『タイアップの歌謡史』

タイアップの歌謡史速水健朗『タイアップの歌謡史』読んだ。
 仕掛けられた流行に大衆が乗っていく様子が、イメージとしてアタマに浮かぶんだけど、それに対する印象が、昔の話と今の話で違う。昔の話はダイナミックに感じる。最近の話はバカみたいに見える。
 昔は実際、時代がダイナミック動いてたんだろう。知らない過去は美化したくなるってのもある。流行の仕掛けも受容も、好意的に受け止められる。
 ’80年代、広告ブームとかあって、受け手のクセに送り手側のスタンスで(あるいは、さらにその上に立って)仕掛け方自体を「あれはいいよね」とか言ったりする風潮があった。’80年に俺は高1。分かったようなこと言いたがる時期が、調度このイヤな時代に重なった。’80年代は小賢しく、全然ダイナミックじゃない。今思えば恥ずかしい。
 ’90年代を過ぎてもまだ、踊らされてるヤツ、踊らせようとしてるヤツは、バカにしか見えない。例えば『あるある』自体がバカみたいだし、納豆を買いに走るヤツもバカみたい。音楽のタイアップも同様。
 たまたま自分がそういう世代だから、そう思うのかもなと思った。
 
 みんなが同じ曲を楽しめて、時代の曲として共有できればいいと思うんだけど、とっくにそうはいかなくなっていて。紅白も、俺が学生の頃にはもう、親の聴く曲と自分たちの聴く曲に断絶があって。っていうか紅白自体がダサくなってて。さらに今となっては、年長者向け、若者向け、両方ともに馴染みがなくて、ほとんど全部が等価に知らない音楽で。だからかえって、たまに聴くには面白いなと思ったりで。これは不幸なことだと思っていて。
 家さえ飛び出なければ、今ごろみんな揃って、おめでとうが言えたのに、どこで間違えたのか。
 
 タイアップ自体は別にいいんだけど、踊らされるのは単純に面白くない。「俺が、この曲を気に入った」っていう主体性を主観的に維持したい。最近のタイアップは周到なクセに、その辺デリカシーがないように感じる。これも俺が年食ったからかもしれんが。
 洋楽の国内盤をあんまり買いたくないのは、まず高いからだけど、背広の匂いがするからってのも大きい。日本先行発売とか、日本盤だけのボーナストラック収録とか、オビに書いてあると商売っけを感じてげんなりする。
 俺は作者にお金を払いたいんであって、背広の人を儲けさせたくはない。
 アニソンは露骨で、’90年代から変なポップスになってしまった。
 鉄人28号のテーマには「グリコ・グリコ・グーリーコー」と思いっきりスポンサー名が歌い込まれてるが、こういうのはわかりやすくていい。そこを除けばアニメのテーマ以外の何物でもないんで。
 
 あと、探す人・探さない人ってのもある。探さない人は、目に入る、耳に入るものの中から気に入ったものを選ぶ。テレビの影響は大きい。探す人は、自分から見付けに行く。テレビ関係なくなってくる。
 探す人が偉いのかっつーと、そんなことない。何にリソース割くかはその人の勝手だから。面白い曲探すヒマがあったら、他のことすればいいとも言えるんで。
 これに関しては言いたいことが山ほどあるけど、長くなるし考えもまとまってないからこの辺で。
 
 読んでていろいろ考えちゃって、面白かった。

演歌の演は、演説の演

演歌 – Wikipedia

もともと演歌は自由民権運動の産物だった。藩閥政治への批判を歌に託した政治主張・宣伝の手段である。つまり、政治を風刺する歌で、演説に関する取締りが厳しくなった19世紀末に、演説の代わりに歌を歌うようになったのがこの名称のはじまりといわれる

 へー。

今年のCD、今年のうちに

Universo ao Meu Redor■春に2枚同時発売されたマリーザ・モンチの新譜、CCCDなんで様子見してたが、US盤がCDで出直したらしい。
 ベベウ・ジルベルトのセカンドのEU盤は、メーカーもショップも表記してないのにCCCDだったりしたから、ネットの表記だけじゃ信じられなくて店頭で確認して買った。ちゃんとCDでめでたし。
 サンバの『Universo ao Meu Redor』と、普通の、っていうかサンバ以外の『Infinito Particular』。詳しくは日本サイトで。サンバの方にはデビッド・バーン、もう1枚にはフィリップ・グラスが1曲参加してる。
 サンバの方がいいっすね。サンバっつってもモダンなんで、サンバと言えばマツケンと、お嫁と、てんとう虫しか浮かばない人でもさっくり楽しめると思う。
 
 内容はいいんだけど、音が悪い。『トリバリスタズ』も籠もったような音だったが、さらに悪い。今年買ったブラジルの新譜(セルメンは別として)、カシン+2は普通だったけど、マルチナリアもジアナ・ヴィスカルディも音があんまり良くなかった。今まで「ブラジルは音悪い」と思ったことなかったけどな。なんなんだろう。再生装置の音の悪さは、そんなもんと思えるんだが、ソースが悪いと異常として聞こえるんで不快なんすよ。凄え古いのとかライブ盤ならともかく、鳴るはずの音が鳴らないのは変に気になる。いやホント、音、大事。
 
Sonファナ・モリーナ『Son』。アルゼンチン音響派などという、一部好き者しか聴かなさげなジャンルで、あんまり気にしてなかったんだが、彼女がセカンドを買って、聴いたら良かった。4枚目のこれは評判もいいらしく、CD屋で目立つ位置に置かれてて、行くたび横目で見つつ、ときどき手に取っては棚に戻し、ブラジル強化中だから我慢してたが、結局買った。
 細野さんが来日公演を絶賛してた。CDではわからない凄さについて書いてるんだけど、そもそも曲というか音色が細野さん好みだと思う。だもんで細野好きにとってファナ・モリーナは親和性が高い。
 本人のサイトから6曲落とせる。取りあえず『El desconfiado』って曲をどうぞ(→直リン)

うろ覚え ぽっくんとJB

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 初めてJB聴いたのは、バンバータとの競演盤『Unity』。
 この年(’84)に立花ハジメの『Replicant J.B.』が出てるから、聴いた声としてはこっちが先かもしれん。なんにしてもJBをよく知らんかったから、『Replicant J.B.』の意図するところがイマイチわかってなかった。
 
 初めて見たのはパルコのCM。カメラ固定の引きの映像で、JBが踊ってる。なんか凄いインパクトがあった。
 マントショー初めて見たときも凄いインパクトだった。わけがわからなかった。この人は何をやってるんだろう? っていうか、なんでこれが受け入れられてるんだろうと思った。
 
 細野さんがF.O.E.でJBと共演したとき(’85)の会話。
JB「今度、自伝を出すんだ」
細野「それはソウルのバイブルになりますね」
JB「いや、“音楽の”だ」
 
 坂本龍一がサンストで、誰のこととは言ってないが「ワンコードの上で、ウッとか叫んでるだけでソウルの神様だって言うんだから(ソウルは)わけわかんねえ」とdisってた。うろ覚えなんで言葉はこの通りじゃないし、そもそもサンストじゃなかったかもしれん。確かR&B寄りの『未来派野郎』(’86)を出す前あたり。
 そんで『未来派野郎』出たとき、「俺の音楽は(あえて言うなら)もともとロックよりR&Bに近い」的なことを言ってたので「えー!?」と思った。中島みゆきがロック的アレンジのアルバム出したときの「私はもともとロックだった」発言くらい「えー!?」と思った。坂本龍一発言集は面白いものになると思うから誰かまとめてほしい。
 
 ライブは2回行った。1回目はウイ・アー・ザ・チルドレン(’85)に始まるエイドブームんとき。八王子の方のイベントで、屋外でトリだった。JBしか興味なかったから終わる頃に行った。凄い楽しかった。踊ってお尻をぺたんと着くと、そのあと立ち上がれなかったり、客席にダイブしたらステージに自力で上がれなくて尻を押してもらってたり、可愛かった。I can’t Stand My Self。このときにはもう、マントショーに乗れる俺になってた。
 2回目は’97年くらいかな? あんまり内容覚えてない。
 
 ’92年くらいだと思うが、マック用のピンボールゲームに『トリスタン』ってのがあって、効果音をJBの声に替えたのが裏で出回ってた。『Replicant J.B.』みたいだった。
 
 美術にまともに向き合ったことがない俺は、デュシャンの話ができない。俺なんかはデュシャンの名前を出しちゃいけない。同様にJBを「好き」と言えない。スライは好きと言えるし、ファンクが好きだった頃、冗談で自分をファンカティアと言ってみたりはできても。JBが好きと言えるほどの俺じゃない。JBはデカすぎる。

みんなのうた2

■引用の引用になってアレだが、内田樹の研究室:無人島レコード

一番インパクトがあった文章は大瀧詠一「師匠」が『レコード・コレクターズ増刊無人島レコード2』に寄せた文章(この『無人島レコード』には私も寄稿している)。
「無人島レコード」というのは「無人島に持ってゆくとしたらどんなCDを持ってゆきますか?一枚だけ選んでください」という趣向のアンケートである。
無人島に電源があるのかよ、というようなツッコミはなしである。
「ルールは厳守だが、法の網をかいくぐる反則技はあり」とあるが、なかなか反則はむずかしい。
師匠は「レコード・リサーチ」という書物を選んだ(「無人島レコード」で本を選んだのは師匠だけである)。
これは『ビルボード』のチャートとチャートインしたアーティストごとにシングルのデータをまとめたもの。
その中の1962年から66年までがあればよいと師匠はおっしゃっている。
「あれさえあればいいんですよ。72年以降のチャートは要らないしね。もうわかんない曲もあるからさ。厳密にいえば、62年くらいから69年ぐらいまでで・・・いや66年まであればいいや。その4年間くらいなら、ほぼ完璧だと思うんだよね。全曲思い出せるんだよ。その時期のチャートがあれば、いくらでも再生できるからね。自分で。死ぬまで退屈しないと思うんだけどね。次から次へと出てくるヒットチャートをアタマの中で鳴らしながら一生暮らす、と。」

 ’62〜’66なのは大瀧詠一の個人的体験というか、そういう世代だからだが、’62の方はともかく、「以降、もうわかんな」くなる’66には意味がありそうな気がする。
 ビートルズだとリボルバーが’66でサージェントペパーズが’67。ビートルズの影響を受けたトロピカリズモ、ブラジル音楽の「ロック化」も当然この辺の年から。
 ’66あたりで、ミュージシャン(またはスター)が、アーチストになったんじゃないか。芸能が表現になったんじゃないか。みんなのうたが、誰かの歌になったんじゃないか。自意識過剰の始まりじゃないか。みんなのうたの方が楽しくないか?
 と、メモしておいて、この項つづく。かも。
 前回の「みんなのうた」はこれ

また風邪ひいた

■Wii並びに行かないでよかった。行ってたらこの程度で済んでない。今頃寝込んでた。本当に行かなくてよかった。と、自分を納得させつつ仕事をしている。
 Wiiは年内100万台出荷するらしい。慌てなくて大丈夫かも。でもPS2って発売9日で100万台売ってんのな。アジアで累計2400万台って……。
 
■アルファベットであんまり書きたくないんすけど「ウィー」じゃ何のこっちゃわかりにくい。
 アップル関係の固有名詞もカタカナにしにくい。「iチューンズ」でも「アイチューンズ」でも変な感じ。
 デジカメのRAWも「生」って意味しかないよね。なんかの略語だったりしないよね。だったら「ロウ」と書くべきだと思うんだけど、みんな書かない。
 昔はウェブを「Web」って書く人多かった。略語だと思ってたのか。単に言葉に慣れてカタカナ表記に違和感がなくなったのか。
 
■iTunesと言えば。ソフトロックって聴かないんだけども、マルコス・ヴァーリを聴いてるうちに、俺もソフトロックいける気がしてきた。
 最近、古い歌謡曲にも興味があるから、ソフトロック的な歌謡曲はどうだろうと、iTSにあるうちからいくつか買ってみた。
 岡崎友紀『おくさまは18歳』(→iTS)凄くいいですな。ドリーミー。
 黛ジュン『天使の誘惑』(→iTS)、途中で入るダブっぽいエコーがかっこいい。
 歌謡曲じゃなくてフォークだけど、ベッツィ&クリス『白い色は恋人の色』(→iTS)も改めて聴いてみると気持ちいい。
 歌謡曲ってCD買う気しないのな。高いし、ジャケがしょっぱいし、ライナーもやっつけだし。そそらない。持ってたいと思えない。日本のレコード会社は本当にダメだ。しみったれてる。しわい。歌謡曲とアニソンこそiTSで売ってほしいんだが、こっち方面でもダメな感じ。