出すものと出し方

 小学校高学年のとき、ノートにマンガを描きはじめた。タイムボカンシリーズが好きで、ああいう動物メカを描きたかった。子どもがよくやる、ここからビームが出て、ここがドリルになっててとか、そういうやつ。設定画で終わらせず、話のなかで活躍させたかった。
 メカは自分が考えたものだからいいけど、人間を描くのが難しい。だから主人公をカラスにした。しかもすごく簡略化したやつ。
 表紙に「なんとかコミックス第1巻」とか書いて、表3に広告を描いたりして、友だちと先生に無理やり読ませた。
 いまだになにかにつけこんな調子で、人間を描けるようになるなどのまっとうな努力をすっ飛ばして、手っ取り早くブロードキャストの体裁を整えようとする。根がコマーシャル(商業的)でチープ。アートの逆側。

 このブログもそんなふうだったから、普通の日記にしようとしてるが、これはこれでどうも気持ち悪い書き方になってるなと。
 個人的に付けてる日記のなかから、人に見せられるものをこっちにコピペすればいいやと思ったんだけど、なにを人に言ったほうがよくて、なにがよくないのか、なにかにつけてわからない。結局こっちは外向けに書いてる。

 以前のブログの書き方は、ちゃらけてたから下手な文章にするには都合がよかった。
 うまいこと言ってる文章は基本的に危ない。なにかをすっ飛ばしてる可能性がある。だからTumblrでもテキストのリブログが多い人はフォローしてない。
 けど文章書いてると、ついうまいこと言いたくなってしまう。文体がちゃらけてれば格好よくはならないし、わざと下手な言い方にもしやすかった。文章はもともと下手なんだけど、キャッチーになるのを回避するとか、やたら上から目線で偉そうなのを多少なりともごまかすとか、そういうのがやりやすかった。

 っていうか問題はスタイルよりも、意味があることを書こうとしていることと、なのにカラスしか描けないようなことなんだけど。

コメントを残す