■エキサイトのlast.fmが始まったみたい。↓これ。
・“俺ラジオ”作れる「Last.fm」が日本進出
昼の段階ではイギリスの本家last.fmのIDが使えず、新たに登録がいるっぽかったが、今見たら統合されてた。
last.fmは、iTunesとかで再生した曲のリストを作成するサイト。mixiミュージックみたいなもん。SNSっぽい機能もある。サイドバーに貼ってるiTunes再生ログはlast.fmのもの。
そんでラジオが強力。アップした曲のリストをもとに俺好みの曲を掛けてくれる。Tune Inで“samba”とか入れると、サンバばっかりかかる(全然サンバじゃないのも結構混じったりするけど)。こんなんタダで聴けていいんかって感じ。
日本のはまだβってことでラジオがない。日本のサイトからソフトを落とすとラジオが聴けないらしい。英語サイトのここから落とすべし。ラジオ聴かずにプレイリストをアップするだけなら、旧バージョンのAudioscrobbler Pluginの方が邪魔にならなくていい。俺はAudioscrobbler Pluginを常駐させて、ラジオ聴くときだけ最新ソフトを使ってる。
日本には悪の組織があるから、エキサイトの方がβじゃなくなった段階で、つまんない別物になって、イギリスの方は使えなくなったりしないか心配。
投稿者: ふじり
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last.fm
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磯部潮『発達障害かもしれない』
■磯部潮『発達障害かもしれない 見た目は普通の、ちょっと変わった子』読んだ。高機能自閉症、アスペルガー症候群に関する理解を促す本。メインターゲットは子どもに関わる親や教師なんだろう。
高機能自閉症というのは、普通に暮らせるけど自閉症っぽい傾向がある人だと思ってた。この本によれば、自閉症なのに高機能なせいでそう見られず、誤解を受けやすい人らしい。言い方・視点の違いっぽくもあるが、根本的に全然違うんだろう。高機能自閉症は、高機能だが、あくまで自閉症、とうことらしい。
自閉症の概念が広まったのが’60年代後半というのは意外だった。俺は’65年生まれなんだけど、自閉症の同級生がいた。幼稚園から中学まで一緒で、自閉症はある意味身近だったから、もっと昔からある概念だと思ってた。彼の両親はしばらくの間、自分の子どもが何でああなのかわかんなかったのかもしれない。
電車に乗るとよくそいつに会った。ずっと乗ってるらしい。挨拶すると「おう!」とか返事が返ってくるけど、それだけで話はできない。自閉症は手順にこだわるらしいから、決まった時間に決まったルートを走る鉄道は魅力的なのかもしれん。と、理屈では思うけど、なんでそこまで惹かれるか謎。鉄っちゃんって変な人多いよなあ。
著者の意図するところとズレてんだろうけど、自分に似たとこ、自分と違うとことか、いろいろ興味深かった。なんかうまく行ってないと思う人には、かなり面白い本だと思う。
自閉症だと感情移入ができないらしい。抽象化もできないらしい。視聴覚で選択的にものを捉えることもできない。カクテルパーティー効果やパターン認識がうまく働かないらしい。頭の中は映像の洪水
しかし高機能自閉症やアスペルガー症候群の人たちは、自閉症患者と同様、視覚領域においては一般人より優位性が発揮されることがしばしばあります。
前述したように、私たちは物事や出来事の不必要な部分を意識することなく切り取り、必要なものだけを記憶する選択的注意という能力を持っています。しかし彼らは、無意識レベルで切り取ることなく、物事を記憶します。普通私たちは注目しているものに焦点を合わせて、それ以外のものは意識することはないのですが、彼らは写真のように全体の映像を切り取るのです。(p.73)こういう症状はどのように説明すればよいのでしょうか。
私は、これはデジタルカメラのファインダーで世界を切り取ったようなものではないかと考えています。
見るもの、感じるものを一瞬一瞬、場面場面で切り取るため、自分の内的世界に残像はあるものの、全体的に捉えたり、抽象化したり、他社と体験を共有することができなくなるのではないでしょうか。
これは先ほどの「五感の過敏性」にもつながっています。つまり、ファインダーで切り取ったファイルをハードディスクに次々と入力し続けているため、容量がすぐにいっぱいになってしまうわけです。
ただし、抽象化や全体化という修飾を受けていない分、ファイル自体の鮮明度は、おそらく極めて高いのではないでしょうか。自閉症の子どもが驚異的な記憶力を発揮するのは、このためではないかと思います。
この能力も、生活する上で計り知れない不都合があると思います。他者と体験を共有できなければ人付き合いができないでしょうし、抽象化や全体化ができなければ他者とコミュニケートすることもままならないでしょう。しかし、この能力は、私たちに新たな発見をもたらす可能性もあるはずです。先入観を排して物事を見るということは、私たちにはありえないことですが、彼らにはそれが可能なのです。
世には知られていないだけで、世紀の大発見をした人物の中に、おそらく多くの高機能自閉症やアスペルガー症候群の人がいたと私は考えています。その証拠に、偉人伝には変人やまるで協調性のない人、おそろしく自分勝手な人が数多く登場します。具体的には先のアインシュタイン博士や、発明王として知られるトーマス・エジソンもアスペルガー症候群だったろうと考えられています。日本では、坂本竜馬や織田信長がそうだったのではないかと言われています。
私たちの視点は普遍的なものか
先に述べたように、自閉症児の視点は私たちとは異なります。では、私たちの視点は普遍的といえるのでしょうか。あるいは、物事の本質を見抜いているといえるのでしょうか。ひょっとしたら、私たちの視点は、単に生活をしやすくするため、言い換えれば、生存しやすくするために手に入れた特性かもしれません。
本来、自閉症の人が持つ「五感の過敏性」と「状況への認知の歪み」こそ、本来人類が本能として持っていたものであり、私たち人類は生存を容易くするために、進化の過程で「選択的注意」を獲得したのではないでしょうか。
たしかに私たちは選択的注意のおかげで格段に生活しやすくなり、生存し子孫を残すことに成功したのかもしれません。けれども、ある程度安全が保証された現代において、選択的注意は必ずしも完璧である必要はないのではないでしょうか。だからこそ、選択的注意が不完全な自閉症が生まれたのかもしれないのです。
私たち一般人の視点は、あくまで進化の過程で備わったものであり、普遍的なものではありません。自閉症児の物事のとらえ方や視点の中にこそ、人類が選択的注意を獲得する以前の、人間としての本能や普遍的な視点が隠されているのではないかと思うのです。
なぜ私がこんなことを考えるのかというと、自閉症児の視点は、常に一定の自らの快感原則に従っているように見えるからです。しかもその視点は、自分を中心にして三六〇度、物事を均等に平等に先入観なく取り入れているように思えます。(p.31)認知に関する知識がないんだけど、これは変じゃないかなあ。センサーの入力をそのまま受け入れる高等生物なんていないんじゃないか。人間のそれとは違うかもしれないけど、どんな生き物でも不必要な情報は捨ててるはず。選択的注意をしないのが「本来」なんてことはないだろう。それはやっぱりエラーだと思う。
でも、次の段階、言わばニュータイプとしての選択的注意の放棄ってのは、お話としては面白い。 -
カメラリハビリ
■長いことカメラに入れっぱなしだったフィルムを現像に出した。マゼンタかぶりしてた。
新しいフィルムを入れて、取りあえず1本撮った。撮りはしたけどなんのこっちゃって感じ。昔撮ったのをちょっと見返してみたが面白くない。さあ、どうしよう。 -
趣味(主にカメラ)の掃除用品
■ブロアー/ブラシ
精密機器の掃除は、まずブロアーとブラシでホコリを落としてから。ゴミが付いたまま拭くと傷つけることになる。特にレンズは要注意。ブロアーを使ったあとでも、ごしごしやるのはマズい。ブロアーはシリコン製が劣化が少なくて使いやすい。
カメラ内部にエアダスターは使っちゃいけない。縦走りシャッター幕や、MFカメラの露出計の針など、弱い部品を壊す可能性がある。
■中性洗剤
汚れの種類を問わなくて、モノを痛めない頼りになるヤツ。俺はメガネを食器用洗剤でジャブジャブ洗ってる。でも、カメラや家電品はすすぎ洗いができないから、拭き残しがやっかい。フジ、コダックの液体レンズクリーナーも使いにくい。
■無水エタノール(アルコール)
薬局で買える。技術者はレンズ清掃にエタノールとエーテルの混合液を使うそうだ。混合比は基本1:1で、季節によって比率を変えて揮発性を調整するとか。けどエーテルは危ない。メーカーでももう使ってないという話もある。だからエタノールだけ使う。
拭き取りにはレンズクリーニングペーパーとして売られてるものを使う。真ん中から外側へ円を描くように拭く。
あたしゃエタノールを常備してて、何にでも使ってる。油汚れがよく落ちるし、拭き残しが気にならず、すぐ乾いて便利。ただし汚れによっては、他の洗剤ではすぐ落ちるのにエタノールじゃ全然落ちないこともある。
アクリルにクラックを発生させる可能性があるらしい。家電の素材は耐食性を考慮してるはずだが使わない方が無難。あと、フローリングなど木の塗装を白く変色させることがある(アクリル塗装?)。細かい傷が入った古いプラスチックが白っぽくなったこともある。ゴム類には使わない方がいいようだ。
■オリンパスHYPER CLEAN 3310
(俺がオリンパスびいきだからってわけじゃなく)評判のいいカメラクリーナー。本来産業用で、3種類ある内、3310だけ民生用にも売られている。オリンパスからはエアゾルで、堀内カラーからは液体で出てる。使うとピカピカになって気持ちいい。
レンズがピカピカになるのは光学的に影響がありそうで、逆に気持ち悪い。産業用だから問題ないはずなのだが、エタノールでは落ちないときだけ使っている。
成分はシリコン系溶剤とエチルアルコール。やっぱりアクリルには使わない方が無難と思われる。
■ツムラ・キッチンアクアショット
アルカリ電解水。この手のものは結構前からあったが、小瓶で売られていることが多く、容量の多いものは入手しにくかった。そこいらで買えるようになってありがたし。もっと安ければなおありがたし。直接吹き付けるのが基本なのだが、家電品に使う場合は布に吹き付けてから拭くことになる。これだと洗浄力が落ちる気がする。
注意書きにあるように、レンズ、ディスプレイのコーティングを冒す可能性がある。カメラに使う場合、レンズに付けないよう注意がいる。
にもかかわらず同種のものが、レンズにも使えるカメラクリーナーとして売っていた。用品メーカーは使えそうなものを適当にカメラ用品として売ってることがあるんで油断ならない。神秘の水と謳う、やけに高価なのもあった。
カメラには使いにくいが、ペット用品の清掃・殺菌には便利。ペットに洗剤はマズいし、エタノールよりラフに使える。
※追記:生産中止になったようだが水の激落ちくんなど類似商品が出ている。
■息
レンズに息を吹きかけるとカビの原因になるっていう人がいるけどホントかなあ。湿気ったって数秒で蒸発する程度だし、鏡胴内部まで強力に吹き込むわけじゃなし。唾液の成分が問題だとしても、唾を塗りたくるわけじゃない。もともとごく少量な上に、蒸気に近いものだから、水以外の成分なんてほとんどないと思うんだが。そもそも唾液の成分はレンズに生えるカビの栄養になるんだろうか?
息のメリットはもの凄く少量の水分を、均一に吹き付けられること。汚れや拭き残しが見やすくなること。
レンズの掃除は難しく、掃除してるつもりでかえって痛めてしまったりする場合もある。ブロアーとブラシだけでダメなら、マイクロファーバークロスでから拭き。から拭きで落ちないなら息を吹きかけてからマイクロファーバークロス、が安全で効果的に思うんだが。
それでもダメならエタノール。まだダメならレンズクリーナー。
やめとけ、って言う人がいるからお勧めはしませんが。
■マイクロファーバークロス
トレシー、ミクロディア、ミクロスターとか、極細の繊維が汚れを掻き落とすもの。ベリーマXなど、より細かい凹凸を持つものが効果的と思われる。
かつてカメラの清掃と言えばシリコンクロス、その前はセーム皮だったけど、もはやどちらも用なし。俺は経験ないけど、シリコンクロスはプラボディーを傷つけるという人もいる。
■ティッシュ
ティッシュはダメっすね。感触が柔らかいだけで繊維は結構堅い。エアガンとかごしごしやると細かい傷が付いて艶消しになる。ホコリもいっぱい出るし。普段なんかっつーとティッシュ使うから、つい手が伸びがちだけど、機械モノの掃除のときは存在を忘れるよう努めてる。
■保護カバー・フィルター
汚さないのが一番なのだが、カバーの類はビンボ臭いしデザインを崩すから、俺は基本的に付けない。背面液晶やスマホの保護フィルムなども意味がないと思う。短期に売り払って新機種に乗り換えるとかじゃなければ、そんなに神経質にならなくていいんじゃないか。
レンズの場合、(広角を除くと)フードを付けていれば、そうそう致命的なことにはならない。
それに保護フィルターを付けると、撮像面に平行で、まるっきり平面の反射面を、表裏2面増やすことになり、光学的によろしくない。極端に言えば、保護フィルターを付けるのは、常に少し汚れた状態で使い続けるようななものだ。レンズ本来の性能を引き出したいなら付けるべきではない。PLなどのフィルターを使う場合も不便だし、プロはほとんど保護フィルターなんて使ってないだろう。
とは言え、フィルターを付けたのと付けてないのとで撮り比べても、判別できないことが多いかもしれない。なら、高価なレンズを守るために付けた方がいいというのも理解できる。付ける場合は、ちゃんとしたコーティングがなされているものを買う必要がある(つまり高くつく)。昔はスカイライトかL39が保護フィルターとして一般的だったが、最近は発色に影響しない保護専用のものを使うのが普通。 -
時事ネタ
■淫行とかメモとか話題ですけども。
ニュースは、ほんとに言っちゃいけないことは言わないわけで。
言う意味のないことも言わない。前提として指向性がある。
ウケの良さとか、世論とか、欽ちゃんとか首相とかの力関係とか、記者なり会社なりの方向性とか、もろもろの要素の絡みから、何をどこまでどのように言うか決める。
こっちは、その要素全部を知ることができない。その要素からどんな計算をしたのかも全部は理解できない。その件の当事者じゃないし、報道する側でもないから。
調べればわかることもあるが、最後までわかんない部分もある、かもしれない。そこについては「あるかもね」と思っとくしかない。それ以上のことを言っても想像にしかならなくて、あんまり意味がない。
メモは待たれてた。だから見つかった。「ありそうなこと」だった。きっかけさえあれば議論の始まる下地ができてた。そういう力関係だった。極論すれば、メモは本物でも偽物でもかまわない。
宮崎勤がオタクらしいオタクだったのか、ろくに検証しないまま、あの事件はオタクの事件として語られた(俺も語った)。あの事件を「待たれてた」と言うのは不謹慎だが、現に俺らはあの事件をネタに、事件とは関係ないかもしれない話をしていた。話したかった話をしていた。
「オウムについて考えなければならないことが残っている」とか言うのも、本当はオウムの話じゃないかもしれない。「オウムを媒介にして、言えること、言っといた方がいいことがまだ残ってんじゃないの?」ということで。(話は逸れるが「9.11以降」って言葉を気軽に使う人は、なんか欠けてんじゃないかと思う。)
きっかけを待ってる議論は、いずれ話さなきゃいけないことかもしれない。「本当はどうだったのか?」はそれはそれで大事だけど、本当のことは最後までわからないかもしれないし、それでもしなきゃいけない話もある。
「報道の仕方がおかしいんじゃないの?」は中立。メモが本物か偽物かで自分が得するかどうかは取りあえず関係ない。
でも、メモが偽物だった方が得だと思ってる人による新聞社叩きは、新聞社の誘導の上にある。同じ土俵に上がってるというか。それはそれで話すべきことかもしれないが。
なんにしても、事実とは関係なく話が進んでって、それでいい場合もあるかもっていうか、それこそが事実になったりすることもあるってことで。バイアスはメディアだけじゃなくこっちにもあるし、お茶の間に座ってて全部が理解できるわけないんで。 -
沖縄
■無料でフルバージョンのMP3が落とせるmF247で七月エイサー特集ってのやってた。
NUU『さぁたぁあんだぎぃーのうた』も可愛い。耳に残る。
それ関係でネットうろうろして、KALABISA『Roochoo Gumbo y2k』をアマゾンで購入。細野さん・久保田麻琴・照屋林賢のユニット。これは良いですなー。キャリアの重みを感じる。