■宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』(→感想)読んで気になったんで、別冊宝島『80年代の正体!』を古本屋で買ってきた。今となっては読む意味ないですな。当時もなかったかもしれん。
「それはどんな時代だったのか ハッキリ言って「スカ」だった!」と副題にあるが、単なるキャッチでしかない。編集方針に沿って、全体に批判的なトーンになってはいるけども、ハッキリとスカだと言われてる感じはしない。っていうか、何を言ってるのかわからない文章が多い。なにより『80年代地下文化論』が擁護した「ピテカン的なもの」、西武セゾン文化に対する、まとまった批判がない。
’80年代に新しく起きたことを’90年時点で振り返って分析してるんだけど、その対象が今となっては新しくもないし特別でもない。当たり前になってる。コンビニ、デオドラント、健康、モラトリアム。今も普通にある。
だからって、今も通用する内容だったりもしない。語り口が古くさい。「コンビニエンスストアの空虚さ」とか言われても「はあ?」みたいな。
どんなスタンスから、誰に向けて誰を批判して、どこに落とすつもりの文章なのかが、今読むとへんてこだ。「大衆」って言葉が妙に目に付く。なんか、体制・大衆・文化人っていう切り分けがあるっぽい。体制からも大衆からも離れた文化人が書いた、体制と大衆を分析して批判する文章を、一体、誰が読んでどう役立てるのか? 「批評家ワナビーが分かったようなことを言うために読む」しか思い付かないんだけど。昔はこんなんが多かったのかね。今もやってる人はいるんだろうけども。
「’80年代はスカだった」と言い出したのは誰か、となると、やっぱり(考え方が)古い世代の人ですよ。オタクは関係ない。
面白いところの少ない本で、’80年代風俗を振り返って懐かしさを楽しむにも辛い。でも、「フリーター」って言葉も、その「自由な生き方」も、リクルートが『フロム・エー』のキャンペーンで作り出したものだってのはすっかり忘れてた。あと広瀬隆『危険な話』で騒いじゃったクチなんで、批判されて恥ずかしかった。あれは、なかったことで、ひとつ。
「バブル」って言葉が出てこないのな。’91年までか。いとうせいこうが『MESS/AGE』で「もう来てる それは泡の時代」とラップしたのは’89年だが、これは関係ないか。
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スクポリ
■ミュージックマガジンの特集がスクリッティ・ポリッティ。歌詞の解説とか、グリーンの経歴とか、ファンとしてありがたかった。永久保存決定。高橋健太郎氏による、チャカ・カーン『I Feel for You』より、スクポリの『Wood Beez』の方が録音が早かったかも?って話も面白かった。
が、『キューピット&サイケ’85』の紹介で
…数年後どころか、86年に聴かれることすら想定していない。ポップはファンション(流行)なのだから、ワン・シーズンで消費されたとしても全然かまわない——本作はこのようなポップの美学に貫かれたアルバムであり…
とあるのはかなりどうかと思ったというかファンとしてカチンときた。あんた80年代風俗語りたいだけとちゃうんか渡辺亨。
その賞味期限を21年過ぎた『キューピッド&サイケ’85』が、3ヵ月限定で1500円らしいですよ奥さん!
『White Bread Black Beer』日本盤にはDVD付限定版があるらしい。イギリス盤買っちゃったがDVD欲しいかも?と思ってアマゾン見たら
スペシャル盤のDVDには新作からの楽曲をBGMにグリーンがパリの街を散策をしたり、ショッピングを楽しむ風景、また新作に関してインタビューを受けている模様が収録されています。
ショッピングて。そんなもん入れるくらいなら水着入れろ。
雑
■忙がCのでR(嵐山光三郎)。
■雑誌からネットに移った“バカ記事”の主導権 / デジタルARENA
まあ広告の関係もあるんだろうけど、雑誌は余計なことをしなくなった感じがする。
昔は「雑誌は、雑誌の体裁を取らなきゃ」みたいのがあったように思う。「雑誌なんだから、雑多な記事を載せないと」みたいな。エロ本にも新譜・新刊の情報コーナーがあったり。こんなん誰が読むんだみたいな。良かった記事に丸を付けろ的なアンケートじゃ点は取れない記事でも「これを載せとくことに意味があるんだ」っていう考え方が昔はあった。
けど、今はない。余計なことする余裕がなくなったような。スパ写が薄くなったみたいに、短期的なユーザーニーズに寄り過ぎな気がする。
昔、雑誌は情報の発信者として優位に立ってたと思うんだけど、編集方針としてお客様を神様にしてしまうと、優位性を読者に明け渡すことになり、結果的に雑誌の存在意義が損なわれる。これは「雑誌よりネットの方が情報が速い」とか「ネットで誰もが発信者になれるようになった」とかそういうこととは関係なく、単に雑誌を作る側のスタンスの問題だと思う。読者におもねることで、雑誌は自分の優位性を捨てちゃって、スタンスの確保に失敗したんだと思う。優位性は幻想としてでも保持できたはず。
長期的に見て、サービスする側に優位性のない雑誌なんて面白いわけない。雑誌が売れない→短期的に売れる記事に絞る→雑誌つまらない→雑誌売れない、のループのように俺は思う。けど、大多数がどう思ってて、何にならお金を払うのかは知らない。
俺は俺が気に入った雑誌にお金を払いたいんであって、それで足りない分を広告で補ってもらう分にはかまわないが、広告ベースでお金が動いてるのは気持ち悪い。R25にも、もやもやしたものは残るし、デイリーポータルZを手放しで素晴らしいとも言えない。
■リズム天国、秋山奈々、ソニン。
秋山奈々の目の隈が気になる。俺は涙袋に弱い。ソニンのスカートの裾が気になる。スカートの裾は誰でも弱い。
B5中綴じ
■竹熊さんが初めてやったインタビューは戸川純っての読んで、「あら? それ、持ってたっけ?」と本棚漁ったら、ウチにあるのはこれだった。
竹熊さんじゃなく、中森明夫でした。
■そんで、この本の隣にあったのがこれ。
京都のタウン誌だった『ペリカンクラブ』が俺が上京するのと同時期(’85年)、全国誌にリニューアル、『スーパー・ペリカンクラブ』になった。「東京行っても読めるな」と喜んでたんだけど、3号で休刊になってしまった。
凄い久しぶりに見てちょっと驚いたんだけど、2号目に載ってるこのマンガ、ホント異色作だな(右の画像、クリックで拡大します)。杉浦茂が交合を描いてる。しかも、このあと結構エグい展開になる。初出は’70年の『黒の手帖』らしい。これ、単行化されてんのかな。
マンガはほかに、ひさうちみちお、根本敬、花輪和一、太田蛍一なんかが載ってますね。音楽だと、取り上げるのはニュー・ウェイブで。ノイバウテンとか、エイリアン・セックス・フィーンドとか、アート・リンゼイとか。
それまで取り上げられなかったマイナーな恐怖マンガを紹介してたのも面白かった。ムロタニツネ象『地獄くん』を知ったのもペリカンだった。
オリジナルの蛭子能収Tシャツを編集部に直接買いに行ったこともある。つボイさんのカセットブックを出したのもここだった。いろいろ好きだったんだけどなあ。
■そのまた隣にあったのはこれ。
いよいよオウムもおしまいだなってときに、サティアン渋谷に買いに行った。最初オウムが出てきたとき面白いなと思ったんだよね。自分では特定の新興宗教に入ることはないんだけど、何かしらシンパシーはあって、結構真面目な気持ちで、何かのケリを付けるつけるつもりでスーブニールを買いに行った。
ホリエモンもなんつーか。自分とは何の共通点もないんだけど、何かしら好感のようなものは抱いてて、自分でもちょっと意外なくらい最近のニュース気になってたりして。ああ、俺は“騙されやすい大衆”なんだなあと思った。オルタネイティブな感じで出てきて、新旧の対立みたいな構図になると、俺はあっさり新の方に肩入れしちゃうんだなあと。