気持ちを収める

 「このままじゃ気持ちが収まらない」とかテレビでよく出てくるけど、おおやけに言っていいことなのかなと思う。収まろうと収まるまいと物理的にはなにも変わらない。それに気持ちは個人的なもので、場合によってはつまらないプライドに関わってたり、エゴに近いこともある。

 車に轢かれたとする。起きてしまったものは、起きる前には戻らない。できるのは今後のためのこと。車に欠陥があるとか、道が危ないとかなら、それを改善しなきゃいけない。飲酒運転だったら二度とするなと。あと補償。お金で済まない状態になろうと、お金でしかどうしようもない。
 かと言って、運転手に落ち度があった場合、鼻ほじりながら金だけぽんと渡されても、気持ちが収まらない。
 反省していれば謝罪も出てくるはずで、反省しなければ今後のためにならない。反省させることには実際的な意味がある。けど、気持ちが収まらないのはそれが理由じゃなく、おおやけの正義より、個人的な勝ち負けの問題に思える。
 気持ちを収めたがるのが仮にエゴだとしても、轢かれた当人や親しい人が謝罪を求めるのは、まあ無理がない気がする。理不尽な事態に筋を通したいのかもしれない。

 謝罪会見で頭下げてフラッシュぱしゃぱしゃ浴びてるとこテレビで見るのは、なんのこっちゃわからない。世間に対する謝罪だろうから、見てるこっちは世間様なのだろう。まず腹立つネタを楽しんだあと、頭下げさせたのを見て、鼻ほじりながら「ざまあ」とか言って気持ちを収めるエンターテイメントは大変に下品だった。おおやけの報道なりは、気持ちの問題をもうちょっと引っ込めて、実利的な問題に突っ込んだほうがいいと思うし、見てるこっちも気持ちを引っ込めたほうがいいと思う。気持ちの問題は、合理的じゃないことも多いし。

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