■評判が良かったんでエレビッツを買ってきたが微妙。
操作はFPSっぽい。リモコンの向きで視点変更、ヌンチャクで移動の操作は違和感がなく、スムーズ。
エレビッツという、ピクミンみたいな小っこいのをキャプチャーガンで撃って集めて、制限時間内に規定のワット数を溜めたらステージクリア。
キャプチャーガンであらゆるものが掴める。引いたり押したりひねったり、Wiiの特性が活かされてる。最初は小さいものしか持ち上げられないが、パワーを溜めると家具も投げ飛ばせる。
エレビッツは物影に隠れてるから、必然的にモノをどかさなきゃいけない。部屋がむちゃくちゃになっていく。
しまいにゃ車も投げ飛ばせるようになる。家まで投げられるらしい。
で、これが、大暴れを楽しむゲームなのか、なんだかわかんないのが変な感じ。
ステージによっては「あんまりものを壊すな」という制限がある。花瓶・皿の類を、壊していい数が決められてる。パソコンを床に叩きつけたり、ロッカーを階段下に投げ飛ばしたりするのは良くて、花瓶はダメ?
「絵本のようなストーリー」は、こう始まる。内向的な坊やが留守番中、寂しさを紛らわせるためテレビを見ようとしたがダメで、エレビッツを集め始める。
いやー、こんなに散らかしちゃお母さんに怒られるだろう。しかも俺、テレビ投げたし。
そのうち親から電話がある。エレビッツがおかしくなってるようだから気をつけろと。主人公の目的は秩序回復にスケールアップした。でも俺、車投げ飛ばしたり大災害起こしてるし。
まあ、ゲームじゃ「普通に考えてヘンだろ」ってことも当たり前にあるんだが、それは細かいこと言ってると楽しくなくなるからで。どう楽しませようとしてるのか謎だと、ヘンがヘンのまま引っ掛かる。
なんつーか、洋ゲーのようにゲームが剥き出しで、洋ゲーにはあり得ない、ぼんやりした設定が付いてるの。「可愛くてヘンなキャラ」で売ろうとしたせいか、ちぐはぐ。
そういうことこだわんなきゃ楽しいかもしれない。評判はいいんですよ。
例えば、エレビッツは電気を食う宇宙害虫。主人公は8歳の悪ガキ(男女選択可)。親は科学者、一族は電力会社を経営してる。宇宙からの侵略と一族の危機に際し、科学者気取りの主人公は、じいやの静止も聞かず暴れ回る。部屋や街の破壊なんぞは、大事の前の小事。クリアごとに得意げな主人公と、とほほ顔のじいや。
みたいなベタなゲームにはしたくなかったんだろうけど、こっちの方が気持ちよく遊べると思った。
投稿者: ふじり
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エレビッツ
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不調すぎる
■昨日風呂に入ったら、腕に赤い点々が浮かび上がってきまして。その図形を頼りに宝探しの旅に出かけたりしたんですが、今日はもう白粉彫りじゃなく常温でくっきりと点々が。しかも腕に限らず、身体じゅう水玉模様です。こんな感じに昨日から。
年明けにひいた風邪が治っても変な咳が続くんで病院行ったら溶連菌がいるとかで、もらった抗生物質が合わなかったようで。じんましんの相乗効果で持病の掌蹠膿疱症が超かゆい。っていうか溶連菌のせいか風邪ひき直したんだか噂の奇病「風」なのか、今年入ってずっと微熱中年なんですけども。
■マウスも不調。ゲイツの古いモデルを使ってる。
ドラッグが途中で外れる。ボタン放してないのに放したことになる。この不調は昔からよく起きて、そのたび買い直すかなーと思うけど、そのうち直ったりするんでそのまま今に至ってる。理由が分からん。最近、シングルクリックがダブルクリックになるようになった。流石にもう買い換えか。けどOS 9とXで使えて5ボタンってのはこれくらいしかないんで、同じの買い直しになりそう。スペアも買っといた方がいいのかもしれん。
■気分直しに柚木ティナのラムちゃんを。
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外注機械論
普通。
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『タイアップの歌謡史』
■速水健朗『タイアップの歌謡史』読んだ。
仕掛けられた流行に大衆が乗っていく様子が、イメージとしてアタマに浮かぶんだけど、それに対する印象が、昔の話と今の話で違う。昔の話はダイナミックに感じる。最近の話はバカみたいに見える。
昔は実際、時代がダイナミック動いてたんだろう。知らない過去は美化したくなるってのもある。流行の仕掛けも受容も、好意的に受け止められる。
’80年代、広告ブームとかあって、受け手のクセに送り手側のスタンスで(あるいは、さらにその上に立って)仕掛け方自体を「あれはいいよね」とか言ったりする風潮があった。’80年に俺は高1。分かったようなこと言いたがる時期が、調度このイヤな時代に重なった。’80年代は小賢しく、全然ダイナミックじゃない。今思えば恥ずかしい。
’90年代を過ぎてもまだ、踊らされてるヤツ、踊らせようとしてるヤツは、バカにしか見えない。例えば『あるある』自体がバカみたいだし、納豆を買いに走るヤツもバカみたい。音楽のタイアップも同様。
たまたま自分がそういう世代だから、そう思うのかもなと思った。
みんなが同じ曲を楽しめて、時代の曲として共有できればいいと思うんだけど、とっくにそうはいかなくなっていて。紅白も、俺が学生の頃にはもう、親の聴く曲と自分たちの聴く曲に断絶があって。っていうか紅白自体がダサくなってて。さらに今となっては、年長者向け、若者向け、両方ともに馴染みがなくて、ほとんど全部が等価に知らない音楽で。だからかえって、たまに聴くには面白いなと思ったりで。これは不幸なことだと思っていて。
家さえ飛び出なければ、今ごろみんな揃って、おめでとうが言えたのに、どこで間違えたのか。
タイアップ自体は別にいいんだけど、踊らされるのは単純に面白くない。「俺が、この曲を気に入った」っていう主体性を主観的に維持したい。最近のタイアップは周到なクセに、その辺デリカシーがないように感じる。これも俺が年食ったからかもしれんが。
洋楽の国内盤をあんまり買いたくないのは、まず高いからだけど、背広の匂いがするからってのも大きい。日本先行発売とか、日本盤だけのボーナストラック収録とか、オビに書いてあると商売っけを感じてげんなりする。
俺は作者にお金を払いたいんであって、背広の人を儲けさせたくはない。
アニソンは露骨で、’90年代から変なポップスになってしまった。
鉄人28号のテーマには「グリコ・グリコ・グーリーコー」と思いっきりスポンサー名が歌い込まれてるが、こういうのはわかりやすくていい。そこを除けばアニメのテーマ以外の何物でもないんで。
あと、探す人・探さない人ってのもある。探さない人は、目に入る、耳に入るものの中から気に入ったものを選ぶ。テレビの影響は大きい。探す人は、自分から見付けに行く。テレビ関係なくなってくる。
探す人が偉いのかっつーと、そんなことない。何にリソース割くかはその人の勝手だから。面白い曲探すヒマがあったら、他のことすればいいとも言えるんで。
これに関しては言いたいことが山ほどあるけど、長くなるし考えもまとまってないからこの辺で。
読んでていろいろ考えちゃって、面白かった。
