カテゴリー: 写真

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    ■忙がCのでR(嵐山光三郎)。
     
    雑誌からネットに移った“バカ記事”の主導権 / デジタルARENA
     まあ広告の関係もあるんだろうけど、雑誌は余計なことをしなくなった感じがする。
     昔は「雑誌は、雑誌の体裁を取らなきゃ」みたいのがあったように思う。「雑誌なんだから、雑多な記事を載せないと」みたいな。エロ本にも新譜・新刊の情報コーナーがあったり。こんなん誰が読むんだみたいな。良かった記事に丸を付けろ的なアンケートじゃ点は取れない記事でも「これを載せとくことに意味があるんだ」っていう考え方が昔はあった。
     けど、今はない。余計なことする余裕がなくなったような。スパ写が薄くなったみたいに、短期的なユーザーニーズに寄り過ぎな気がする。
     昔、雑誌は情報の発信者として優位に立ってたと思うんだけど、編集方針としてお客様を神様にしてしまうと、優位性を読者に明け渡すことになり、結果的に雑誌の存在意義が損なわれる。これは「雑誌よりネットの方が情報が速い」とか「ネットで誰もが発信者になれるようになった」とかそういうこととは関係なく、単に雑誌を作る側のスタンスの問題だと思う。読者におもねることで、雑誌は自分の優位性を捨てちゃって、スタンスの確保に失敗したんだと思う。優位性は幻想としてでも保持できたはず。
     長期的に見て、サービスする側に優位性のない雑誌なんて面白いわけない。雑誌が売れない→短期的に売れる記事に絞る→雑誌つまらない→雑誌売れない、のループのように俺は思う。けど、大多数がどう思ってて、何にならお金を払うのかは知らない。
     俺は俺が気に入った雑誌にお金を払いたいんであって、それで足りない分を広告で補ってもらう分にはかまわないが、広告ベースでお金が動いてるのは気持ち悪い。R25にも、もやもやしたものは残るし、デイリーポータルZを手放しで素晴らしいとも言えない。
     
    ■リズム天国、秋山奈々ソニン
     秋山奈々の目の隈が気になる。俺は涙袋に弱い。ソニンのスカートの裾が気になる。スカートの裾は誰でも弱い。

  • 俺様の臭まり加減について

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    ■まあ、臭いわけですよ。俺が。ここ数日ちょっと気温低かったじゃないすか。その間は臭くなかった。今日は暑い。いうてもそう極端に気温は違わない。このなんかちょっとの温度の差でですね、急に臭くなるね、俺は。春から夏に変わるに当たって「今日から臭い」ってポイントがあったんですよ。ここ数日一旦収まったものの、また今日から臭まった。ロングスパンだと、去年か一昨年かの夏から、それまで嗅いだことのない匂いがしだしたんですね。首筋あたりから。なんかほっこりしたような。24時間もほっとくと、お馴染みの匂いに変わってくるんだけど。単に「凄く臭い人の匂い」に。公序良俗に反する匂いに。これは加齢臭なのかな。何臭だろうと臭いことに変わりはないんだけどもさ。まあ、がっかりするよね。

  • カメラリハビリ

    ■長いことカメラに入れっぱなしだったフィルムを現像に出した。マゼンタかぶりしてた。
     新しいフィルムを入れて、取りあえず1本撮った。撮りはしたけどなんのこっちゃって感じ。昔撮ったのをちょっと見返してみたが面白くない。さあ、どうしよう。

  • ひかりもの

    Web写真界隈トークイベント見に行った。面白かった。やっぱり俺も俺なりにまた撮ろうと思って、帰りにヨドバシにフィルムスキャナを買いに行ったが品切れで、それなりにお値段のするもんだから気合入れたのに肩すかし。なんか収まりがつかず6年くらい使ってボロボロのドンケF-3Xを新調した。カメラの有無に関わらず普段使ってて、カメラバッグだということを忘れてる。初対面の人に「カメラ好きなんですか?」って言われて「なんで知ってるんですか?」「カメラバッグ持ってるじゃないですか」「ああ」みたいな。そんなことより自前の生体光学センサーの調子がおかしいから顔面備え付けの光学デバイスの新調こそ急務。

  • ロングテール

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    ■スクリッティ・ポリッティの新譜が出てるとレイ・ハラカミのブログに書いてあったんであちこち回ったけど、東京も見事に入荷してませんでした。タワレコもHMVもサイトでは売ってるのに、なぜこんな仕打ち? バージンからラフトレードに戻ったのは関係あるのかな。ダウンサイジング? 結局アマゾンで頼んだ。通販好きじゃないのにな。
     
    ■歩くときの手の振り幅が大きい人がいる。女性に多い。あなたが振ってるその手の高さは、私のちんぽの高さなのです。撫でられるにはやぶさかじゃないが、叩かれるのは怖いのです。

  • 橋本治と響鬼

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    amazon橋本治『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』
     「日本人は」と言うとき、高みから俯瞰してものを言うか、「われわれ日本人は」みたいに内側から勝手に代表者になるかだけど、橋本治の場合は、日本人がよその人みたいなニュアンスがある。上からでも中からでもなく、よそから見てる。
     この人の本読んでると、よそに連れて行かれるから怖くなる。
     
    ■関係あるようなないような話だけども、響鬼。
     ウチの父親は会社員で、俺は子どもの頃、会社員というのが何をやってるかわからんかった。背広を着て出かけて、酔っぱらって帰ってくる。その間に何をやってるのかわからない。マスオさんのようなものだろうと思うんだけど、マスオさんが何をやってるのかわからない。自分が学校に行くように会社に行って、時間を売って給料をもらってくるんだろうと思ってた。それはまあそれで間違いじゃない。
     世の中のお父さんのほとんどはサラリーマンだから、「サラリーマン」という言葉を使うのも主にサラリーマンだった。そんで「サラリーマン」には自虐的なニュアンスがあった。歯車であるとか。会社では上司に、家では妻に、やいやい言われる。日曜日は寝てよう日で、ごろごろして邪魔にされる。家は母親が仕切っていて、家族から見れば給料を運ぶだけの存在。そういうものであると、当のお父さん自身が位置付けてた。
     当然というかなんというか、息子である俺的には、父親が、父親の仕事が、まるで魅力的に見えない。っていうか、つまらないものだと思えた。
     父親みたいになりたくないなあと思いながら育つ。思うだけで言いはしないが(もしかしたら、なんかのひょうしに言ったかもしれんが)、父親はそれを察知して、「お前はつまらないと思ってるかもしれないが、俺にだって楽しいことはあるんだ。ゴルフとか」って言い出すから、なおさらつまらないなあと思う。
     そんなこんなで父親みたいなサラリーマンを避けて、ジャンル分けとしては「マスコミ系」であり「クリエイター系」の職に就いたんだけど、こないだまで会社員でもあった。一部、エッジな人々を除けば、クリエイターも単に専門職であって、ほかとそんなに違わない。自分が知ってる狭い範囲で言えば、どの仕事でも大事なのは気を利かせることだろう。自分に何が求められてるか察知して、その通りやる能力。求める相手は上司、クライアント、エンドユーザーといろいろあるからややこしかったりはする。それと、何が求めてられてるかわかった上で、その通りやらないという選択肢もある。けどとにかく、誰が何を求めてるかわかんないと、ズラしていい幅もわからない。
     なんにしてもニーズを気にしないでやりたいことをやってお金がもらえるというのはラッキーというか特殊というか難しい状況で、普通は人様の要望に応えるからこそお金がもらえる。誰かの意に沿うから、誰かがお金を払ってくれる。そんな当たり前のことが子どもの頃はわかんなかった。
     あらかじめお金が唸ってるんでなきゃ、残念ながら、どうにかして稼がなきゃいけない。人それぞれ稼ぐ手段が必要で、それぞれ手段は違うが、おおむね変わらないっちゃー変わらない。人のためになんかやって、人からお金をもらう。父親の仕事にどのくらいの面白みがあって、どのくらいつらかったのか知らないが、取りあえず俺の仕事と全然違うものじゃないだろうと思う。父親は父親なりに生活の維持を考えたんだろうし、俺は俺なりに持続できる仕事を模索してる。
     それで思うのは、俺らの親の世代のサラリーマンが自虐的だったことは、結果的にあんまりよくなかったなーってこと。ホントに「結果的」で、今だから言えることだし、今言ってもしょうがないんだけど。つらさも誇りも素直に伝えてればよかったのに。
     『13歳のハローワーク』は読んでないけど、「キミたちの可能性はいろいろあるよ」みたいのはもう足りすぎてるんで、周回遅れに見える。
     
     そんで響鬼だけども、響鬼は働くおじさんだった。人のために仕事をしてた。仕事ってのはクビにならない範囲で手を抜けるものだけど、「鍛えてますから」は、真摯に仕事に取り組んでるってことだった。響鬼は働くおじさんの背中を見せてた。これこそが足りないものだった。親が見せてくれなかったものだった。
     響鬼はヒーローで、特殊な才能であって、若者が憧れるに足る存在だけど、みんなが鬼になる必要はなかった。立花でお茶を運ぶのだって、ひとつの立派な役割だった。ヒーローチームが資金集めのために地道に飲食店やってるのは、面白さを狙っただけの設定じゃないだろう。少年がブラバンでドラムを担当できなくても、ホイッスルという役割を果たせばよかった。明日を夢見る少年としては当然面白くないが、実際やってみれば思い通りにならなかったりするもので、同様に鬼の素質があるかも謎だ。それでも少年なりに鍛えて、自分の場で、自分にできる、自分のやるべきことをやればいい。
     だから劇中であきらが鬼になる必要もなかったし、少年が弟子にならなくてもよかった。
     一方で30話以降のあきらのセリフ「私は鬼になれるんでしょうか?」は自己実現の話で、それはもう足りすぎてる話だし、自分の才能との格闘もなかった。「あるべき私に私はなるはず」っていうのは、単にぬるい話なんだよ。

  • 心霊写真

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     よーく見ると左右まん中、上から1/4あたりに顔が浮かんでまして。これはこの現場で事故死した作業員とかじゃなくて俺なんだけどね。車のガラス越しに撮ったから写り込んでる。レタッチで暗部を持ち上げると凄え怖い。俺、こわー。
     
    amazon■UA、結局買った。面白いことしてそうだから興味あったけど、ちゃんと聴くのは初めて。
     思ったよりJポップだなーと思った。で、最初の印象はあんまり良くなかったんだけど、2回目からは楽しんで聴けるようになった。
     目当ての『A Felicidade』はCMだとアカペラでストレートに歌ってる印象があったんだけど、半野喜弘のバックでくねくね歌ってる。これはこれでかなり面白いっす。あと、『トンネルぬけて』って曲がいい。原曲はボ・ガンボスだそうな。テイ・トウワの『Last century modern』はボーカルがUAに変わっただけで、だからどうなんだ、って感じ。
     
    井上雄彦『リアル』5巻を買ったが、前の巻から読み返さないとわけわからんし、今忙しいので置いてある。そのくせなぜかSABE『地獄組の女』を全巻読み返してしまった。