■ロットリングが一般文具から撤退してたのを最近知った。ロットリングのトリオペンを打ち合わせ用に使ってる。一番奥というか上のやつ。シャープペン、黒ボール、赤ボールが1本になってるの。替え芯とか手に入らなくなるのかなーと思ったら、4C規格とかいうもので、よそのが使えるらしい。良かった。分相応に値段そこそこで気に入ったものをずっと使うのが好きなんすよ。
■ずらっと並んでるのは同じくロットリングの『ティッキー』ってシャープペン。デコラティブじゃなくシンプルすぎずで気に入って、だいぶ前に4色買って、特に好きなピンクは予備も買った。あと10年は戦える。
けどもシャープペンって中にパッキンか何か、使わなくても劣化するパーツが入ってるらしいんすね。トリオペンはそれで1回修理に出してる。
最近までティッキーIIってのが売ってて、社名を表す赤い輪っかが付いてカッコ悪くなったんだけど、パーツ取り用に買っときゃよかったか。
■ボールペンはごろごろ滑るし、線の不均一さが味にならないんで嫌いなんだけど、ゲルインキはわりと良かったんで買ったのがパイロット『ハイテックCカヴァリエ』。真ん中の黒くて細いの。同じ0.4ミリでも、他のリフィルを使うものより書き味が良かった。
でもやっぱり、油性ボールよりマシとはいえボールペンのヤな感じは残る。最初は細さに感動したけど、0.4ミリは普段使うには細すぎる。
■じゃあ万年筆だ。中学の頃買ったものが引き出しに眠ってる。プラチナ#3776ってやつで、下から2番目の太いの。今もほぼ同じものが売ってる。1万円くらいで中学生にしちゃ奮発したなあ。ペン先をしばらく湯に浸けたのち、インク買ってきたけど書けなかった。せっかくだから修理に出す。
■万年筆で検索してて、セーラー漫画用万年筆を知った。落書きに使うならこういうのの方がいいかも。ペン自体はデスクペンの色違いで、『極黒』という顔料インクがセットされてるらしい。ってことは顔料インクを買えば、ペンは好みのものでいいんだろう。
プラチナにもカーボンインクがあったが、乾燥しやすく詰まるとやっかいらしい。安物のペンで試すのがよさそう。ということで210円の万年筆プレピーを買ってみた。
「インク色は変更するな」と注意書きがあるが、カーボンブラックに交換。ゲルインキよりちょっと薄い。プラチナはサインペン、ラインマーカー、筆ペンもカートリッジの形状が共通で、メーカー非推奨の組み合わせもやれることはやれるらしい。
リンク先の記事にインクフローを良くしたとあるけど、インク出すぎ。線の太さとインクの出具合は、ハイテックCの0.5と0.7の間くらい。確かにゲルインキペンと同じ感覚で使えるけど、万年筆である意味がなくなってるような。#3776と揃えてプラチナから選んだけど、セーラーハイエースと極黒の組み合わせの方が良かったかも。
まあ、最初にぼたっと落ちる感じはヤだが、ハイテックCより少しだけカリカリ感があるのはいいんで、しばらく使ってみよう。
文房具の使用頻度がすごい減ってて、普段手書きで字書かないし、絵に至ってはパソコンでも描かなくなってんだけど、落書きしないのはよろしくないなと思って、取りあえず道具に興味を持ち直してみた。
投稿者: ふじり
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ブンボーグ
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かむろば村へ
■いがらしみきお『かむろば村へ』3巻。
多治見のイヤさがイヤすぎる。
「なにも買わない なにも売らない ただ生きて行く」って出家者みたいだな。村長も「自分を捨てろ」ってずっと言ってるし。
連載はもう終わってるそうで。「なんでも解決するが、思うようには解決しない」んだろうか。楽しみ。 -
仁絵問題
■また動ナビ見て書いてんですけど、ハイビジョンになると肌荒れが目立って大変だとか。実際アナログよりシビアなのは確かだろう。けど、肌荒れ目立つのって本当に解像度のせいだけなのかな。
例えばテレビを通さない生の視界は超高画質なはず。生では人の顔じろじろ見ないから、見つめてみれば厳しいケースもあるだろうし、テレビがデカくなって生より拡大されるせいもあるだろう。でも、サブラとか雑誌を広げると20型くらいになって凄い解像度ですよ。それでも問題になってない。
スチルカメラでは「マクロレンズは高解像度だから女の人を撮ると厭がられる」とか言うんだけども、これも変だなと思ってて。ならフィルムがデカい分高解像な中判・大判はどうなんだ。
結局のところ、入力(ソース画像)と出力が、カリカリだから肌荒れが目立つわけで。そのうちソースが多少柔らかくなったり、出力の味付けが変わるかもしれない。
ウチのテレビはアナログなんで、たまにデジタルのテレビ見ると気持ち悪くなる。慣れの問題だとは思う。生より拡大された高解像の動画を見つめるってことがなかったし。残像がCRTより残るせいもあるかも。けども実際、ハイビジョンがカリカリで変には違いない。そんで、これに慣れるってのも変だなあと思う。
スチルでは昔はフィルムが描く絵に慣れてて、今はデジタルになってフィルムに違和感持つようになって、けどもデジタルはデジタルで変な気もする。アナログのテレビとか、コンパクトカメラの画質は、生より劣化したものとして見てるから、それはそれで済むんだけど。ヒトの視覚は見たままを入力してるんじゃなく、解釈してるんで、デジカメとかハイビジョンに慣れると、生の視覚の解釈の基準にも影響するのかなと思ったりする。単純なところだと絵的な嗜好がちびっと変わるとか。 -
脱ぐ女の裸は見たくない的な
■動ナビ経由でこの記事見た。
・西田麻衣 まいぷりん。 を画像と動画付きでレビュー
DVD売れてるらしいっすね。可愛いし、やることやってくれてるし納得できる。
ちょっと前にYouTubeで見てたんすよ。疑似手コキのこれとか、疑似パイズリのこれとか。ピュアスマの頃ってまだ高校生だと思うんだけど、この疑似フェラなんか結構えぐい。
ウィキペディアによると「2006年、スペースクラフトグループ『水着グラビアオーディション』で、3152人の中からグランプリを受賞した」とある。スペースクラフトは栗山千明なんかもかかえる大手。そこのオーディションでグランプリ取ったのに、これ。ここまでやらんとダメなのか。昔の感覚なら大手の「アイドル」がやることじゃない。お菓子系ならわかるっていうか、エロ本モデルのやることでしょ。仲村みうなんかはエロ本からミスマガに登りつめたわけで、セルフプロデュースができる子だから違和感はない。けど、大手の十代アイドルが初手からこれって……。
まあ確かに見たいのはこういうものなんだけど、即物的すぎないか。欲望を先回りされちゃ夢の持っていきようがない。
2次元でもそうで、多面化するあらゆる欲望の網の目をきっちり埋めてくるでしょ、送り手側は。もう何もかもある。短期的には嬉しいけどもさ、長い目で見れば不幸になるよ受け手側が。もっと規制が強くて建前が多い方が、結果的に幸せになれると思うなあ。 -
菌類のふしぎ
■上野国立科学博物館でやってる菌類のふしぎ行ってきた。『もやしもん』とタイアップ。原画展もある。けど行ったのは、もやしもんファンだからってのは薄くて、Tumblrやってるうちに俺の中の生物好きが強まってきたから。なんか生物の写真ばっかり貼ってしまう。
乾燥したのとか、エタノールに浸かったのとか、模型ばっかりじゃ面白くないかもと思いきや、樹脂を浸透させて固めたイイ感じの標本がメインでおもろかった。
こんな感じで標本にょきにょき。
あちこちに石川雅之の落書きが。
タイアップだし、段ボールを使って会場がきっちりデザインされてるし、写真撮影OKだったり、なかなかさばけたイベントだった。
博物館広いね。常設展は半分も見れんかった。またなんかのときに行きたし。 -
買いCD
■エドゥ・ロボ&マリア・ベターニア
’66年、ブラジル。アマゾンにリンク貼ってるけど、渋谷タワレコで輸入盤が1000円で売ってた。
1曲目『ウッパ・ネギーニョ』はエドゥ・ロボの代表作で、いろんな人がカバーしてるらしいが初めて聴いた。なるほど良いです。キャッチーでブラジルっぽい。ただ今俺の中で大ヒット中。YouTubeにあったから貼っとく。
あとの曲は泣きが強めなうえ、もともと苦手なマリア・ベターニアの歌い方と相まって、どんより気味だなあと思ったけど、聴いてるうちに良くなってきた。
■ホジーニャ・ヂ・ヴァレンサ『Um Violão em Primeiro Plano』
’71年、ブラジル。女バーデン・パウエルとか言われてるらしいギタリスト。なるほど、ちょっとそれっぽい。「女なんとか」って言い方もどうかと思うが。アイデア豊富でキャッチー、数曲に入るボーカルも上手くないけどキュート。どなた様にもウケる感じ。その分ベタな感じがしないでもない。1曲が3分なかったりするのはこの時代普通だが、フェードアウトが多くて、もっと聴かせてよ的な不満アリ。
こんなのです。
■ヴァルティナ『Vihma』
’98年、フィンランド。この辺の音楽全然知らんけど、好みのものがあるっぽい。取りあえず良さげなのを買ってみた。やー、凄くいいですわ。
こんなん。
■スファラ『Blueprint』
インド系アメリカ人のタブラ奏者だそうで。音はエレクトロ。この種の曲とタブラのマッチングが凄く良くて面白い。ただ、もうちょっとなんか欲しい気も。
収録曲はこんなの。 -
『地平線でダンス』
■柏木ハルコ『地平線でダンス』 5巻。完結。『タイタンの妖女』を思い出したりもした。
ファンのクセに、俺はこの人の作品がわかってなかった。
タイムマシンを扱うSFって設定は、キャッチーでフックもある。けども今風のリアリティーと、動物に憑依とかマンガ的荒唐無稽さとのギャップが大きかったり、先が予測できなさすぎて感情移入しにくかったり。『鬼虫』同様「これは一体何の話なんだろう」みたいな疑問符がついてまわる。『鬼虫』ほどじゃないけど結構変な話に感じた。
終盤はややこしいんで、連載で間を空けて読むと話に入っていきづらかった。単行本でまとめて読み直せば面白かったけど、まだピンと来てなかった。1回目は。
『鬼虫』読み返してみて、ついでに『ブラブラバンバン』の映画を借りてきて、そんでまたついでに『ブラブラバンバン』読み返して、この2作品は比較的好きじゃなかったんだけど面白くて、ちょっとわかった気がして、この人の長編は構成要素が似てるなと思った。
・強い動機で話を推し進めるキャラ
・巻き込まれる気弱なキャラ
・引っかき回すキャラ
・あと、異常/才能
これが作品ごとにキャラとか設定とかに割り振られてる感じ。『ブラブラバンバン』だと推し進めるのも引っかき回すのも異常も才能も、芹生さん。
『地平線でダンス』の場合、推進力を持ってるのは主人公の琴理。最初の事件のあと状況をなんとかするため推進力を発揮する。一方、竜ヶ崎は事件で折れて停滞した。竜ヶ崎は琴理の反転みたいなとこがあって、逆だけど近い。本来は推進力を持ってる。ナナには推進力が全くない。引っかき回すキャラ。けど、ナナと琴理にも反転みたいなとこがある。
とか、強引に当てはめて分かった気になってもしょうがないんだが、これで俺的には柏木ハルコ作品が読みやすく、より楽しめるようになった。要は設定に惑わされず(ってのも変だが)人物の間の話を読めばよかったんだな。
SFの筋を追うんじゃなく、3人の心情に入って読み直して、やっとどういう話かわかった。この作品は3角関係に似たもの、ラブストーリーに似たもので、それがSFの設定でとんでもなくスケールがデカくなってる。SFとしてのスケールじゃなく、人関係の話のスケールが。うわー、面白い!
って、みんなは普通に読めてるんだよな。なんか俺のアタマにある定形と、この人の話の作り方にズレがあって障壁できてたんだろうな。
■障壁あってもファンだったのは、わからんなりに、この人の作るドラマは他とレベルが違うと感じてたから。まるでシミュレーションみたいに見える。
こういう設定がある。こういうキャラがいる。設定の中にキャラを泳がせてみる。観察して記述する。
重要なのは、環境が違えば行動が変わること。普通、熱血キャラはどこへ行っても熱血だが、器用なエリートである竜ヶ崎は、つまずいて底辺みたいになる。『よい子の星』では、都会で変人の主人公が、田舎じゃ楽しい人気者になる。
「このキャラをこう動かそう」的な話作りだと、キャラは物語のコマとして、作者の意図で動く。話を進めるのは作者ひとりの意志。人ひとりが思い付くものは知れてる。
これが「このキャラはどう動くだろう」だと、行動規範は作者の外にある。言うても考えるのは作者だし、作者が思い付かないものは描けないんだけど、「どう動くか」は外から(あるいは意識下から)呼び込まれる。キャラごとに違う行動規範を持つ。規格の違う歯車がぎくしゃく回る、その隙間に話がある。キャラごとのズレは解消されず、全体がズレを許容していく。
琴理と竜ヶ崎、ふたりで論文をまとめるのに熱中するシーンがある。論文の著者はこのふたりだけど、書かれる理論は外にあらかじめ存在してる。このシーンみたいに作者は編集か設定アドバイザーと話し、アタマぐるぐるさせながら物語を外から呼んで作品に定着してるのかなと想像したりする。