『いけない!ルナ先生』 Kindle版

いけない!ルナ先生(1) (週刊少年マガジンコミックス) 『いけない!ルナ先生』がKindleで出てることを知った。
 連載当時、少年誌でこんな過激なことをやってるのかと驚いた。
 時は流れ、性欲がなくなり、たいがいのことでは欲情しなくなったんだけども、あらためて読み返すと、少年が初めて見る、触れる、女体への新鮮な感動がここにはあるのだった。
 上村純子(ちなみに、うえむらじゅんこではなく、かみむらすみこ)作品は、基本ボーイ・ミーツ・ガールで、男子から見た女子の神聖さって言うとアレだな、えーと、男子から見て女子の異質で魅力的な部分を教えてくれる甘い世界なんだよね。過激でも下品さがないし、逆に大人から見てエロ的にぬるくても、女性に対する男の興味の本質がある。
 ルナ先生に続く『1+2=パラダイス』も良かったけども、さらに次の『菜々ちゃんは俺のもの』は傑作なので全部Kindle版出してほしい。

おおこしたかのぶ『美少女マンガ創世記』

美少女マンガ創世記: ぼくたちの80年代 (一般書) えびはら武司/山本直樹/ものたりぬ/大島岳詩/河本ひろし/浅井裕(あさいもとゆき)/浦嶋嶺至/みやすのんき/町野変丸/りえちゃん14歳/山野 一/遠山 光/田沼雄一郎/新貝田鉄也郎/ダーティ・松本/中島史雄、そして『漫画ホットミルク』初代編集長、斎藤礼子のインタビューを収録。
 なんであの人がいないの?(たぶん断られたんだろうなあ)的なこともあり、内容的にももうちょっと突っ込めたんじゃないかという感もあり。失礼ながらぶっちゃけ「今、食えてんの?」って疑問があるわけで、みなさん食えてるようでなによりなんですが、それならそれでどこでどう活躍してるかもうちょっと詳しく知りたかったり。
 まあでも全体におもろかったです。一気に読めた。

よつばとそに子

『よつばと!』を初めて読んだ感想を引用する。

 今さらアレだがマンガ喫茶で『よつばと!』を3巻まで読んで驚いた。基本ほのぼので、マン喫で読むには危険なほど可笑しいが、なんかもの悲しい。なんだこのマンガ? 凄いぞ?
 この子ってジャングル黒べえとか仮面ライダー・アマゾン系の野生児じゃないか。子どもは確かに文化人未満だけど、土人扱いか?と思ったら、実際にちょっと野生児的な設定だった。
 大人なり都会人なりが失った視点を補完するには、誰かの所有物であるホントの子どもじゃダメで、異人でなきゃいけないんだろう。単に外国人の拾いっ子ってことじゃなく、藤子不二雄キャラ的な異世界人。失った穴を埋めるために、妄想がそこに居ない子を召還してきたわけで。このマンガが過去を回復する作業なら、よつばの笑顔も遺影に見えるってもんだ。なんか悲しいのはそれか?
 <…>っていうか、穿ちすぎか。単に子どもがそもそもなんか悲しい存在だからか?

 よつばってある意味理想の子っていうか、いないはずの子なんだよな。
 で、すーぱーそに子も男の願望をかたちにした、いるはずのない理想の子、キャラクターだけの存在。その日常を描くと変なことになってくる。うっすら死の臭いがしてくる。
 昨日の『そにアニ』のエンディングは秀逸だった。「私が3Dモデルになっちゃいました」とか言ってワイヤーフレームの画像が表示される。3Dそに子は前々からエンディングに登場してるんだけど、「現実の」そに子が改めてデータ化されたことになってる。そのデータを元に3Dプリンタでフィギュアが実際に作られる。で、そのフィギュアが3Dモデルになって動き出す。いつもの3Dそに子とは違うフィギュアっぽいテクスチャーで。
 バーチャルがバーチャルになってリアルが捏造されてる。もうなんのこっちゃわからない。
『そにアニ』変なアニメですな。単にそに子が好きで見てるんだけどね。

マイケル教えて! 被災猫応援の教科書

マイケル教えて!被災猫応援の教科書 (KCデラックス) 2年前に出た本。最近知った。タイトルどおりの内容。表紙にマンガ家の名前が並んでるものの、本の半分以上が文章。
 真面目な本だから、こういう喜び方をしにくいのだけど、なんと『いけない!ルナ先生』の新作が載ってます。このサイトで取り上げないわけにはいくまい。わずか5ページ、お色気控えめだけど読めて嬉しい。

さんりようこ『ひとには、言えない。』

ひとには、言えない。 (5) (ぶんか社コミックス) ’05年に3巻が出たっきりなので終わったのかと思ってたら、7年後の去年に4巻、今年最終巻が出てた。
 
 恋愛に興味はないがセックスには人一倍興味があって妄想ばっかりしてる処女、から始まって、なんやかんや体験して、きっちりオチが付いた。
 基本ほのぼの下ネタ4コマだけど、途中シリアスな展開があったりもして、全体通していいドラマだった。

柏木ハルコ『失恋日記』

失恋日記 (Feelコミックス) 何度か書いてるけど、ヒトが自分の意思で動いてると思うのはわりと勘違いで、単に刺激に対して特定の反応を返している。人に自由意思などないと仏教は言ってるし、脳科学者の池谷裕二もそう言ってる(人まかせ)。
「物語」は単なる反応の結果を振り返って、意味があると思ったものをあとから結びつけてできあがる。
 
 フィクションではこの順番が転倒する。「物語」を描くから。
「こういう話が書きたい」という指針に沿ってキャラクターを動かす。これなら話はダイナミックでわかりやすくなるけど、薄っぺらくもなりがち。
 よく言う「キャラが勝手に走る」ってのも、主軸は変われど物語をドライブさせてることに変わりない。
 
 柏木ハルコは物語オタクな感じがする。「こういう話が書きたい」という意思は強いけども、話を作る過程で、ある状況下にあるキャラクターたちを配置すれば、どういう反応が起きるかっていうのを、もの凄くぐるぐるシミュレーションしてる気がする。物語にキャラクターを隷属させない。特殊な状況下でのキャラの反応の連鎖を緻密に考えたうえで、全体を貫く物語を一体化させてる。だから薄っぺらくならないし、フィクションのレベルがほかのマンガ家と違う。話のなかの現実がシビア。
 
 と、ここまで買う前に書いてたんだけども、読んでみたら最後の話が……。

 この本は短編集だから1話ごとの着想が重要で、長編とは話のでき方がちょっと違う。けども話の前にもあとにも話がある。やっぱり厚みがある。
 そんでこんな感想なんかアップしない方がいいかなと思っちゃうような、なんかもう、通して読んじゃうのがもったいないような感じで。
「おもしろかった!」とだけ言うのが一番いいんだろうけども。おもしろいです!

首斬り朝


 作:小池一夫、画:小島剛夕『首斬り朝』を読み返していた。刀の切れ味を試す、御様し御用(おためしごよう)兼、死刑執行人、山田浅右衛門をモデルにしたフィクション。おもしろいんだけど、いま電子書籍しか売ってないみたい。

 首打ち場を土壇場といい、「最後の土壇場」はここからきていると、作中の解説にある。土壇場での死罪人の言動により、そこに至るいきさつを、首斬り役の朝右衛門が知る、というパターンの話が多い。罪を犯さざるを得なかった不運や因果がつづられる。
 不幸はたまたま、幸福もたまたま、みたいな話が繰り返し出てくる。システム批判が出てくることもある。世の中が悪い。今はどうにもならないが、いつか正されることを願う、みたいな。

 朝右衛門はストイックで情が深い。人情話は苦手だけど、ストイックが加われば、べたべたせずさっぱりする。そのうえで、情というものがとても興味深く頭に入ってくる。
 人情の話をするのに情緒のない書き方をするが、それぞれの人物が情報のノードのように見える。
 俯瞰すれば、世の中とか時代とかが大きくて、情報量を持つもの。そのなかの個人はたいした存在ではない。けども土壇場で語られる罪人のいきさつは、人にはどうにもならないという意味で“大きな”因果だとか、システムに由来している。だから大小じゃなく裏表に見える。ひとりのノードは小さいけど、誰もが語る言葉を持っていて、何人ものノードに触れていくと、ネットワークの宇宙っぽいものが浮かんでくる。
 単なる原因と結果である非情な因果と、情との絡み合いがなんとも複雑に感じられる。

 あと、女性の色っぽさが大変に魅力的。河童の新子かわいい。
 もともと喫茶店で読んでて、あとで文庫版を買った。マン喫だと読みたいの読むけど、普通の飲食店だと置いてあるのを読むしかないから意外な作品に出会ったりしますな。マンガ置いてある店、大事。いま住んでるとこにはなくて残念。