アウトプット欲の減退

 なんなんですかね。ブログでもツイッターでもあんまり書きたいことがなくなってしまった。こないだも仮面ライダーアマゾンズの感想をテキストエディタに書いてたんだけど、なんか別にアップしなくてもいいかと思って消してしまった。
 なにかに対して言いたいことってのが確実に減ってる。思うことはあっても思うだけ。単に年食ったからなのか。

Perspective

 タイトルはYMOの坂本龍一の曲から。
 毎日7時に起きてメシを食う。亀にエサをやって、髭を剃って、歯を磨き、着替える。それからトイレに籠もる。
 8時10分に家を出る。近所の高校生の通学とすれ違う。女の子をチェックしているがあまりかわいい子はいない。駅にいつも、首を頻繁に小刻みに動かすおばさんがいる。「ハトおばさん」と呼んでいる。
 高槻駅で快速を待つ。向こうのホームにいつも体をひねってストレッチしているおっさんがいる。電車の中でツイッターとタンブラーとスマートニュースを見る。運が良ければ淡路で座れる。
 9時半始業の10数分前に会社に着く。黙々と働く。昼メシは毎日、丸亀製麺。
 18時半が定時。残業代が出ない会社なので、なるべく定時で帰りたい。
 夕食を食って帰る。梅田地下のカレースタンド『ミンガス』か、駅周辺のラーメン屋『亀王』、吉野家、松屋など。
 帰りの電車でもツイッターとタンブラー。
 帰ったら風呂に入る。さて、残り時間。ウェブの巡回に1時間弱。テレビを見ながら寝酒をするのに同じく1時間弱。これで大体時間がつぶれる。あとスプラトゥーン。帰りが遅いとテレビは省略してネット見ながら飲む。
 ロングスリーパーなので11時に寝る。8時間睡眠。
 こんな毎日なので本読んだりする時間がない。RPGもできなさそう。みんな寝過ぎと言うだろうが、8時間寝ても仕事中眠いのよ。っていうか実際うとうとしてるのよ。
 土曜日は1日寝る。10時に起きて飯を食い、また寝る。
 日曜日は7時過ぎに起き、ツイッターをチェックしてからニチアサ。ジュウオウジャー、ゴースト、プリキュア。1時間寝て、サンジャポ見ながらメシ。そんでまた寝る。

なんだって飽きる

 エロいものに飽きてきた。人一倍好きだったけど、もうたいがいのパターンは見た。供給されすぎだし、積極的に摂取もしすぎた。枯れていい年でもある。
 俺からエロいものを取るとあとなにが残るんだって感じなので戸惑いのようなものを感じる。

身近なオカルト

 パズル&ドラゴンズにはスキルレベルというものがあって、同じスキルを持つモンスター同士を合成すると、一定の確率でスキルレベルが上がる。スキルレベルを5上げるのに50体使ったとか見かけるから、上がる確率は1/10くらいかもしれない。
 今100万ダウンロード記念で、スキルレベルが重要な、ドロップ変換キャラが手に入るダンジョンを連日やってる。しかもスキルレベルアップ確率2倍キャンペーン中。こんな機会はなかなかない。今がんばればこのあとかなり楽になる。夏を制したものが受験に勝つというか、皇国の興廃この一戦にありな感じで。みんな地道に数を集めては共食いさせて合成し、スキルレベルが上がった上がらないで一喜一憂している。

 上がるか上がらないかは確率の問題。1体合成ごとに、規定の確立が適用される。めちゃめちゃ運がよければ5体でマックスになるし、悪ければ50体でも終わらないかもしれない。
 なのだが、2ちゃん見てると妙な方法論がいろいろ出てくる。ほかのキャラと一緒に合成するといいとか、何体ずつ合成するのが上がりやすいかとか、上がりやすさに個体差があるとか。
 ジンクスめいた話はスキルレベル以外のところでも出てくる。ジンクス止まりならいいが、マジな人もいて(それをバカにする人もいるんだけど)。iPhoneなんてハイテク機器でデジタルなゲームやってんのに、迷信を信じやすい素朴な人みたいになってる。
 健康関連とか、すべてが明らかになってないとこではオカルトが発生しやすいけど、ゲームでもこれだからヒトって簡単だなと思った。自分でコントロールできないことに対し、自分は解法が見つけられると思いがち。
 自己啓発もその類だと思う。簡単に理解できるもんじゃない自分を、「コントロールできるんだ」って思い込んで、無理やりコントロールしようとするわけで。そうすると合理主義の自己啓発がオカルトに近いことになるのがおもしろいような、そうでもないような。

 パズドラに戻って、「絞られた」というのもある。最初はモンスターがよくドロップしたけど、今はなかなか落ちない。ドロップ率を下げられたと。
 これは運営側がやればできることで、実際前に1度、最初だけやたら落ちたことがあった。このときは最初の設定が甘すぎたと考えた運営が、「調整」したんだと思っている。けど、それ以外にもドロップ率を途中で変えているのか、本当のところはわからない。
 とは言え、たいがいは、これまた単に確率の問題っぽい。ある人が「絞られた」って言ってるときに、他の人が調子いいと言ってたりする。
 こっちはオカルトじゃなくて陰謀論。あ、陰謀論もオカルトか。

京都の記憶とか

 昨日のトトロで思い出したが、小さいころ里子に出されていた京都の家には土間があった。玄関の引き戸を開けたら土間で、右側が台所、左側に居間と寝室。寝室には大きな柱時計があって、寝るとき音が気になった。
 風呂は縁側の端にあった。半分外というか、簡単な屋根的なものはあるけどほぼ外だった。トイレは当然外。夜行ってデカいクモとかいると怖かった。
 離れに2〜3部屋あって、正月は庭で餅つきやってたから結構広かったはず。
 
 預けられてたのは幼稚園に入る前で、そのころの記憶はまったくない。家に戻ってから何度か遊びに行ったときの記憶。「京都のパパとママ」と呼んでた。
 近所のお好み焼き屋がサービスしてくれて、いくらでも肉を食えというんで、喜んでばくばく食べたら気持ち悪くなって吐いてしまって、それ以来二十歳前まで肉が食えず、給食で苦労した。バカみたい。
 あと近所にバナナ屋があった。普通の民家でバナナだけ売ってた。玄関開けると靴箱かなんかの上にバナナが並べてある。
 
 共働きで面倒が見られないから里子に出されていたそうだが、当時の家が岸和田で、血縁もない京都の家に預けられてたのがよくわからない。
 母方の爺さんが亡くなる前、病院に見舞いに行くと、ボケていて俺が誰かわからなかった。叔母が説明すると思い出し、「ああ京都の……」と言った。これに対し「いらんことばっかり覚えてるんだから」と叔母。なんか「いらんこと」らしい。
 可能性としては里子ではなく養子に出されたが、やっぱり戻したというのが考えられる。けど京都の家は男ばっかり3人いて、今さら年の離れた子をもらうことはないだろう。
 実はそこんちの子で、今の家に養子に出されたというのは、叔父に似ているとか、母方の血縁に関する話が出ることがあるのでなさそう。父方は……。
 そういうおもしろい話じゃなく、どっちかの移動のとき俺がたいそうグズったとかかもしれない。事情はともかく、なんかしら性格形成に影響してるんだろう。

禁止することを禁止する

 タイトルはカエターノの曲名。
 デモに対して「あんなの意味がない」って言いたがる人のモチベーションは何に由来するんだろう。意味がないと思うなら、自分が意味があると思う別のことをやればいいだけのことだ。
 彼はそれをやっている。「もし私が彼なら」みたいに、彼の立場で誰かがなにか言ってもしょうがない。彼は彼であなたじゃないから。立場も考えも違い、彼に関する情報を、あなたは彼自身より持っていない。

 製品やら作品やらの送り手は、アンケートに懸賞を付けてまでお客さんの意見を聞こうとする。送り手は受け手じゃないから、受け手の気持ちがわからない。それを知りたい。
 これに対し、「あなたの製品/作品はこうあるべきだ」と作り手の立場から意見してもしょうがない。有用なのは、どうすればいいか客観的な意見ではなく、受け手ひとりひとりの個人的な感想だ。作るノウハウを持っているのは送り手で、客じゃない。素人の意見を聞いても仕方がない。第三者の冷静な意見が聞きたければ、その方面のプロに頼む。人に方針を示せる力があるなら、ご自分の職場で発揮してくださいということになる。

 言ってもしょうがないのに言いたいこともある。俺は昔のオリンパスが好きだから、今のオリンパスに意見したくなってしまう。一方、フジテレビが変なことしてても何も思わない。もともと何の期待も関心もない。
 デモに意味がないと言わずに済まない人には、何かしら愛憎があるはず。ケンカはレベルが近い者のあいだで起きる。一体どんな感情で自分を重ねてるんだろう。

 単純に、関心がない人にとっては迷惑というのはある。道がふさがったり、うるさかったり。雰囲気が厭ってのもあるだろう。
 「関心がない人にとっては」なんて付いてしまうのがむかつくのかもしれない。左右問わず、正しいことをやってるんだから認めろ、みたいになりがちで、それは大変うざったい。
 意味がないことをしてるくせに「とても有意義なことをしている私」をデモンストレーションされることがカンに障る、が一番大きいのかな。そういう人が何割いるか知らないけど。この場合、「客観的に考えて」「意味がある/ない」の戦いになる。客観なんてあやふやなものは置いといて、それぞれが主観を主張すればいいのに。

 即座に政策変える力があるかという点では、現状デモに意味はないと思う。
 意思表示なら、意味があるとかないとかじゃなくなる。アメリカ政府がムチャやってるときに、アメリカで反対するデモやってたら、日本でちょっと安心したりもする。

 いろんな方面で、誰かがやってることに対して、それをするべきじゃないと言って足を引っ張る人がいる。有名人のブログとかツイッターに対して、あなたの立場でそれを言うべきじゃないとか。結果、当たり障りのないことしか言えなくなる。ポカやらかして叩ける日が来るのを待ってる人もいる。何もしなければ怪我しない状況作って、得するかな。

気持ちを収める

 「このままじゃ気持ちが収まらない」とかテレビでよく出てくるけど、おおやけに言っていいことなのかなと思う。収まろうと収まるまいと物理的にはなにも変わらない。それに気持ちは個人的なもので、場合によってはつまらないプライドに関わってたり、エゴに近いこともある。

 車に轢かれたとする。起きてしまったものは、起きる前には戻らない。できるのは今後のためのこと。車に欠陥があるとか、道が危ないとかなら、それを改善しなきゃいけない。飲酒運転だったら二度とするなと。あと補償。お金で済まない状態になろうと、お金でしかどうしようもない。
 かと言って、運転手に落ち度があった場合、鼻ほじりながら金だけぽんと渡されても、気持ちが収まらない。
 反省していれば謝罪も出てくるはずで、反省しなければ今後のためにならない。反省させることには実際的な意味がある。けど、気持ちが収まらないのはそれが理由じゃなく、おおやけの正義より、個人的な勝ち負けの問題に思える。
 気持ちを収めたがるのが仮にエゴだとしても、轢かれた当人や親しい人が謝罪を求めるのは、まあ無理がない気がする。理不尽な事態に筋を通したいのかもしれない。

 謝罪会見で頭下げてフラッシュぱしゃぱしゃ浴びてるとこテレビで見るのは、なんのこっちゃわからない。世間に対する謝罪だろうから、見てるこっちは世間様なのだろう。まず腹立つネタを楽しんだあと、頭下げさせたのを見て、鼻ほじりながら「ざまあ」とか言って気持ちを収めるエンターテイメントは大変に下品だった。おおやけの報道なりは、気持ちの問題をもうちょっと引っ込めて、実利的な問題に突っ込んだほうがいいと思うし、見てるこっちも気持ちを引っ込めたほうがいいと思う。気持ちの問題は、合理的じゃないことも多いし。