PowerShot S95

Canon デジタルカメラ Powershot S95 PSS95 1000万画素高感度CCD 光学3.8倍ズーム 広角28mm 3.0型液晶 F2.0 S100が出て型落ちになり、そろそろ底値っぽかったのでS95購入。まだあんまりいじってない。やっぱり格上のカメラはちゃんとできてるなあ、という印象。

 今まで使ってたのはFinePix F50fd。低感度での写りはいいんだけど、ISOオートは積極的に感度を上げてくるので使い物にならず、かといって自分でこまめに感度を変えるのも面倒くさいから200固定で撮ってた。
 我慢できなかったのは手ブレ補正。照明の効いた夜の室内くらいの明るさで、絶対にブレる。この辺の速度で手ブレ補正機構がキックバックを起こすらしい。オフにした方がマシ。
 それと、発色に独特の癖があるのがだんだん気になってきた。

 S95買って問題が解消したうえに、いろいろ楽になった。標準域で撮ることが多いため、レンズ外周のリングでステップズームできるのがありがたい。前回の焦点距離で起動するから、35ミリのまま使い続けることもできる。露出補正も背面ダイヤルでいきなりできて便利。
 AFエリアはセンター固定で使っている。F50fdも、その前に使っていたLumix DMC-FX7も、センターといっても測距エリアが広めで、思ったところにピントが合わないことがあった。S95はAFフレームサイズ小に設定しておけば、ちゃんとセンターに合う。
 もともとウェブに上げるときはレタッチしてたから、ロウ現像も面倒はなく、むしろ歪曲収差のプロファイルがあったりで手間が省ける。

 下はなんでもない試し撮り。クリックで拡大。小っこいカメラでこんだけ写れば立派。電線がフリンジ出てもにょもにょしてるけど。階調がのっぺりして立体感がないのはコンパクトの限界か。
 赤がくどいが、現像時のプロファイルをニュートラルかアドビスタンダードにすればすっきりする。ロウ現像初めてだからいろいろいじってみないと。
test

場所とか

■ウチから三鷹へ行くときは、千川上水沿いに西へ行ってから、武蔵野市役所の前を南下する。
 千川上水ってのはこんなん。ちょっとした春の小川。横が畑だったりして、23区内とは思えない呑気さ。
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 武蔵野市役所周辺も、グラウンドや体育館なんかが集まってて晴れやかで、大きな街路樹が並んでる。
 天気のいいとき自転車で走ってると気持ちいい。おいしいもの食べたとか、いい曲を聴いたとか、そんな感じに似たものがある。
 どっか外国の、都市計画と自然保護がしっかりしたところに住んでたら、こんなもんじゃないんだろう。日常受け取るものがかなり違うんだろうなと思ったりする。
 
 単に自然が多いということなら地方に住めば良くて、でもそうせずに、わざわざ都心部に住んでる時点で、自分の中のプライオリティーが低いことになるが。
 いがらしみきお『かむろば村へ』で、主人公のタケが、郷土料理オタクのみんちゃんのところへ行って、飯を食わせてもらうシーンがある。朝、急に押しかけて出てきたのは、里芋の茎の味噌汁と、ご飯と、大根の漬け物。
「オレビンボだけど いいもの食ってるなぁ〜」
「タケちゃんは うまいうまい 言ってくれるから。」
「え? みんなはうまいとか言わない?」
「田舎の人はね、うまい時は黙って食べるの。」
「そう言えばみんな黙って食べてるよね。」
 都会から来たタケと、もともと住んでる人で、ご飯への接し方が違う。うまいとき黙るのは、感覚的にわかる。説明しようとすると、つまんなくなるのでやめとく。
 “田舎では普通の、うまいもの”があるとする。タケがその“ビンボだけどいいもの”を喜ぶのは、都会では普通じゃない珍しいものだからで、もうひとつはタケが田舎を選んで越して来たからだ。都会を選ぶ人は、田舎に当たり前にあるいいものとは違ういいものを求めて都会にいるわけだから。
 あれ? 引用までしといて、何が言いたくてこの部分を書き始めたのかわからなくなってしもた。
 
 あんまり関係ないけど、最近“パワースポット”って言葉をよく目にする。なんか「元気もらいました」に繋がる気がして感じ悪い。
 前も書いたけど「元気もらいました」ってもともと、歌手とかスポーツ選手とかが、ファンに対して言う言葉だったんじゃないかな。本人に届いてるのか、意味があるのかわからない応援に対して、届いてますよ、あなた方の声援があるから私は輝けるのですよと。
 ファンの側が「元気もらいました」って言うと、主従というか上下が逆転する。「あなたの行動や作品は、この私の得になりました」になる。あんた何様で、なんでいちいち損得に勘定するのかと。
 昔から作品や有名人の行動に勇気付けられることはあっただろうけど、こんな気持ち悪い言い方してなかったと思うなあ。
 そんでパワースポット。そこへ行くと気分が良かったり、神妙な気持ちになったりする場所はある。そこで感じるのは大きな存在に対する畏敬の念だと思うが、その辺が軽くて、元気もらったり癒されたりの、“私の得”に収められてる気がする。

江ぐち→みたか

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■今年の頭に閉店した三鷹のラーメン屋、江ぐちが、“みたか”の名で復活したんで行ってきた。閉店のとき書いたのはこれ
 ちょっと行列できてて、並ぶの嫌いだから一回出たんだけども、実は前の日も来てて、3時くらいまでやってるだろうと思ったら2時で終わってて食えなくて、ここで帰ったら二日連続何しに三鷹まで来たんだかわからんので並んだ。食った。うまかった。満足。
 若い人4人でやってた。オープニングで忙しいから一時的なヘルプの人もいるのかな。
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 スープ品切れで張り紙出したり。こんなん見たことなかった。調度昼の時間が終わる頃だったけど。
 三鷹に住んでた20年前の江ぐちは、カウンターだけのラーメン屋が普通そうであるように、どちらかと言えば殺伐としてた。今みたいに店員の方からフレンドリーにギャグ飛ばしてくるなんてことはなかった。昔は昔で良かったし、今は今で良い。
 すっかり若い人に入れ替わって、また違うことになりながらも、こういう小っこい店が続いていくのは凄いなあと思って、チャーシュー食いながらちょっと泣けてきた。

-451℉

■Zine+CD『華氏マイナス451度』が届いた。これ、なんて言ったらいいんだ。「ガツンとやられた」みたいな言い方があるけども、それに似てはいるけどそんなにわかりやすいことになってなくて、ぽかーんとしているみたいなことになってるので感想なんて書けないんだけど、俺的には事件なのでやっぱり書いとこうと思って、いっそもういつも以上にちゃんと文章にしないという方法で書く。
 Zineって手作り的なイメージがあって、そういうのも面白いんだけど、これめちゃめちゃしっかりしてる。質感が重い。最初の感想が「なんでこんなものが作れるの?」。写真集って写真を見せるのが目的の容器だけど、これは物体としてできてる。変な物体。中身と形態に主従がないというか。そんでCDサイズだから本とCDも分離した感じがなくて、CDとして見ても変な物体。手に取ると、ぽかーんとしてしまう。ぽかーんとして「うーん、なんだこれは」と思いながら見てて、なんか感想言うとしたら「凄い」くらいしか出てこない。いやもう、凄いっす。
 音楽は先行してEPダウンロードして愛聴してたんだけど、夜ひとりで部屋にいるときの頭の動きに似てる。ちょっと切なげで可愛くてきりっとしてて沈みつつ覚醒して。大変に好き。外で聴いてて周りの音と混じった感じもまた面白い。
 もし曲がガツンとしてたら「ガツンとやられた」に近いことになったかもしれないけど、曲とあわせて冷静に拡散して、感想がさっくり出てくるわかりやすさから外れて面白くなってるような。
 とかやっぱり書かない方がよかったんじゃないか感があり。とても良いものを買った感があり、それをなんと言っていいのかわからない感が強し。

江ぐち

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■三鷹のラーメン屋、江ぐちが今月いっぱいで閉店ということで行ってきた。いつもどおり、チャーシューお皿で、ビール小瓶。あとから五目そば。
江ぐちのことは前に書いたことがある。上石神井に引っ越して自転車で行けるようになったんだけど、ちょっと遠いし、貧乏で外食を控えてることもあって数回しか行ってない。いつでも食べに行けると思ってたのに残念。来週も行くつもりだけど流石に混むだろうなあ。
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’86年の江ぐち。このときはビルに入る前の仮店舗で、私は本来の江ぐちを知らない。
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上のリンク先にある『小説 中華そば「江ぐち」』のもとの本。タイトルは『近くへ行きたい。』で、“江ぐち”を含む以下の部分はサブタイトル。序文にこうある。

<…>
別に江ぐちでなくともよかったんです。たまたま江ぐちだったわけで、「たとえば江ぐちの場合」なわけです。
近所のお店、ということです。近くにあるからというのが一番大きな理由で行くお店ということです。だけどその店に行くのがなんか楽しいという。それがたまたまボクの場合江ぐちなんです。
誰にでもあるでしょう、そういう店の一軒や二軒。少なくとも小さい頃は絶対あったでしょう。駄菓子屋とか。最近はシブイ駄菓子屋も少なくなったから、パン屋かな。もう少し大きくなって、クラブの帰りにいつもアイスクリームをなめる店とか。店の前にぐじぐじたまって。コロッケを買い食いする店とか。
そういうのの延長というか、そういうものなわけです。ただ、昔話というんじゃないんだけど。
<…>
では、これからボク、堂々と江ぐちのラーメンを食べてきます。君も堂々とこの本を読んだら、近所のお店へ行ってくれたまえ。

上京して1年目の’86年頃、高校の同じサークルの友達3人が三鷹に住んでた。このエッセイがきっかけになって、俺らにとっても江ぐちは地元の楽しい場所になってた。
当時三鷹に『ゲームセンター・にのたか』ってのがあって、入り口で揚げ物を売ってた。昼頃起きたら、ここで『にのたかウイング(手羽先の揚げ物)』とか買って、おばちゃんに「お釣り40万円」とか言われて、店内の自販機のドクターペッパー(この自販機にはドクターペッパーしか入ってない)を飲みながら食うのを、俺らは「にのたかモーニング」と呼んでた。で、江ぐちは“ディナー”の扱いになっていた。
にのたかは再開発の頃なくなって、江ぐちもとうとうなくなる。
江ぐちは、ラーメン通みたいな人がよそから来てあーだこーだ言うようなもんじゃない。地元の味。江ぐちはなくなるし、俺はもう三鷹に住んでないし、今の地元で楽しいところを見付けなきゃいけないんだけど、まあやっぱり、にのたかとか江ぐちみたいな店はなかなかないよ。だから江ぐちは愛されたわけで。なんとか存続してくれればいいんだけど。

*追記
江ぐちは『みたか』に受け継がれました。こんな感じ

大人の科学・二眼レフ

大人の科学マガジン Vol.25(二眼レフカメラ) (Gakken Mook)大人の科学の二眼レフ買うた。これはかなりのキワモノ。下の写真を見てのとおり、極めて怪しい写り。レンズがプラスチック単玉だから一応シャープに写るのは中心部のみ。フィルム給走系は既存の安カメラを流用してるのかと思ったらそれ以下。巻き止めも二重露光防止機構もない。ピントノブを回してるつもりでフィルムをぐるぐる巻き上げちゃうミスを2回もやってしまった。ファインダーは見づらいしスクリーンはたわんでるし。不便で笑っちゃう。
 露出はF11、1/150秒固定。絞り板というパーツを外すと、シャープさは落ちるが暗所には強くなる。この状態のF値は不明。どうせちゃんと写らないなら、とことん怪しくていいやということで、絞り板は取り付けなかった。
 組み立てるのも楽しくて、本もなかなかおもろい。オシャレ寄りの部分は若干むかつくけど。あと、なんでカメラ知らないライターって“ぼける”を“ぼやける”って言い換えるんだろう。“ピンぼやけ”って言わないのに。
 それはともかく、35ミリの二眼レフ自体わりと珍しい。小っこくて可愛い。二眼レフも使ってみたいけど、ウチのフィルムスキャナは中判使えないし、今さらフィルムカメラ増やすのもな、と思ってたんでこれはホントにいいオモチャ。
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 以下、一眼レフ(OM-4+50/2マクロ)と撮り比べてみた。

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ブラジルフェスティバル

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ブラジルフェスティバル今年も行ってきた。上はカポエイラの方々。観客が多くて闘ってる人があんまり見えないんだけど、音がいいんすよ。単純なコーラスが延々続くなか、断続的に言葉を乗っけていく。ポル語わかんないけど応援的なことなのかな。左側の人がその役やってて声も顔も良かった。
 

 
 ソーセージの屋台で突如サンバの演奏が始まれば、人が集まって歌い踊る。こういうの日本だとちょっと考えられない。羨ましい。
 もうちょっと様子が良くわかるのも撮れたんだけど、一般のお客さんの顔がアップで映っちゃってて動画でバッチリさらすのもアレなんで。揺れる腰を後ろからご鑑賞ください。
 最初は外で演奏してたんだけどダメって言われて、だからテントの中でやってるが、それでも怒られたからもうやめるしかない、みたいなことをこのあと言ってた。これ、なんとかなんないんすかねえ。踊れない俺も、見て聴いてるだけで楽しいのになあ。