ジョアン・ジルベルト『Chega De Saudade』

Chega De Saudadeジョアン・ジルベルトの1st.『Chega De Saudade』がCD化されてた。
 上はアマゾンにリンク貼ってるけど、タワレコの方が安いです。
 
 一般にブラジル音楽っていったらボサノバでしょ。で、ボサノバの創始者はジョアン・ジルベルト。彼が最初にボサノバを吹き込んだレコードつったら最重要ですよ。ブラジルで1枚つったらまずこれってことになるのだが、初CD化であり、これもなんかちょっと怪しいという。
 
 昔1st.〜3rd.を1枚に収めた『ジョアン・ジルベルトの伝説』っていうのが出てたんだけど廃盤になった。曲順がオリジナルと違うなどで、完璧主義者のジョアンからクレームが付いたそうだ。今では当然プレミアが付いてる。どういうわけか4年前に韓国EMIから再発されて慌てて買ったが、やっぱりそれっきり消えた。
 オリジナルレコードのままSACDで出す話もあったようだが出てない。
 今回やっと出て『伝説』持ってるのに舞い上がって買ったんだが、冷静になってみるとおかしい。オリジナルはモノラルらしいが『伝説』同様ステレオ。ボーナストラックにジョアンじゃない人が入ってる。これでジョアンは納得してんのか。
 『伝説』のときも(たぶん)今回も、本人がイヤがってるものを浮かれて慌てて買ってんのはどうなんだってのはあるけど、ちゃんとしたのを買えないんだからしょうがないじゃんね。
 
 タイトル曲、邦題『想いあふれて』は、ボーナストラックにエリゼッチ・カルドーゾのバージョンも入ってる。これはボサノバ0号だそうだ。アントニオ・カルロス・ジョビンの曲、ヴィニシウス・ジ・モラエスの詞、そしてジョアンのギターでできた、ボサノバ。でもエリゼッチの歌唱スタイルがボサノバじゃない。なので0号。
 このレコードが評判になって、翌年ジョアン自身が歌うレコードが吹き込まれた。ボサノバ1号。
 エリゼッチのバージョン聴いたことなかったから、これも目当てだったけど、いいですな。確かに古い歌い方だけど、古いからダメってことはなく、違った楽しさがある。
 
 歴史的意義だけじゃなく、いいんですよ、このアルバム。ボサノバは本質的にオシャレな音楽だけど、ジョアンのオシャレはキリキリと味が深いの。で、やっぱ初期の作品は瑞々しいっていうかね。渋すぎたり凝りすぎたりもなくてバランスがいい。発売経緯に謎はあるが、聴けるとき聴いとかなきゃ!

ブラジルフェスティバル

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ブラジルフェスティバル今年も行ってきた。上はカポエイラの方々。観客が多くて闘ってる人があんまり見えないんだけど、音がいいんすよ。単純なコーラスが延々続くなか、断続的に言葉を乗っけていく。ポル語わかんないけど応援的なことなのかな。左側の人がその役やってて声も顔も良かった。
 

 
 ソーセージの屋台で突如サンバの演奏が始まれば、人が集まって歌い踊る。こういうの日本だとちょっと考えられない。羨ましい。
 もうちょっと様子が良くわかるのも撮れたんだけど、一般のお客さんの顔がアップで映っちゃってて動画でバッチリさらすのもアレなんで。揺れる腰を後ろからご鑑賞ください。
 最初は外で演奏してたんだけどダメって言われて、だからテントの中でやってるが、それでも怒られたからもうやめるしかない、みたいなことをこのあと言ってた。これ、なんとかなんないんすかねえ。踊れない俺も、見て聴いてるだけで楽しいのになあ。

Coisa Mais Linda

ディス・イズ・ボサノヴァ [DVD]『ディス・イズ・ボサノヴァ』をレンタルで。
 萎え萎えな邦題。原題は曲名から取って『Coisa Mais Linda(もっとも美しいもの)』副題がボサノバの歴史、みたいの。このまんまだったら劇場に見に行ってた。日本のプロモーションは俺に訴求しない。
 内容は大変に良かった。もともとブラジル国内向けに製作されたドキュメンタリーらしく、しっかりできてる。ボサノバが誰のどんな影響で出来上がってったか多方面から解説していく。面白くってためになる。セル版は特典映像が充実してるそうなので、余裕あったら買いたいなあ。しかしジョビンの息子、キモいというか怖いというか。

買いCD

エドゥ・ロボ&マリア・ベターニアエドゥ・ロボ&マリア・ベターニア
 ’66年、ブラジル。アマゾンにリンク貼ってるけど、渋谷タワレコで輸入盤が1000円で売ってた。
 1曲目『ウッパ・ネギーニョ』はエドゥ・ロボの代表作で、いろんな人がカバーしてるらしいが初めて聴いた。なるほど良いです。キャッチーでブラジルっぽい。ただ今俺の中で大ヒット中。YouTubeにあったから貼っとく。
 あとの曲は泣きが強めなうえ、もともと苦手なマリア・ベターニアの歌い方と相まって、どんより気味だなあと思ったけど、聴いてるうちに良くなってきた。

 
ウン・ヴィオラォン・エン・プリメイロ・プラーノホジーニャ・ヂ・ヴァレンサ『Um Violão em Primeiro Plano』
 ’71年、ブラジル。女バーデン・パウエルとか言われてるらしいギタリスト。なるほど、ちょっとそれっぽい。「女なんとか」って言い方もどうかと思うが。アイデア豊富でキャッチー、数曲に入るボーカルも上手くないけどキュート。どなた様にもウケる感じ。その分ベタな感じがしないでもない。1曲が3分なかったりするのはこの時代普通だが、フェードアウトが多くて、もっと聴かせてよ的な不満アリ。
 こんなのです
 
Vihmaヴァルティナ『Vihma』
 ’98年、フィンランド。この辺の音楽全然知らんけど、好みのものがあるっぽい。取りあえず良さげなのを買ってみた。やー、凄くいいですわ。
 こんなん
 
スファラ『Blueprint』
 インド系アメリカ人のタブラ奏者だそうで。音はエレクトロ。この種の曲とタブラのマッチングが凄く良くて面白い。ただ、もうちょっとなんか欲しい気も。
 収録曲はこんなの

ブラジルフェス

ブラジルフェスティバル行ってきた。年々賑やかになってる。なんか食おうとすると結構並ぶのがつらし。けど、並んでる間、横にサンバで盛り上がってる1団がいて楽しかった。おばさんも時に激しく踊ったり、自然体でゆるくていいわー。
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 ショーロな方々
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 カポエイラな方々
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 国民食フェイジョアーダ。豆と肉を煮たものが、ごはんに乗ってる。黄色いのはイモの粉。旨いんだけど量が多かった。箸休め的なものがあれば良かったんだけど、単調っていうか。
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 今回、なんとジョルジ・ベン・ジオールの2時間ライブがあった。無料ですよ! 当然これがメインになるわけだけど、40分くらいして雨が降り出した。ちょっとくらいなら耐えようと思ったけど、前の人が傘さすとステージが全く見えなくなり、やがて激しい雷雨に。諦めて帰ったけど、腹くくった人たちはむしろ盛り上がってた。

生潮音

こないだ買ったCDにサイン会参加券が付いてたんで、湯川潮音のインストアライブに勝負下着で行ってきた。
 目の前の存在というか器官から玄妙な音が出てくる不思議。
 サイン会はiPhone買えそうな勢いの行列であり、目の前でサインもらったりしたらファンであることの意味が不純になりそうなのでやめた。映像で見るよりお美しかったし。

5枚組と6枚組

灰色とわたし湯川潮音『灰色とわたし』。メジャー移籍後2枚目のフルアルバム。
 1枚目がいろいろと良くなかったんで、その後のミニアルバムもびびりながらiTSでつまみ買いしてたけど、今回はシンプルな作りで良かった。声が綺麗に響く。湯川潮音は声の人なので嬉しい。音が普通にフォークっぽいのが、やっぱりちょっと不満だったりするけど。ジャケの自画像については何も言いませんけど。
 変な言い方だけど湯川潮音の場合、歌を声で聴いてるんじゃなく、声を歌のかたちで聴いてる感じがする。魅力的なボーカリストなら声の魅力で聴くのは普通だが、湯川潮音だけボーカルじゃなくて“声”を聴いてる。
 
 栗コーダーカルテット&湯川潮音『溜め息の橋』iTSで購入。
 
The Mighty Upsetterリー・“スクラッチ”・ペリー『The Mighty Upsetter』
 久々の秀作と評判。レゲエもOn-Uサウンドも買うの久しぶりだなあ。良くできてんだけど、しっかり緻密に組み立てられたダブって、なんか妙な気もする。
 
『ブラジル音楽100 〜ブラジル音楽のすべて』。詳細と試聴は公式サイトで。
 BMGの音源から中原 仁が選んだ100曲。CD5枚組で3150円! レーベル縛りがあるんでブラジル重要曲全網羅とはいかないけど入門用にイイ感じ。2枚目と4枚目がイマイチだったけど、人によっては逆の感想を持つかもしれず。とにかく、いろいろ聴けてこの値段はありがたし。
 
『ベスト・ワールド・サウンズ100』。これだけ新譜じゃなく’05年発売。ブラジルばっかり聴いてるのもアレなんで、そろそろ他の国のも聴くかなと思ってたとこで目に付いた。定評あるJVCのシリーズ100タイトルから1曲ずつ収録。こちらは6枚組3150円! 3000円ぽっちでAround the World in a Dayですよ。まだ全部聴いてないけど、やっぱ声と音色だよなあ。
 こないだ古本屋で買った’92年のムック『地球の音を聴く ワールド・ミュージックCDカタログ』に、このシリーズの中の人、山城祥二の文章が載ってた。一部引用。

 欧米型録音文化支配の深刻な影響は、まず、ハードウェアにみられる。クラシック楽器音の欠陥をおぎなうことで成功したノイマンに代表されるヨーロッパ系のマイク、ポップスのサウンドに魅力をつけくわえるシュアーをはじめとするアメリカ系のマイクの大部分は、その非忠実性によって特定の附加価値を強調する。いわゆる民族音楽のなかで、それが負の効果として作用しないものはごくすくない。収音の段階ではやくも欧米型サウンドへの歪曲がはじまるといってよいだろう。
 モニタースピーカーにも、同じ問題がある。<…>
 欧米型録音文化の罠は、ソフトウェアもみのがさない。近代的専門分化を反映して、録音エンジニアが出自ないし専門をクラシックとかポピュラー音楽などの特定ジャンルに持たない場合は皆無に近い。そしてほとんど例外なく、その専門分野のサウンド・ポリシーを負のバイアスとして作用させる。
<…>
 こうした陥穽とは無縁なとりくみを最初からつらぬけたことを幸運に思う。

 どこまでどうなのか知らないけど、知らないゆえに面白い。最後の「無縁」をどこまで信じていいかこっちはわからない。突き詰めれば文化圏ごとにオリジナルな機材と優秀なエンジニアを自前で揃えた上、制作時に他の文化圏に色目を使っちゃいけないということになる。なんか不確定性原理みたいだ。