だらだら

 渋谷に出て諸星大二郎『諸怪志異(四) 燕見鬼 』を買った。
 こないだから諸星大二郎読み返してたが、このシリーズと『海神記』は読んでなかった。新刊も出たし今日は1巻から読み直すぞと思ってたのにネット見てたらいつの間にか寝る時間になってしまったのでマカロニサラダをつまみに焼酎を飲みながら今これ書いてる。
 諸星大二郎読み返してたあいだ、平行して読んでた橋本治の本に古事記のことが書いてあったんで、なんか興味持って最近は神道関係の入門書読んでる。
 神道と言えば「多神教の日本は一神教の国に比べて懐が深い」みたいな言い方が最近あるが、たいそうキモい。だいたい他国に対する優位性を自慢する行為自体、懐が狭いっていうかケツのアナが小さいと思う。
 
 渋谷行った目的のひとつはTiger買うことだったが、よく考えたらアップルストア渋谷の場所を知らなかったんでまあいいやと思ってタワレコ行っていろいろ試聴。
 ジェルバ・ブエナは1st.同様面白いと思うけど音のみっちり感が重いのでパス。立花ハジメ『H』、『Hm』、『テッキーくんとキップルちゃん』のリイシューが出てたけど貧乏なのでパス。ツジコノリコの声はエロいなあと思ったけど貧乏なのでパス。ブラジル方面ではTribalistas(マリーザ・モンチ、カルリーニョス・ブラウン、アルナルド・アンテュネス)関係者らしい知らない人のCDが出てて、ドメニコとカシンも参加してるとかで欲しかったけど貧乏なのでパス。
 っていうか、新譜を買うのは控えめにしようと思ってる。もう若くないんだからリアルタイム性っていうか同時代性っていうか、そういうの求めたところで、新しいものを「うおっ! これは新しい!」と興奮して吸収してる若いモンにおっさんはかなわないっていうか、スレててダメっていうか吸収力が落ちてるんで、おっさんはおっさんなりの楽しみを見つけないとな、って思うわけで。
 
 ここ何年か、知ってるものはもう知ってるんだから買ってもしょうがないと思って、知らないもの優先でCD買ってた。知らない音楽つってもショップの売り文句読んで試聴して買うから大きなハズレはないんだけど、買ってしばらく経つと自分の持ってるCDの正体がわからなくなる。わかんなくても聴いて良ければいいんではあるが、買ったときはショップの売り文句がインストラクションというかガイドというかフックになって試聴してピンと来るわけだけど、インストラクションを失った状態で音だけ聴いてもピンと来なかったりする。しかもワールド系だと曲名もCDタイトルも、場合によっちゃアーチスト名も読めなかったりするんで余計フックがない。手元にあるCDがわけわかんない。こういう買い方もいい加減にしようと思う。
 
 そのわけわかんないCDの中にDona Edith Do Prato『Vozes Da Ourificacao』
がある。聴くたび好きになってく。カエターノのCDに参加したベテラン歌手らしく、このCDでは逆にカエターノが参加してる。で、どうもこれはサンバらしい。
 ブラジル音楽をよく知らない人間にとっては、ブラジルといえばボサノバで、俺も最初に買ったのはベタに『Getz/Gilberto』だったりする。ボサノバはオシャレでアンニュイで都会的。一方、サンバは脳天気にアッパーで単純。浮かぶイメージはサンバ・カーニバル(しかも浅草)と出町柳輸入食品のCM。家で聴いて楽しむ感じじゃない。疲れそう。けども、実は俺が好きなのはサンバかもしれないと思えてきた。
 つーことで、サンバと言えばまずこれを聴け、ってことになってるらしき『素晴らしきサンバの仲間たち』を買ってきた。あー、これだ。やっぱり好きだ。サンバは上げ上げと思ってたが哀愁がある。キューバなんかの泣きの哀愁は苦手だけど、サンバの明るい中にあるじんわり感はなんなんすかね。サウダージ? アルバムの最後を締める曲っぽい終末感みたいのがある。全曲ラスト曲っていうのはちょっとどうかと思ったりもするが。ともあれ、これは十分聴いて楽しめる音楽だ。カーニバルで勝手にイメージしてた味のない音楽とは全然違う。
 これ、新星堂のオーマガトキから出てんだけど、懐かしいっていうか嬉しいっていうか。大阪のすみっちょに住んでた頃、近所で買える輸入盤は新星堂が入れてるベルギーのニューウェイブレーベル、クレプスキュール(と、チェリー・レッド、コンパクト・オーガニゼーション)くらいだった。レコードは輸入のまんまでジャケがへにゃへにゃで盤は変に分厚かったりしたが、日本で付けた帯には細野さんとか鈴木慶一の推薦文が付いてた。「細野さんが褒めてるんなら」と思ってミカドとかアンテナとか買ってた。クレプスキュールの意味は「夕方」で、「夕暮れ時=逢魔が時」ってことで、派生・発展して新星堂のオリジナルレーベル、オーマガトキができた(はず)。ジューサもオーマガトキだし、頑張ってるなあ、今も俺らの味方だなあと思う。

西島大介『ディエンビエンフー』

amazon これまた意欲作。どきどきする。ひりひりする。意地悪なこと言えば、凄い駄作になる可能性もありそう。でも、そのダメさが自分に繋がってる気がする。「1巻」って書いてないけど、これ1冊で終わりじゃないよね? 掲載誌つぶれても描くよね? 始めからこの長さの話だったとしたらあんまりだ。
 あ、全5巻くらいですか。良かった。

五十嵐大介『リトル・フォレスト』2巻

amazon サクサク読んじゃいけない気がして、ちびちび読んでた。
 俺にとっては驚異の世界。日本の農村の話なのに、ファンタジー読んでるみたい。凄く豊饒。昔はこれで普通だったんなら、なんでこれを捨ててこんなんなっちゃったんだろうと思う。
 「田舎」を持たない都会の人間が、田舎に引っ越して農業始めるってパターンもあるが、俺はやらない。みんなやらない。一部の人しかやらない。っていうか、こんな暮らしじゃイヤだっつって今になった。娯楽が多くて便利で裕福で安定的で衛生的で人が死ににくくなった。
 「田舎暮らしもステキだねー」と軽く言えないのは、田舎暮らしを捨てたとこから俺が始まってるから。よその話と割り切れれば楽しめるだろうが、描かれてる田舎の暮らしが捨てがたく魅力的だから。ステキな生活をしてない自分が揺さぶられるから。作者は揺さぶりたくて描いてるだろうから、まんまとハメられたというか、俺は結構いい読者だと思った。
 「小森に骨を埋めていいのか」という主人公の悩みは、そこに住んでない俺との接点になる。俺にとっては「小森的なものを捨てたままでいいのか」。
 のだが、ラストに関しては何とも言えない。ちょっと面食らった。「うわー、こんなに真っ正面か」と思った。これをあっさり受け入れられるほどいい読者にはやっぱりなれない。

ジョージ秋山『WHO are YOU 中年ジョージ秋山物語』

 これは走馬燈じゃないのか。こんなん描いたら死んじゃうんじゃないか。
 エッセイマンガということで、編集者も実名で出てるそうだが、普通こういうのをエッセイマンガとは言わんと思う。実話ベースではあるがとぼけすぎ。後半ではデロリンマンや蒲郡風太郎なんかと会話もしてる。
 ジョージ秋山の女を見る視線はモテない男のそれだ。じっくりねっとり盗み見て、勝手に女性を持ち上げて勝手に落胆する。今はモテてるということになってるし、昔もモテないわけじゃなかったようだ。なんでこんなふうなんだろう。

田中圭一『ヤング田中K一』

 作者が大手玩具メーカーに勤めていた頃の話が中心。「97%実話」らしいが、めちゃめちゃだ。一番信じ難いのは、全員30秒以内に果てるミラクル名器の実在。
 
 田中圭一は↓こうだったそうだが
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 山上たつひこ『メロンな二人』にはこんなのが出てくる。
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 関係ないけど『鉄筋トミー』に出てくるミツオというハーピーみたいなのは名倉に似ている。
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喜国雅彦『三丁目防衛軍』

0507_sanchome.jpg 昨日は何度も聴き返すCDのこと書いたんで、今日は何度も読み返すマンガを。
 ヤングサンデーコミックス全3巻。1巻の初版が’92年。
 何回読んでも大爆笑とか、個人的にツボとか、このキャラが好きとか、積極的に入れ込む要因が特にない。面白いのは面白いが、キクニの作品の中で特に突出してるとかじゃないと思う。特にないにもかかわらず、妙に何度も読んでいる。ついこれに手が伸びる。チームが魅力だからだろうと思ってたが、こないだまた読み返したらチームというほどの結束もなかった。理由はわからんけどなんか好きなんだよね。

水兵きき『みかにハラスメント』

みかにハラスメント これは面白い。少年誌としては過激な内容。掲載誌の『ガンガンパワード』を少年誌と言っていいのか微妙ではあるが、一応フルネームは「少年ガンガン増刊パワード」。スタイルはいわゆる「美少女コミック」で、ヤってるシーンをちょいと足せば、そのまま成年向けになりそうに見える。
 けどこれ、男がいないんだよね。ヤりようがない。男の子も出てくるけど、力点はみかの羞恥心にあって、男キャラは羞恥心を高める道具でしかない。ハラスメントするのは人間の男じゃなく、犬か女か女神。いじめてる作者と読んで喜んでる読者は確かに男でSだ。しかし、女の子である「私」の恥ずかしい気持ちにウェイトがいきすぎてるから、感情移入の対象は性別がひっくり返った女のMになる(書いてて思ったが、SMってもともとこういうものなのか?)。
 加えて、「罰を与える」観念が濃ゆい。罰として恥ずかしい思いをさせられてる。洗脳で自我を壊す話もあって、しかも結構リアルだったりする。きわきわまで追い込む話をやっちゃってる。
 変態とはヤる手前で迂回することだ。コスチュームとかシチュエーションに凝るのってそういうことじゃないすか。この作品の場合、ヤらない前提の少年誌だから迂回せざるを得なかったわけだが、結果的にヤるよりよっぽどマズいことになってしまった。「少年誌なのに」とか「園児プレイ」とかカテゴリー分けでもって過激だなんだってレベルじゃない。これは本物ですよ。素晴らしく曲がっている。
 
 前に「重版ないの?」と書いたけど、もう4刷だった。現在、アマゾンじゃまた品切れ中。どこに出回ってんの? 秋葉か?
 検索してこの作品はもともとアキバBlogで広まって、重版の情報もあることを今知った。あー。俺、アキバBlog、あんまり見ないからなあ。俺が知ったのも元を辿ればアキバBlogなんだろうな。