

かむろば村へ

いがらしみきお『かむろば村へ』3巻
 多治見のイヤさがイヤすぎる。
「なにも買わない なにも売らない ただ生きて行く」って出家者みたいだな。村長も「自分を捨てろ」ってずっと言ってるし。
 連載はもう終わってるそうで。「なんでも解決するが、思うようには解決しない」んだろうか。楽しみ。

『地平線でダンス』

柏木ハルコ『地平線でダンス』 5巻。完結。『タイタンの妖女』を思い出したりもした。
 
 ファンのクセに、俺はこの人の作品がわかってなかった。
 タイムマシンを扱うSFって設定は、キャッチーでフックもある。けども今風のリアリティーと、動物に憑依とかマンガ的荒唐無稽さとのギャップが大きかったり、先が予測できなさすぎて感情移入しにくかったり。『鬼虫』同様「これは一体何の話なんだろう」みたいな疑問符がついてまわる。『鬼虫』ほどじゃないけど結構変な話に感じた。
 終盤はややこしいんで、連載で間を空けて読むと話に入っていきづらかった。単行本でまとめて読み直せば面白かったけど、まだピンと来てなかった。1回目は。
 
 『鬼虫』読み返してみて、ついでに『ブラブラバンバン』の映画を借りてきて、そんでまたついでに『ブラブラバンバン』読み返して、この2作品は比較的好きじゃなかったんだけど面白くて、ちょっとわかった気がして、この人の長編は構成要素が似てるなと思った。
・強い動機で話を推し進めるキャラ
・巻き込まれる気弱なキャラ
・引っかき回すキャラ
・あと、異常/才能
 これが作品ごとにキャラとか設定とかに割り振られてる感じ。『ブラブラバンバン』だと推し進めるのも引っかき回すのも異常も才能も、芹生さん。
 『地平線でダンス』の場合、推進力を持ってるのは主人公の琴理。最初の事件のあと状況をなんとかするため推進力を発揮する。一方、竜ヶ崎は事件で折れて停滞した。竜ヶ崎は琴理の反転みたいなとこがあって、逆だけど近い。本来は推進力を持ってる。ナナには推進力が全くない。引っかき回すキャラ。けど、ナナと琴理にも反転みたいなとこがある。
 とか、強引に当てはめて分かった気になってもしょうがないんだが、これで俺的には柏木ハルコ作品が読みやすく、より楽しめるようになった。要は設定に惑わされず(ってのも変だが)人物の間の話を読めばよかったんだな。
 SFの筋を追うんじゃなく、3人の心情に入って読み直して、やっとどういう話かわかった。この作品は3角関係に似たもの、ラブストーリーに似たもので、それがSFの設定でとんでもなくスケールがデカくなってる。SFとしてのスケールじゃなく、人関係の話のスケールが。うわー、面白い!
 って、みんなは普通に読めてるんだよな。なんか俺のアタマにある定形と、この人の話の作り方にズレがあって障壁できてたんだろうな。
 
■障壁あってもファンだったのは、わからんなりに、この人の作るドラマは他とレベルが違うと感じてたから。まるでシミュレーションみたいに見える。
 こういう設定がある。こういうキャラがいる。設定の中にキャラを泳がせてみる。観察して記述する。
 重要なのは、環境が違えば行動が変わること。普通、熱血キャラはどこへ行っても熱血だが、器用なエリートである竜ヶ崎は、つまずいて底辺みたいになる。『よい子の星』では、都会で変人の主人公が、田舎じゃ楽しい人気者になる。
 「このキャラをこう動かそう」的な話作りだと、キャラは物語のコマとして、作者の意図で動く。話を進めるのは作者ひとりの意志。人ひとりが思い付くものは知れてる。
 これが「このキャラはどう動くだろう」だと、行動規範は作者の外にある。言うても考えるのは作者だし、作者が思い付かないものは描けないんだけど、「どう動くか」は外から(あるいは意識下から)呼び込まれる。キャラごとに違う行動規範を持つ。規格の違う歯車がぎくしゃく回る、その隙間に話がある。キャラごとのズレは解消されず、全体がズレを許容していく。
 琴理と竜ヶ崎、ふたりで論文をまとめるのに熱中するシーンがある。論文の著者はこのふたりだけど、書かれる理論は外にあらかじめ存在してる。このシーンみたいに作者は編集か設定アドバイザーと話し、アタマぐるぐるさせながら物語を外から呼んで作品に定着してるのかなと想像したりする。

黒田硫黄『大金星』

大金星 (アフタヌーンKC)黒田硫黄『大金星』。短編集。
 6話続く『ミシ』で大笑い。アパートの隣の部屋に、愛嬌のある怪物げなものが住んでる藤子不二雄的なシチュエーション。何がおもろいのかわからんし、もしかしたら他の人はそんなには可笑しくないのかもしれんが、久々にマンガで凄い笑った。
 この人のマンガは、時間の一部を切り取ったような感じがある。マンガの前にも時間があるし、マンガのあとにも時間がある。あちこちで、ずっと続く世界の中の、たまたまこの場所、この時間にカメラが入ったような。
 関連して、人の縁が濃くない。普通、話というのは濃い縁で織るものだと思うが、黒田硫黄の場合、深まらない縁は深まらない。たまたま糸が交わった箇所、結び目ほど固くない瘤みたいなものを取り出して話にしてる感じがする。風通しがいいと言うか、空気が抜けると言うか。これで話としてちゃんと面白いのが不思議。まあ、そういうのばっかでもないし、誇張して言ってますけど。
 
 こないだから、テーマドリブンとか意志ドリブンとか言ってるが、強力なエンジン1基で目標に向けて真っ直ぐ駆動するような作品って面白くなりにくいと思う。そういう暑苦しさに対して、外から風が入ってきたり、粘ったり佇んだり跳ねたりバラけたりする作品は、ガツンと来にくい一方で、覗き込む方向がいっぱいあって楽しい。その方がリアルだし、不出来があっても愛せる。

カラスヤサトシ『おのぼり物語』

おのぼり物語(バンブーコミックス) (バンブー・コミックス)カラスヤサトシ『おのぼり物語』
 単行本出た。オススメです。作者がマンガ家になるまでの話。
 29歳の誕生日を前に、マンガ家を目指し、何の当てもなく上京してくる。しかもバイトもアシスタントもしないと誓いを立てて(『カラスヤサトシ 2』に書いてあった)。マンガの仕事がまともにあるわけじゃない。誰とも会わない日が続く。なかなかヘビーな状況だが、基本4コマ形式だし、のんびりしてる。ラストの方は本当にシリアスだけど。
 こういう、おもろ哀しい話って昔はわりとあった気がする。“ペーソスギャグ”って言葉を思い出した。上京がテーマになること自体、昔風かも。かと言って古臭くない。今のマンガ。いい味出てます。