京都の記憶とか

 昨日のトトロで思い出したが、小さいころ里子に出されていた京都の家には土間があった。玄関の引き戸を開けたら土間で、右側が台所、左側に居間と寝室。寝室には大きな柱時計があって、寝るとき音が気になった。
 風呂は縁側の端にあった。半分外というか、簡単な屋根的なものはあるけどほぼ外だった。トイレは当然外。夜行ってデカいクモとかいると怖かった。
 離れに2〜3部屋あって、正月は庭で餅つきやってたから結構広かったはず。
 
 預けられてたのは幼稚園に入る前で、そのころの記憶はまったくない。家に戻ってから何度か遊びに行ったときの記憶。「京都のパパとママ」と呼んでた。
 近所のお好み焼き屋がサービスしてくれて、いくらでも肉を食えというんで、喜んでばくばく食べたら気持ち悪くなって吐いてしまって、それ以来二十歳前まで肉が食えず、給食で苦労した。バカみたい。
 あと近所にバナナ屋があった。普通の民家でバナナだけ売ってた。玄関開けると靴箱かなんかの上にバナナが並べてある。
 
 共働きで面倒が見られないから里子に出されていたそうだが、当時の家が岸和田で、血縁もない京都の家に預けられてたのがよくわからない。
 母方の爺さんが亡くなる前、病院に見舞いに行くと、ボケていて俺が誰かわからなかった。叔母が説明すると思い出し、「ああ京都の……」と言った。これに対し「いらんことばっかり覚えてるんだから」と叔母。なんか「いらんこと」らしい。
 可能性としては里子ではなく養子に出されたが、やっぱり戻したというのが考えられる。けど京都の家は男ばっかり3人いて、今さら年の離れた子をもらうことはないだろう。
 実はそこんちの子で、今の家に養子に出されたというのは、叔父に似ているとか、母方の血縁に関する話が出ることがあるのでなさそう。父方は……。
 そういうおもしろい話じゃなく、どっちかの移動のとき俺がたいそうグズったとかかもしれない。事情はともかく、なんかしら性格形成に影響してるんだろう。

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