■So-netの迷惑メール振り分けサービスが無料だと言うんで登録してみた。OS Xのmailにはスパムフィルターがあるんだが、DTP中はOS 9だし、たまに京ぽんでメールチェックするときもスパムがやっかい。
振り分けはスパムに印を付けるだけのものと、サーバ側で別フォルダに隔離するものがある。前者はあんまり意味がない。後者はウェブメールの使用が前提になってる。
んで後者を選んで、初めてSo-netのウェブメール使ってみたが、gooに比べて使いにくい上に、朝方だっつーのにアクセス過多で繋がらなかったりすんの。えー?
ウェブメールの画面上部には、My So-netとかRSSリーダーとかブログとかサービスメニューが並んでるんだけど、サービス毎にいちいちログインしなきゃいけないの。IDもパスワードも共通なのに。さっきメール見るのにログインしたのに、ブログんとこ行くと「ようこそゲストさん」だって。えー? So-net Blog、一時期使ってたけど重くて話んなんない。なんでこうもへぼちんなのか。無料ったってプロバイダの料金でやってんだよねえ……。
■1年前から、はてなアンテナやめてI know.使ってる。「ぜひみなさんも」とは言えないのだが、もっと使われてもいいように思う。
欠点から言うと、
・100件までしか登録できない
・巡回が全般的に、はてなより遅い
・インターフェイスがわかりにくい
特にはてなダイアリーは、はてなアンテナに即座に反映されるから、I know.の遅さが目立つ。I know.で上がって見に行くと、次の日の日記が書かれてたりする。
はてなアンテナやめた最大の理由は、自分のサイトの更新を拾ってくれないから。なぜかI know.は即座に拾ってくれる。俺に優しい。はてなはもうしょうがないから、毎度自分で手動更新してる。
俺んとこを拾わないのと同様によそも拾わない可能性がある。実際、拾わないまま沈んでいくサイトがあった。I know.は遅くてもいつか拾う。
もうひとつの利点は、RSSに対応してること。この機能、使ってる人が少ないかもしれんが、便利っすよ。RSSで更新チェックすれば、チェック範囲を工夫しなくても、コメントやトラックバック、ちょっとした書き直しをいちいち拾わないで済む。このメリットは、はてなRSSをアンテナ代わりに使ってる人ならわかるはず。RSSの表示も、はてなRSSみたいにフィード毎に分けるか、はてなアンテナみたいに1つにまとめるかをサイト毎に選べる。
逆にコメントとかトラックバックとかも拾いたければ、RSSじゃなくて通常のアドレスで登録すればいい。RSSリーダーとアンテナがひとつで済むのがI know.のいいとこ。
俺的には巡回遅いのだけ改善されればいいんだけど。みんなI know.にping送ってれればいいのに。ここ↓
http://ping.i-know.jp/
投稿者: ふじり
-
ウェブサービス
-
ポルトガル語漬け
■秋山奈々らしき人を見かけた。顔はごく短時間しか見えなかったけど、たぶんそうだと思う。少なくともルックスと服装と一瞬聞こえた話の内容からしてモデルかタレントであることは確か。北陽の伊藤でもなかった。美少女というより美女だった。もうちょっと人が少なければ、しっかり見れたのに。
■昨日書いたのは、昔/今と、ブラジル/日本がごちゃごちゃで何言ってんのかわからんな。
ブラジルのことで言うと、こないだ買ったカルトーラは’74年の録音で、このとき65歳だそうな。これがファースト(とセカンドのカップリング)なんだが、かといって「苦節何十年、ようやくレコード出せました」的な超遅咲きではないらしい。二十歳のときにマンゲイラを創立している。サンバの巨人であることに、レコードが出てるかどうかは関係ないらしい。こういうの、日本じゃ考えにくい。
(マンゲイラは史上2番目にできた、現存する最古のエスコーラ・ジ・サンバ。エスコーラは学校の意味で「サンバ学校」と訳されるけど、意味合い的には「チーム」で、生活共同体だったりもするらしい)
中原仁『ブラジリアン・ミュージック』(持ってるのは’95年版)に載ってた、ノルデスチ(北東部)の民衆詩人の話もなんか凄い。北東部の民衆詩人(ポエタ・ポプラール)は、その表現の仕方において大きく「吟遊詩人」と「詩人」に分けられる。詩を用いて物語を綴るのが「詩人」であるのに対し、吟遊詩人は「歌い手(カンタドール)」とも呼ばれるとおり、自作の詩や他の詩人が作った詩を歌いながらセルタォン地方の旅を続ける遍歴者だ。彼らはいつも、旅先で仕入れた最新の情報を持ってやってくる。そして見たこと、聞いたこと、体験したこと、感じたことをテーマに「物語」を創り、歌って歩く。世相を反映した詩を人々に歌って聞かせるという、まさに「歩くシンギング・ニュースペーパー」のような存在だ。
(略)
民衆詩人の詩作は、口述によって人々に紹介される一方、小冊子に印刷され販売されている。この小冊子を「フォリェット」と言う。一般的には新聞紙に印刷されていて、ページ数は4の倍数。内容がニュースの場合はページ数が少なく、架空の話の場合は16ページから64ページまである。表紙やイラストには、作者自ら描いた木版画が用いられることが多い。これらの小冊子による文学を総称して「リテラトゥーラ・ヂ・コルデル(紐の文学)」と呼ぶ。これはイベリア半島から伝わってきた呼び名で、小冊子が紐でつるされて売られていたことが起源である。もっともブラジルでは一般的に、地面に新聞紙を敷いてその上に並べるか、ふたを開けたトランクの中に入れて売られている。“手入れ”があった時のことを考え、素早く店をたたんで逃げるのに便利だからだ。
(略)
実際、フォリェットはこの百年ほどの間に、北東部の民衆に最も広く読まれている印刷物だ。学術的な出版物の発行部数が国内で約2000部ぐらいなのに対し、フォリェットは1万から2万部発行されている。ベストセラーは10万部以上になる。フォリェットは多くのブラジル人の嗜好や情緒を養い、そのような人々を通じて民衆文学そのものも養われていく。マスメディアを媒介としない広がり方はいたって明確なもので、内容の良いものほど大勢に読まれ、自然発生的に口コミで情報が広まっていく。なにこの同人マーケット。いつの時代の話ですか?って感じだが、今もこうらしい。
-
みんなのうた
■立ち読みした週刊アスキーに、コーネリアスのヤン富田ミックスがiTMSで限定販売とか書いてあった。あった。買った。iTMSで特に宣伝されてないし、検索しても盛り上がってる様子はないが、ほんとに限定なのかな。どっちでもいいんだけど。
■中古で『コマソン黄金時代 懐かしのTV-CM大全集(1962〜1973)』ってCD買った。『見えすぎちゃって困るのオ〜』が入ってる。植木等の「なんであるアイデアル」とか巨泉の「はっぱふみふみ」とかセリフだし。コマソンじゃないし。5秒とかだし。
今も売ってるのかアマゾンで検索したら、中古が1万円とかだった。これ。俺は1200円で買ったよ。アマゾンの中古は強気なのが多いから、これが相場かどうかは知らんが。
■ボサノバは同じ曲をいろんな人がやってる(この時代はほかのジャンルもそうだけど。スタンダード・ナンバーがある)。作曲家は先生で、歌手はスターで、今の「アーチスト」よりも一般人との格の差は大きかったんじゃないかと思うが、名曲は共有財産みたいな感じもあるように思う。サンバは共同体の音楽みたいだし、最近のMPBでも古い曲のカバーがあったりする。みんなで楽しむ分には、必ずしも新曲でなくていい。
一方、今は、っていうか俺が自分が楽器できなくて、歌も音痴だからそう思うだけかもしれんが、身近に音楽がない感じがする。古い映画見ると、意外なとこで意外なかたちで歌が出てくる。意外に思うのは、みんながいる場で歌うことがなくなってるから。
今は「音楽=CDを出すか買うか」みたいな。「みんなのうた」じゃなくて「俺の歌」。俺の主張を聞け、俺の世界を知れ、みたいな。それか逆にマーケティングもりもりみたいな。カラオケとクラブはあるけど、フィジカルな発散の意味が強い気がする。軍歌とか闘争歌とかとはだいぶ違う。そこいらで踊る習慣もない。かろうじて盆踊りとか祭があるくらい。こんなふうに想像上の昔を今よりいいものとして対置するのは、ありがちでヤバいけども。
ブラジル音楽に首突っ込んじゃったから、どうせなら「ちょっと詳しい」くらいまで行こうと思って、さらにCD買ったり本読んだりしてるんだけども、ポルトガル語がわからないのが大きな壁で。英語だってわからんが、そこそこ聞き慣れてはいる。ポル語は曲名の意味がわからん以前に読めない。発音できない。仮に多少わかるようになったところで、ブラジルの歌はよその共同体の歌であって、俺らの歌じゃない。
で、俺らの歌ってなんかあるかと考えると、アニソンとかしかないんじゃないか。好きな曲ならいくつも挙げられるが、好きな歌となると、細野さんのファーストと一時期のムーンライダーズくらいしか浮かばない。ものごころ付いた頃には歌謡曲も微妙なことになってたし。とか思って、CM集もわりと真面目に買ったんだけども……。
そんなこんなで大工哲弘はやっぱいいなと思ったりした。 -
YouTubeのMPB
・Sinatra and Jobim
フランク・シナトラとジョビン。間奏で一服するのがダンディー。
・Astrud Gilberto – The Girl From Ipanema [1964]
お馴染み『イパネマの娘』。出だしがおもろい(だけ)。
・Águas de Março
ジョビン、シコ・ブアルキ、カエターノで『三月の水』。
・Os Mutantes & Gilberto Gil
こんな大編成なのか。ジルベルト・ジルかっこいい。ムタンチスはルックスが幸せそうだな。特に髪型。
・Chico Science & Nacao Zumbi – Maracatu Atomico
シコ・サイエンス&ナサォン・ズンビ。土方巽が一枚噛んでるような……。
・Daniela Mercury no polêmico vídeo da camisinha
ダニエラ・メルクリ。コンドームを付けよう? こんなのあった。元記事が見れないが、避妊の是非で揉めてたんだろうか。
・just a little birthday video for marina
セウ・ジョルジの検索で出てきた。セウ・ジョルジは役者でもあり、映画『シティ・オブ・ゴッド』の「色男・マネ」。ブラジル風ファンク、ファンキの人。最新作はなぜかデビッド・ボウィのカバー集。
・A Sua – Marisa Monte (live)
マリーザ・モンチ。照明がきれい。
・Morelenbaum2 Sakamoto – CORACAO VAGABUNDO (Live)
ジャキス・モレレンバウム+パウラ・モレレンバウム+坂本龍一のユニット。モレレン2は複数上がってた。
・Arto Lindsay + Peter Scherer – It’s Gonna Rain (Live at NYC)
MPBじゃないがモレレン2と同じ方がアップしてたアンビシャス・ラバーズ。 -
宇宙戦争
■これまた変な映画だった。おもろかった。
特撮がもー、こんなん作られたらもうゴジラとかガメラとか全然無理って感じ。目の前の異変がリアル。東京タワーとかデカい建物壊れないけど、そういうんじゃないってことかもしれんし、今となっては生々しいから避けたのかもしれんし。
そのくせ、妙にリアリティーがなかった。テレビの小っこい画面で見たってのも大きいと思うけど、現実よりは夢っぽい。やけに簡単なとこも。宇宙人が出てくる直前、娘さんの顔にクモが付くのなんか簡単すぎるんだが、半分わざとやってるんじゃないか。夢ってこんなんだし。
妙なのは父ちゃんの通過儀礼で話ができてること。
あと、娘さんの前に酷い光景を持ってくること。父ちゃんは娘を守って逃げるんだが、それは光景から守るっていうか、見せないようにするっていうことだったりして、でもやりきれてなくて、なんなら自分が酷い光景の当事者だったりする。「監督のスプラッター趣味」じゃ収まらないなんかがある気がする。
トライポッドのデザインはちょっとアレだな。何万年も埋まってた異星のメカに見えん。日本人の方がいいの作れるのでは。 -
DVD
■タナカカツキのタナカタナ夫DVD
キレイな金魚のパケだけど、たなびく曲線はフンだという……。
なんか涅槃げですな。空飛ぶ子供の映像なんて、向こう側の世界からこぼれてきちゃったような、向こうに呼ばれてるような。夢見てるのと起きてるのの間のような。ディック風に言うと入眠時幻覚みたいな。パノラマの作品なんかも、視線が凄く遠くにある感じがする。死んじゃってる人の視点。
■コンゴトロニクス2
DVD付きCD。親指ピアノ(こういうの)を電気増幅して奇っ怪な音に。遠くまで音が届くようにアンプに繋いだそうで、もとの玄妙な響きはなくなってる。曲によってはミニマルテクノみたいにも聞こえる。ボーカルもなんだか割れててマーク・スチュワートみたい。前のコンゴトロニクスは1バンドで1枚で、面白いけど聴き通すのしんどいかもなーとパスしたけど、2はオムニバスで楽しい。
DVDがですね。生というか、映像的にあんまり凝ってなくて、現地の状況そのままなんですね。いわゆるミュージックビデオとあまりに違うんで軽くショックだった。
日本人は多分、世界一小綺麗だと思う。特に女の子。それはチェック項目を満たさないと後ろ指さされるってことでもあって、あんまり良くないと思うんですよ。「エコ」っていう名目ができるまで過剰包装がやめられなかったこととか、やたら完成度ばっかりを問題にするのとかも関係してて。
そんな小綺麗を嫌う俺が見ても、小汚いのな。軽くショックなほどに。美人ダンサーもいるんだけど、あなたが頭に付けてるひらひらした飾りは、カセットテープちゃいますの?とか。なんかお腹にデコボコがある人がいて、腹筋にしては妙だし、病気ちゃいますのん?とか。パーカッションの台がビールケースだったり、それ以前にビンが楽器だったりもするし。それで慌ててホワイトバンド買いに行くとか、そういうことは全然なくて、まー正味、珍しいんですよ。いろいろと。
テレビとか映画とかも含めて、映像見るのめんどくさくてあんまり好きじゃないんだけど、やっぱ見なきゃダメだなーと思った。 -
ジョン・W. ダワー『人種偏見』
■副題が「太平洋戦争に見る日米摩擦の底流」。人種の面から見た太平洋戦争。初版は’87年。出たときに話題になってたのかもしれない。
第一部は全体の俯瞰。日米お互いにクソミソ言い合っていたわけだけど、悪口には根拠があってデタラメじゃなかった。お互い実際ひどかった。つまりはお互い様だった。相手をひとまとめのステレオタイプにはめるっつーのは反日・嫌韓の人らが今もやってることで。進歩がない。
第二部はアメリカが日本をどう思ってたか。自分がどう思われてるかは誰しも気になるところで、日本人的にはここが一番面白い。うんざりするほど日本人がクソミソに言われる。「黄色い猿」に差別が含まれてると知ってはいるんだが、実感としてどんなふうかはわかってなかった。太った人をブタ呼ばわりするのとどう違うのかピンと来ない。そのへんが、うんざりするほど読めばなんとなくわかってくる。概要まとめたり、どっか抜き出して引用したところで「そんなのは知ってるよ」ってことになっちゃうんで、やっぱりうんざりするほど読まないと。
妙だったのは、日本人は平衡感覚に欠陥があるから航空機の操縦に向いてないと思われいて、その原因は乳児のとき、背負われてシェイクされるからじゃないかと言われてたこと。
もうひとつ。日本人が精神的に未発達なのは、子供の頃の厳しすぎる排便のしつけにあると説明されてたらしい。厳しすぎるってどういうことだろう。欧米はどうしてたんだ? それか当時の日本は、今はなくなった異常に厳しいしつけをやってたのか?
第三部は日本からみたアメリカ。なのだが、単純に裏返しにならない。欧米は現に勝ってたから、白人から見て白が優秀なのは自明のことだった。一方、日本は遅れてきて欧米から学んでる立場だから、黄色人種の方が優れているとは言えない。で、精神的に優れていると主張し、アジアの白人になろうとした、って話。
第四部は戦後の話。これがないと話はまとまらない。まとめに向けて、こじつけた感じがしないでもない。それでも興味深くはある。
気持ちの問題は客観的に扱いにくいもので、歴史関係の本としては比較的怪しい部類になるのかもしれないけど、実利の面であーなってこーなってって話より、よっぽど今に繋がる流れがわかる感じで面白かった。