いつもの調子はずれ

トロピカルダンディー(紙ジャケット仕様) 3年前からちょっと何かに希望を見出しては失うということを何度か繰り返して、若干おかしくなった。
 新しく起きることは、新しいストレスになる可能性がある。もうこれ以上のストレスはカンベンってことになってるらしく、前もって過剰に緊張する。そういう考え自体やめときゃいいのに、なってしまう。
 定例でやってる仕事は既知のことだから問題ないが、それ以外がしんどい。遊びでも待ち合わせをするのに緊張する。ひどいときはメールが来るのも、電話が鳴るのも、玄関の向こうで人の声がするのもよくないことの予兆に思える。手が震えたりする。そんで病院行って薬もらってる。
 ここまで来ちゃったのは原因がある。自分だ。手を打つのが遅れた。突き詰めれば性格が悪いから失敗している。この客観的に正しいと思える原因がまたしんどく、自覚したところで簡単に正せるものでもない。まして状態が悪いときは性格がひねくれがちで、よくするのは難しい。
 不況だから新卒でも転職でも何十社と面接受けて普通らしいが、日本の奇っ怪な就活の中、そんだけ否定されまくったら壊れて当たり前だと思う。年間3万人が自殺してるのは凄いけど、これで済んでてマシなのかもしれない。
 引き籠もりに対して、人と関わることを恐れていたら何も進まないとか言うけども、彼らの多くはストレスにさらされた結果そうなったんだろうから、マッチョに正論ぶってもなと親近感持ったりもする。
 ここ数日、救いがあって、でもまたそこから落ちて。頭に浮かぶのは細野さんの『漂流記』の歌詞、「どんなにうまくやっても いつもの調子はずれ」。
 客観的に考えればよくある何でもないことで、深く考えないよう努めて、細野さん聴いてたら、逡巡してるけど洒落て軽妙な歌詞で多少やけくそな元気が出てきた。

キース・ルブランと80年代後半のもろもろ

Major Malfunction■夜中にアマゾンMP3を見てたらキース・ルブラン『Major Malfunction』があったんで酒の勢いで買うた。発売当時、俺と池田のあいだで大ヒットしたアルバムですね。池田って誰やねんに関しては省略しますが、池田がアパートの外まで聞こえるほどの大音量で再生していたところ、ドアをノックする人があり、苦情かなと開けてみると「この曲かっこいいですね」と知らない人に言われたくらいかっこよかった。
 キース・ルブランはもとシュガーヒル・レコードのドラマーで、グランドマスター・フラッシュとかのバックをやってた。
 80年代なかばにベースのダグ・ウィンビッシュ、ギターのスキップ・マクドナルド、On-Uサウンドのプロデューサー/エンジニアであるエイドリアン・シャーウッドと組んで、タックヘッド(=ファッツコメット)というユニットを結成。この『Major Malfunction』はタックヘッドのメンバーによる、ルブランのリーダーアルバム。
 
 これが出た’86年、ランDMCとビースティー・ボーイズがデフジャムから出てる。このあたりでヒップホップに関心なかった人たちがそっちに動き出してた。
 当時、細野さんはF.O.Eというファンクユニットを組んでて、“OTT”というコンセプトを持ち出してきた。Over The Topの略で「やりすぎ」の意味だとか。ビートをめちゃめちゃ細かく刻むとかしてたらしいんだけど、聴いた感じ、そんなに過剰な感じはしなかった。
 インダストリアル・ミュージック、要するにノイズ系のバンドがダンスビートを取り入れて、ボディ・ビートと呼ばれたりした。キャバレー・ヴォルテールとか、ミニストリーとかライバッハの一部の曲とかですね。この辺からなんか新しいのが出てくるんじゃないかと期待したけど、ニューウェーブの人らはグルーブに無頓着だから音がつまんなかったし流行らなかった。
 で、個人的にOTTとかボディ・ビートに期待したものがタックヘッドにあったんですよ。
 ’86年はウィリアム・ギブソン『ニューロマンサー』が出た年でもある。タックヘッドはサイバー・ファンクだなと思ったりしてた。恥ずかしい。
 
 アマゾンMP3探したら、ほかにも当時聴いたデペッシュ・モードとアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのOn-Uミックスもあって購入。もろもろ足して8tacksにまとめた。これです
 2曲目、サンディ&ザ・サンセッツ『Rachel』は、『ブレード・ランナー』のレイチェル。曲は坂本龍一。この前に凄く短い『ムードオルガン』ってサウンドコラージュが付いてた。坂本龍一は『未来派野郎』のなかでOTTを意識した曲をやってて、これもちょっとそれっぽい。
 まあでも、この辺の曲、今聴くと中2っぽいですな。
 
*追記:8tracksはこの記事を書いた頃とは全然別のサービスになってしまいました。現在は私の作ったプレイリストどおりには再生されません。
 『Major Malfunction』はSpotifyのここ

ビートンの完璧な救済具合

■掃除をしながらなんとなく『ろぼっ子ビートン』の主題歌を歌ってたら泣けてきたので報告します。

ハーイ!ビートン わたしのビートン

曲名は『わたしのビートン』ですね。

できそこないの ロボットと みんなは言うけれど

パブリックな評価がとても低いと。

でもでも いいじゃないの わたしは好きなのよ

なのに全肯定。好きに理屈はいらない。

約束しましょう 今度の日曜日

ここはちょっと置いといて

ドーナッツ たこやき イチゴミルク
あなたの好きなもの 作ってあげるわ

ここですね。私の得意料理を召し上がれじゃなくて、あなたの好きなもの作ってあげるわ。どうすればあなたが喜ぶか気遣っている、つまりあなたのことを考えてる。
内田樹はこう言ってる

「母親」の仕事は子どもの基本的な生理的欲求を満たすこと(ご飯をきちんと食べさせる、着心地のよい服を着せる、さっぱりした暖かい布団に寝かせるなど)、子どもの非言語的「アラーム」をいちはやく受信すること、どんな場合でも子どもの味方をすること、この三点くらいである。

こっちでは独身男性に対して似たようなこと言ってる。
糸井さんの『MOTHER』では最初に好きなものを訊かれる。で、家帰ったらお母さんがそれ作ってくれる。愛情の表出は、生理的な快感を与えることが基本らしい。『MOTHER3』のサルのエピソードはこの逆みたいでつらかった。電気ビリビリで不快を与えられて隷属させられる。
 
ビートンに戻ります。

きっときてね わたしのうちへ ララララ ララララ 待ってるわ

すごい歓迎っぷりですね。ララララ歌っちゃうほど待ってくれてる。彼女にとっても喜びなんですね。好きなもの作ってもらうんじゃ悪いなあと思うけど、これなら遠慮はいらない。
そんでこれは今度の日曜日の約束でした。ハレの日曜日に彼女が待ってるんですよ。6日つらくても、なんとかなりそう。
 
そんで2番。

あわてんぼうで ドロまみれ みんなが笑うけど

泥まみれは「イケてない(死語っぽいが)」くらいの意味だろうけど、汚いとも取れる。衛生は生死に関わることだから大事なんだけど、それだけに汚い・臭いは排除のための強力な武器になる。子どものイジメで「バイキン」って言葉が使われたり。
「キモい」もこれに近い。「お金は誰が触ったかわからないから汚い」なんて言うけど、そもそも順番が逆みたいなところもあって、親しくない人に対して「汚い」が発動する。

でもでも いいじゃないの わたしは好きなのよ

でもいいんですよ。
ずっと飛ばして

あなたをお風呂で 洗ってあげるわ

お風呂! 女の子と! ここでも心地よくしてもらえる。親しくしてくれる。死から遠ざかる。イケてるようにしてくれる。

きっときてね わたしのうちへ ララララ ララララ 待ってるわ

泣けるなあ。

-451℉

■Zine+CD『華氏マイナス451度』が届いた。これ、なんて言ったらいいんだ。「ガツンとやられた」みたいな言い方があるけども、それに似てはいるけどそんなにわかりやすいことになってなくて、ぽかーんとしているみたいなことになってるので感想なんて書けないんだけど、俺的には事件なのでやっぱり書いとこうと思って、いっそもういつも以上にちゃんと文章にしないという方法で書く。
 Zineって手作り的なイメージがあって、そういうのも面白いんだけど、これめちゃめちゃしっかりしてる。質感が重い。最初の感想が「なんでこんなものが作れるの?」。写真集って写真を見せるのが目的の容器だけど、これは物体としてできてる。変な物体。中身と形態に主従がないというか。そんでCDサイズだから本とCDも分離した感じがなくて、CDとして見ても変な物体。手に取ると、ぽかーんとしてしまう。ぽかーんとして「うーん、なんだこれは」と思いながら見てて、なんか感想言うとしたら「凄い」くらいしか出てこない。いやもう、凄いっす。
 音楽は先行してEPダウンロードして愛聴してたんだけど、夜ひとりで部屋にいるときの頭の動きに似てる。ちょっと切なげで可愛くてきりっとしてて沈みつつ覚醒して。大変に好き。外で聴いてて周りの音と混じった感じもまた面白い。
 もし曲がガツンとしてたら「ガツンとやられた」に近いことになったかもしれないけど、曲とあわせて冷静に拡散して、感想がさっくり出てくるわかりやすさから外れて面白くなってるような。
 とかやっぱり書かない方がよかったんじゃないか感があり。とても良いものを買った感があり、それをなんと言っていいのかわからない感が強し。

5CD ORIGINAL ALBUM SERIES BOX SET

5CD ORIGINAL ALBUM SERIES BOX SET■CD5枚で2500円前後のセットが出てて、Dr.ジョンのを買った。ジャケ写はアマゾンのだけど、アマゾンは高いです。HMVが安いのかな。こんな感じでアズテックカメラとかエコバニとか入ってて謎感もあるラインナップ。
 ボックスの中に、紙ジャケっていうかボール紙のスリーブが5枚入ってて、プラ袋なしで直接CDが刺さってる。ライナーとかナシ。形態は一応オリジナル通りだけど、所有欲を満たすにはしょっぱくて、なんか不思議な感じ。
 Dr.ジョンは『Gumbo』しか聴いたことなかったけど、他もいいですなあ。1、2枚目は音が悪いけどね。
 イーノは「今や音楽は水のような存在になってしまった。事実、水より若干安くなっている」と言ってますが、mp3に対抗してか、最近は安いのは安いね。1000円で買える旧譜が増えたし、1600円でDVDまで付いてきたり。ソフトウェアは良くも悪くもどんどん安くなるね。

ジョアン・ジルベルト『Chega De Saudade』

Chega De Saudadeジョアン・ジルベルトの1st.『Chega De Saudade』がCD化されてた。
 上はアマゾンにリンク貼ってるけど、タワレコの方が安いです。
 
 一般にブラジル音楽っていったらボサノバでしょ。で、ボサノバの創始者はジョアン・ジルベルト。彼が最初にボサノバを吹き込んだレコードつったら最重要ですよ。ブラジルで1枚つったらまずこれってことになるのだが、初CD化であり、これもなんかちょっと怪しいという。
 
 昔1st.〜3rd.を1枚に収めた『ジョアン・ジルベルトの伝説』っていうのが出てたんだけど廃盤になった。曲順がオリジナルと違うなどで、完璧主義者のジョアンからクレームが付いたそうだ。今では当然プレミアが付いてる。どういうわけか4年前に韓国EMIから再発されて慌てて買ったが、やっぱりそれっきり消えた。
 オリジナルレコードのままSACDで出す話もあったようだが出てない。
 今回やっと出て『伝説』持ってるのに舞い上がって買ったんだが、冷静になってみるとおかしい。オリジナルはモノラルらしいが『伝説』同様ステレオ。ボーナストラックにジョアンじゃない人が入ってる。これでジョアンは納得してんのか。
 『伝説』のときも(たぶん)今回も、本人がイヤがってるものを浮かれて慌てて買ってんのはどうなんだってのはあるけど、ちゃんとしたのを買えないんだからしょうがないじゃんね。
 
 タイトル曲、邦題『想いあふれて』は、ボーナストラックにエリゼッチ・カルドーゾのバージョンも入ってる。これはボサノバ0号だそうだ。アントニオ・カルロス・ジョビンの曲、ヴィニシウス・ジ・モラエスの詞、そしてジョアンのギターでできた、ボサノバ。でもエリゼッチの歌唱スタイルがボサノバじゃない。なので0号。
 このレコードが評判になって、翌年ジョアン自身が歌うレコードが吹き込まれた。ボサノバ1号。
 エリゼッチのバージョン聴いたことなかったから、これも目当てだったけど、いいですな。確かに古い歌い方だけど、古いからダメってことはなく、違った楽しさがある。
 
 歴史的意義だけじゃなく、いいんですよ、このアルバム。ボサノバは本質的にオシャレな音楽だけど、ジョアンのオシャレはキリキリと味が深いの。で、やっぱ初期の作品は瑞々しいっていうかね。渋すぎたり凝りすぎたりもなくてバランスがいい。発売経緯に謎はあるが、聴けるとき聴いとかなきゃ!

ブラジルフェスティバル

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ブラジルフェスティバル今年も行ってきた。上はカポエイラの方々。観客が多くて闘ってる人があんまり見えないんだけど、音がいいんすよ。単純なコーラスが延々続くなか、断続的に言葉を乗っけていく。ポル語わかんないけど応援的なことなのかな。左側の人がその役やってて声も顔も良かった。
 

 
 ソーセージの屋台で突如サンバの演奏が始まれば、人が集まって歌い踊る。こういうの日本だとちょっと考えられない。羨ましい。
 もうちょっと様子が良くわかるのも撮れたんだけど、一般のお客さんの顔がアップで映っちゃってて動画でバッチリさらすのもアレなんで。揺れる腰を後ろからご鑑賞ください。
 最初は外で演奏してたんだけどダメって言われて、だからテントの中でやってるが、それでも怒られたからもうやめるしかない、みたいなことをこのあと言ってた。これ、なんとかなんないんすかねえ。踊れない俺も、見て聴いてるだけで楽しいのになあ。