■柏木ハルコ『地平線でダンス』 5巻。完結。『タイタンの妖女』を思い出したりもした。
ファンのクセに、俺はこの人の作品がわかってなかった。
タイムマシンを扱うSFって設定は、キャッチーでフックもある。けども今風のリアリティーと、動物に憑依とかマンガ的荒唐無稽さとのギャップが大きかったり、先が予測できなさすぎて感情移入しにくかったり。『鬼虫』同様「これは一体何の話なんだろう」みたいな疑問符がついてまわる。『鬼虫』ほどじゃないけど結構変な話に感じた。
終盤はややこしいんで、連載で間を空けて読むと話に入っていきづらかった。単行本でまとめて読み直せば面白かったけど、まだピンと来てなかった。1回目は。
『鬼虫』読み返してみて、ついでに『ブラブラバンバン』の映画を借りてきて、そんでまたついでに『ブラブラバンバン』読み返して、この2作品は比較的好きじゃなかったんだけど面白くて、ちょっとわかった気がして、この人の長編は構成要素が似てるなと思った。
・強い動機で話を推し進めるキャラ
・巻き込まれる気弱なキャラ
・引っかき回すキャラ
・あと、異常/才能
これが作品ごとにキャラとか設定とかに割り振られてる感じ。『ブラブラバンバン』だと推し進めるのも引っかき回すのも異常も才能も、芹生さん。
『地平線でダンス』の場合、推進力を持ってるのは主人公の琴理。最初の事件のあと状況をなんとかするため推進力を発揮する。一方、竜ヶ崎は事件で折れて停滞した。竜ヶ崎は琴理の反転みたいなとこがあって、逆だけど近い。本来は推進力を持ってる。ナナには推進力が全くない。引っかき回すキャラ。けど、ナナと琴理にも反転みたいなとこがある。
とか、強引に当てはめて分かった気になってもしょうがないんだが、これで俺的には柏木ハルコ作品が読みやすく、より楽しめるようになった。要は設定に惑わされず(ってのも変だが)人物の間の話を読めばよかったんだな。
SFの筋を追うんじゃなく、3人の心情に入って読み直して、やっとどういう話かわかった。この作品は3角関係に似たもの、ラブストーリーに似たもので、それがSFの設定でとんでもなくスケールがデカくなってる。SFとしてのスケールじゃなく、人関係の話のスケールが。うわー、面白い!
って、みんなは普通に読めてるんだよな。なんか俺のアタマにある定形と、この人の話の作り方にズレがあって障壁できてたんだろうな。
■障壁あってもファンだったのは、わからんなりに、この人の作るドラマは他とレベルが違うと感じてたから。まるでシミュレーションみたいに見える。
こういう設定がある。こういうキャラがいる。設定の中にキャラを泳がせてみる。観察して記述する。
重要なのは、環境が違えば行動が変わること。普通、熱血キャラはどこへ行っても熱血だが、器用なエリートである竜ヶ崎は、つまずいて底辺みたいになる。『よい子の星』では、都会で変人の主人公が、田舎じゃ楽しい人気者になる。
「このキャラをこう動かそう」的な話作りだと、キャラは物語のコマとして、作者の意図で動く。話を進めるのは作者ひとりの意志。人ひとりが思い付くものは知れてる。
これが「このキャラはどう動くだろう」だと、行動規範は作者の外にある。言うても考えるのは作者だし、作者が思い付かないものは描けないんだけど、「どう動くか」は外から(あるいは意識下から)呼び込まれる。キャラごとに違う行動規範を持つ。規格の違う歯車がぎくしゃく回る、その隙間に話がある。キャラごとのズレは解消されず、全体がズレを許容していく。
琴理と竜ヶ崎、ふたりで論文をまとめるのに熱中するシーンがある。論文の著者はこのふたりだけど、書かれる理論は外にあらかじめ存在してる。このシーンみたいに作者は編集か設定アドバイザーと話し、アタマぐるぐるさせながら物語を外から呼んで作品に定着してるのかなと想像したりする。
投稿者: ふじり
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『地平線でダンス』
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黒田硫黄『大金星』
■黒田硫黄『大金星』。短編集。
6話続く『ミシ』で大笑い。アパートの隣の部屋に、愛嬌のある怪物げなものが住んでる藤子不二雄的なシチュエーション。何がおもろいのかわからんし、もしかしたら他の人はそんなには可笑しくないのかもしれんが、久々にマンガで凄い笑った。
この人のマンガは、時間の一部を切り取ったような感じがある。マンガの前にも時間があるし、マンガのあとにも時間がある。あちこちで、ずっと続く世界の中の、たまたまこの場所、この時間にカメラが入ったような。
関連して、人の縁が濃くない。普通、話というのは濃い縁で織るものだと思うが、黒田硫黄の場合、深まらない縁は深まらない。たまたま糸が交わった箇所、結び目ほど固くない瘤みたいなものを取り出して話にしてる感じがする。風通しがいいと言うか、空気が抜けると言うか。これで話としてちゃんと面白いのが不思議。まあ、そういうのばっかでもないし、誇張して言ってますけど。
こないだから、テーマドリブンとか意志ドリブンとか言ってるが、強力なエンジン1基で目標に向けて真っ直ぐ駆動するような作品って面白くなりにくいと思う。そういう暑苦しさに対して、外から風が入ってきたり、粘ったり佇んだり跳ねたりバラけたりする作品は、ガツンと来にくい一方で、覗き込む方向がいっぱいあって楽しい。その方がリアルだし、不出来があっても愛せる。 -
カラスヤサトシ『おのぼり物語』
■カラスヤサトシ『おのぼり物語』
単行本出た。オススメです。作者がマンガ家になるまでの話。
29歳の誕生日を前に、マンガ家を目指し、何の当てもなく上京してくる。しかもバイトもアシスタントもしないと誓いを立てて(『カラスヤサトシ 2』に書いてあった)。マンガの仕事がまともにあるわけじゃない。誰とも会わない日が続く。なかなかヘビーな状況だが、基本4コマ形式だし、のんびりしてる。ラストの方は本当にシリアスだけど。
こういう、おもろ哀しい話って昔はわりとあった気がする。“ペーソスギャグ”って言葉を思い出した。上京がテーマになること自体、昔風かも。かと言って古臭くない。今のマンガ。いい味出てます。 -
FinePix F50fd
■FinePix F50fd買った。出たときは文句言ったけど型落ちで1万5000になったからいいかと。アマゾンの写真貼ってるが、実際に買ったのは価格.comの比較で送料込み実質最安だったイートレンド。
Lumix DMC-FX7からの買い換え。FX7はもともと電池の保ちが悪い上に、ちゃんと充電されないことがあったり、勝手に電源入ったり、信用できない感じ。
F100fdも値頃感が出てきて、28ミリからのズームとダイナミックレンジ拡張が魅力だが、操作性悪いらしいんでやめた。
他のもいろいろ検討したけど、サンプル画像の細部を見れば見るほど、どうでもよくなってくる。大した差はない。むしろ縮小したとき、発色や階調に不自然さが少ない方が重要。その点F50fdは良好に思えた。
画素数だけ多くてもレンズとエンジンがヘボいとしょうがないが、dpreviewのテストだとPowerShot G9を超え、APS-Cの一眼に迫る勢い。実際に500万画素のFX7と撮り比べると、なるほど精細で階調も出てる。ただし、歴然と差を感じるってほどでもない。コンデジはコンデジ。総合的な画質は400万画素の時代に一定成熟して、それからあんまり進歩してない気がする。
1200万画素を活かすには、手ブレにかなり気を付けなきゃいけない。少しでもブレたりボケたりすれば意味がなくなる。コンパクトはホールドしにくくブレやすい。のだが手ブレ補正があまり効かない。せいぜいシャッター1段分くらいか。この機種に限らず、コンパクトのCCDシフトは効きが悪いらしい。
手ブレ補正をオンにすると「ダブル効果」で積極的に感度を上げてくる。感度を固定すればいいんだけど、明暗に合わせていちいち変えなきゃいけなくなる。FX7の場合は高感度画質が悪いからISO 100固定にしてたが、レンズ内手ブレ補正は2〜3段分効くんで問題なかった。同じ利便性をF50fdに求めると感度オートにしたくなる。そんで、感度が上がると描写が崩れて画素数多い意味がなくなる。
・【伊達淳一のデジタルでいこう!】富士フイルム「FinePix F50fd」(試作機) 〜F31fdの真の後継機たり得るのか?
6M記録ISO 400同士で比べると、F31fdの方が綺麗だ。やっぱF31fd買っとくべきだったかなあという気も。画素数増やせば感度が落ち、コンパクトにすれば電池の保ちが悪くなる。あちらを立てればこちらが立たず、一進一退少女隊。SDカード使えて、液晶見やすくなってるからまあいいか、みたいな。
撮像素子のサイズが全然違うのに一眼レフとコンパクトの画素数が同じってのもバカに合わせた物作りで。1200万画素あればA4の350dpi出力ができるから、ここまではわからんでもないけど、既に1450万画素機が出ちゃってる。画素数は1200万で打ち止めにして、ISO 400で等倍鑑賞に耐える画質を目指してほしいなあ。カタログスペック的に訴求力は弱いんだろうが、特殊なニーズではなく誰にでもメリットがあると思うっていうか、コンパクトにこれ以上の解像度を求める方が特殊だと思うんだが。技術的ブレイクスルーがあって、感度が犠牲にならないなら別だけど。
■以下、購入を考えてる人向け、細かい話。 -
ブラジルフェス
■ブラジルフェスティバル行ってきた。年々賑やかになってる。なんか食おうとすると結構並ぶのがつらし。けど、並んでる間、横にサンバで盛り上がってる1団がいて楽しかった。おばさんも時に激しく踊ったり、自然体でゆるくていいわー。

ショーロな方々

カポエイラな方々

国民食フェイジョアーダ。豆と肉を煮たものが、ごはんに乗ってる。黄色いのはイモの粉。旨いんだけど量が多かった。箸休め的なものがあれば良かったんだけど、単調っていうか。

今回、なんとジョルジ・ベン・ジオールの2時間ライブがあった。無料ですよ! 当然これがメインになるわけだけど、40分くらいして雨が降り出した。ちょっとくらいなら耐えようと思ったけど、前の人が傘さすとステージが全く見えなくなり、やがて激しい雷雨に。諦めて帰ったけど、腹くくった人たちはむしろ盛り上がってた。 -
霊媒師いずな
■真倉 翔+岡野 剛『霊媒師いずな』1巻。『地獄先生ぬ〜べ〜』のスピンアウト作。ぬ〜べ〜好きなんで単行本楽しみにしてた。
青年誌になってどのようにエロくなったかはアキバBlogの記事で既に知ってる人も多いかと。いずなのピンチには「あの、いずながこんななっちゃってる!」的な興奮がある。
けど、1話完結の読み切り連載で、レギュラーキャラは主人公一人だけ。1回しか出てこないサブキャラがエラいことになっててもピンと来ない。知らん人が脱いでても、「ああ、この人は脱ぐ人なんだな、青年誌だからこのくらいやるよな」で済んじゃう。やっぱ、ぬ〜べ〜はキャラの魅力と少年誌の制約があってこそのエロさだったなあと思った。
話も大人向けにグレードアップ。放火アイドル、手鏡で覗きなど、時事ネタを取り上げつつ、かつての説教臭に代わって社会派な面が。ぬ〜べ〜を今の青年誌に置き換えるとなるほどこうなるのか、って感じ。新興宗教ネタの話はなかなか複雑なオチになってて面白かった。
ただ、真面目に扱ってるとはいえ、個々の題材そのものに深く突っ込んでるわけじゃなくネタの域を出てないんで、元ネタが深刻なほどちょっと不謹慎な感じも。
なんか全体に中途半端な気がする。真面目だけど、エロでちょっとだけギャグ入って、みたいな。青年誌的マジなのか、少年誌的コメディーなのかどっちやねん。受け取り方に困る。ぬ〜べ〜とは別作品とわかっちゃいるが、やっぱぬ〜べ〜にあった“いいチームでほのぼのやってる”感がないのは寂しい。もっとシリアスに振れれば一人でもいいんだろうけど、それじゃ他の作家がやってそうなものになりそうで。
まあでもホントぬ〜べ〜好きなんで、『ツリッキーズ ピン太郎』も好きなんで、岡野・真倉両先生応援してますんで、期待してますんで、つーかこんなうるさいファンはいらんか。
■『五月女ケイ子のレッツ!!古事記』。
すっとぼけてて、面白くて、過剰におちゃらけたりはしてなくて、わかりやすい。これ、本当に古事記入門にいいんじゃないか。マンガが変なとこは解説でフォローしてるが、解説もすっとぼけてたりして、またオモロい。
古事記、上・中・下巻の上巻分だそうで続きも出してほしいが、この本出るのに3年かかったそうだからムリだろうな。 -
ポニョ
■ポニョ観てきた。オモロかった。
わけがわからない、もはやカルトムービーなんて聞いてたんで、どんだけムチャなのかと思ったら、そういう意味では期待はずれだった。リアルな話じゃないが、夢みたいな話として違和感なく観れた。
いままでジブリの作品ちゃんと観てないんだけど、宮崎駿はちゃんと話が作れない人って印象を持ってた。人に通じない言葉で話を作ってるから、謎解きとか深読みなんかする価値がないと。
けど凄いちゃんとできてた。変な話なりに、入っていけるように周到に作ってあるなと思った。俺が間違ってたすんませんでした。まあ、それでもわからんのだけど。っていうか、竹熊さんが言うような怖さをあまり感じない時点で俺は全然わかってない可能性大。あと、俺は宮崎駿をエコの人だと思って書いてます。
以下、思い付くままネタバレ含むメモ。長いです。