菌類のふしぎ

■上野国立科学博物館でやってる菌類のふしぎ行ってきた。『もやしもん』とタイアップ。原画展もある。けど行ったのは、もやしもんファンだからってのは薄くて、Tumblrやってるうちに俺の中の生物好きが強まってきたから。なんか生物の写真ばっかり貼ってしまう。
 乾燥したのとか、エタノールに浸かったのとか、模型ばっかりじゃ面白くないかもと思いきや、樹脂を浸透させて固めたイイ感じの標本がメインでおもろかった。
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 こんな感じで標本にょきにょき。
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 あちこちに石川雅之の落書きが。 
 タイアップだし、段ボールを使って会場がきっちりデザインされてるし、写真撮影OKだったり、なかなかさばけたイベントだった。
 博物館広いね。常設展は半分も見れんかった。またなんかのときに行きたし。

ブラジルフェス

ブラジルフェスティバル行ってきた。年々賑やかになってる。なんか食おうとすると結構並ぶのがつらし。けど、並んでる間、横にサンバで盛り上がってる1団がいて楽しかった。おばさんも時に激しく踊ったり、自然体でゆるくていいわー。
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 ショーロな方々
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 カポエイラな方々
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 国民食フェイジョアーダ。豆と肉を煮たものが、ごはんに乗ってる。黄色いのはイモの粉。旨いんだけど量が多かった。箸休め的なものがあれば良かったんだけど、単調っていうか。
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 今回、なんとジョルジ・ベン・ジオールの2時間ライブがあった。無料ですよ! 当然これがメインになるわけだけど、40分くらいして雨が降り出した。ちょっとくらいなら耐えようと思ったけど、前の人が傘さすとステージが全く見えなくなり、やがて激しい雷雨に。諦めて帰ったけど、腹くくった人たちはむしろ盛り上がってた。

俺基準

■昨日のついでに、ちょっとメタな話を。
 いろんな種類の作品があるけども、全部「どのくらい面白いか」で評価を統一できないか。泣ける、笑える、抜ける、怖い、考えさせる、新しい、珍しい、気持ちいい、気持ち悪い、とか、いろいろまとめて総合点的に。
 普通にそうしてるつもりだと思うけど、「泣ける」方が「笑える」より偉いとする人は多いし、逆に「泣ける」は下らないとする人もいる。
 普段から熱心にエロいものばかり集めてても、エロを他より落として考えがち。エロマンガを褒めるときに「エロいだけじゃない」と言ってみたり。「どのくらいエロいか」も「どのくらい泣けるか」などと同列に置けばいいんじゃないか。エロに優れていて、さらにエロ以外も優れたエロマンガはお得で総合点は高いが、基本エロマンガはいかにエロいかで評されるべきじゃないか。「エロだけじゃない」はエロに対して失礼じゃないか。まあエロはプライベートなものだから、エロで他人に推しにくいし、そもそも推すべきじゃないかもしれん。
 
 言うても実際のところ、方向性が違うものは同じ単位で計れない。諸星大二郎の作品をずっと買ってるが、最近の作品はそんなに面白くない。けどこの人にしか描けない世界だから買う。初期の作品は凄く面白いけど、今初めて読んだらそうでもないかもしれない(『マッドメン』とかは今でもいけると思うが)。俺は中高生の頃リアルタイムで読んで強いインパクトを受けた。その縁で買う。こういう作家の独自性とか、買う側の個人的事情とかは平坦にできない。当たり前ですが。
 あと、感情の振り幅を評価の基準にすると、感動するものが偉くて、じんわり来るものは下ということになる。これも具合悪い。
 でも平らに評価する、心がけみたいなものは、もっとあっていいんじゃないかと思う。っていうか俺が心がけてる。
 
 まとめると、重厚でも軽薄でも同列に並べ、個人的な指向に関しては別枠、ってことになるけど、「俺が面白いと思うものが良いもの」だとおかしくなる。
 味がわかるのだって、鋭敏な味覚と肥えた舌がいるわけで、大抵の良し悪しは才能と経験がないとわからない。俺はジェームス・ブラウンの何がいいのか長いことわかんなかった。「俺」は当てにならない。
 作品がある問題を扱ってたとすると、その問題について考えたことがなければ理解できない。いろいろ分かって知ってる人が、分からないし知らない人より面白いものを楽しめて、作品に対して面白いこと言えるのは当たり前だ。俺は才能がなくて修練しないから、この程度ということで、けど俺なりにもうちょっとなんとかしたいと思っていて。
 
 「テレビは終わった」とか言ってる人がいるみたいで、俺もしょうもないから『やりすぎコージー』くらいしか見てないけど、下らなくても著作権がややこしくても、今後も大多数が見るだろう。テレビは終わらないし、終わらないのがわかってるから「終わった」と連呼してんじゃないかと思う。大多数にそこそこウケて、そこそこ怒られないものを作ろうとすると、今のテレビみたいになるのはしょうがないとも思う。
 工業製品もそうで、ウケを狙うとマイナスイオンとかになる。
 受け手に評価能力があるとは限らないが、売る側は儲けたいから、受け手の評価能力は棚上げする。めちゃめちゃなニーズでも沿った方が売れる。お客様は神様だと、まず客の方が認識してるんで、棚上げに増長する。自分の評価能力を疑う機会が減る。
 極端に言えば、バカに合わせてものが作られていて、良いものよりウケるものが流通し、結果的にババ掴まされて損してるが、バカだから気付かないってことになる。
 この状況に対して「バカにするな!」と思うんだけど、そのためにはまず自分のバカさを自覚して「お客様」「俺様」の座から降りなきゃいけないわけで。

フクトシンセン

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■最近、花園神社近くの会社に通ってる。副都心線の出口が花園神社の横にあるから便利になるなあと思ったら、この出口までがどこまでも、どこまでも真っ直ぐに続く一本道で笑ろた。地図見たら、花園神社って新宿三丁目駅からそんなに近くないのな。
 まあでも渋谷から若干速く行けるようになったし、空いてるし、車内アナウンスの声が心地いいしで良かった。
 
暗黙共同体へ-秋葉原事件で考える

 私はここ数ヶ月、「情報共有圏」という言葉を考えている。
 
 しばらく前、硫化水素で自殺者が相次いだとき、アマゾンで興味深い現象が起きた。トイレ用の洗剤として良く知られている商品を調べると、「この商品を買っている人はこんな商品を買っています」というレコメンドに、自殺に関する書籍が多数表示されるようになったのだ。ついでに書籍と並んで、「薬用入浴剤」「天然湯の花」「特大ポリ袋」「結束ロック」「タイマーコンセント」などの商品もお勧めされていた。
 
 もちろんこれは、単なるショッピングサイトの、単なるレコメンデーションシステムという即物的な関係に過ぎない。硫化水素の原料や自殺本をアマゾンでまとめて買い込んだ人たちも、お互いの存在を直接的に認知できない。しかしアマゾンで硫化水素の原料を買った人たちは、「この商品を買った人は自殺本も買っています」というアマゾンの表示によって、自分と同じように人生に悩み、絶望し、自殺というオプションを現実的な選択肢として考えている人たちの存在を知り、自分と同じ人生の最後を選ぼうとしている人たちの存在を、おぼろげながら認識している。
 
 その関係は地縁でなければ血縁でもなく、利益でさえも結ばれていない。目的も存在しない。ただ「自殺に関連する商品を選んだ」という情報でつながっているだけだ。さらに言えば、情報でつながっていると言っても、マスメディアの作り出す情報の圏域と比べれば、自殺関連商品を選んだ人たちの圏域は、はるかに小さい。でも小さいからこそ、おぼろげであっても、「そこに誰かがいる」ということを、自分の目で確認できる。

  岡田有希子のこと思い出した。前に書いた自分の文章を引用する。

 また昔話だけども、俺は岡田有希子のダイブに引っ張られたクチで。岡田有希子は不思議ちゃんじゃなかったが、場にそぐわない感じがあった。俺が勝手にそう思ってただけかもしれんが。坂本龍一作曲、松田聖子作詞なんていう、モロに当てに来た曲で実際当たったんだが、岡田有希子本人には前に出ようっていう意志が見えなかった。アイドルとしての岡田有希子は華やかなステージに立ってるが、彼女自身はそこに居ないみたいだった。変な違和感があった。
 その空っぽの岡田有希子がダイブして、物体になった。物体は空っぽじゃなく存在感が凄かった。
 電線にとまってる鳥の一羽を撃つと、その振動が伝わって他の鳥も落ちるって話がある。ウソだろうけど。なにか場に違和感を感じてた人たちが、日本のあちこちにバラバラにいて、お互い知らないけど、見えない同じ電線に載ってた人たちが、連られて落ちていくように思えた。俺は特に岡田有希子のファンではなかったけど、そんなふうに感じて引っ張られた。

 ニューウェーブを聴き始めたときも似たことを感じてた。今ムックスにアップしてるような曲を好んで聴いてた。ハンドメイドでパーソナルで稚拙だったりもする、いびつで可愛い曲。ベルギーとかでちょこっとプレスされたレコードが日本にも届く。まるで手渡しされたみたいに感じる。たぶん同じ思いの人が世界中にいる。会ったことのない、ちょっとズレちゃった人たちが、夜中に小さい音で鳴らす音楽で繋がってるみたいだった。

松屋本社

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■えぐち食いに久しぶりに三鷹行ったら、駅前に松屋本社ビルがあった。モノトーンにターコイズのこじゃれたビル。松屋なのに! ロゴまでモノトーンになってる。それでいいのか!?
 
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 1階の店舗もモノトーンで、内装まで若干こじゃれてる。松屋なのに! 系列のトンカツ屋もある。地下には鮨・割烹『福松』が。お勧めコース5250円、上は1万5750円のプチブル的価格。松屋なのに!
 ちなみに、えぐちは連休中休みだった。
 
ドラマ『ハチワンダイバー』。本編中、谷間の露出は一瞬で、だまされた感もあるがしばらくワッチしていきたい。
 週刊 真木よう子は明日深夜、福満しげゆきの原作。
 
■タンブラにグラビア貼ると凄く浮く。あるいはグラビアばっかり貼ってると、他の写真が浮く。
 グラビアがいかにファンタジーにまみれたものかよくわかった。

中西夏之新作展

中西夏之新作展見てきた。離れたり近付いたりしながら面白く見たんだけど、帰って図録読んだら、作者の意図そのままうまいことできちゃった絵らしくて、それは凄いけどなんかちょっとつまんないなと思った。
 あと松濤美術館はゆるくて好感が持てるけど、照明黄色いのはどうなんだ。
 
■東急の屋上にカラスが巣を作ってた。カラスの巣ってあんまり見たことないかも。っていうか見るのはツバメの巣くらいか。
 熱帯魚屋がなくなって犬屋が拡張されてた。

掌蹠膿疱症ほぼ完治

■2カ月くらい薬やめても問題なかったんで、取りあえず通院終了。まだ足の裏にはぽつぽつ出るんだけど実質問題なし。通ってたのは慶應義塾大学病院の漢方。
 ’04年の夏頃発症して、年末あたりには酷いことになった。物を持つのがつらくて、歩くのも痛い。幸い骨には行かなかった。
 掌蹠は治療法が確立してない病気で、原因は歯の詰め物の金属アレルギーと言われてる。そんで、まずパッチテストをやったがアレルギーはなかった。
 扁桃腺に病巣がある場合、切れば治ることもあるらしいが、治る保証がないのに手術はつらい。ほかでダメだったときの手段にしたい。
 岩橋診療所へ行ってビオチン治療も試したけど効かなかった。けど、この病院で初めて詳しい話が聞けたんで行った価値はあった。
 西洋医学でわかんないなら東洋でどうだ、ってことで、漢方を試したら収まってきて、薬を飲んでる限り日常生活に問題はなくなった。
 掌蹠膿疱症はそのうち勝手に治ったりするものらしい。もしかしたら薬で治ったんじゃなく、3年間薬で抑え続けて自然治癒を待ったかたちなのかもしれない。どっちにしろ漢方が効いてくれて助かった。