場所とか

■ウチから三鷹へ行くときは、千川上水沿いに西へ行ってから、武蔵野市役所の前を南下する。
 千川上水ってのはこんなん。ちょっとした春の小川。横が畑だったりして、23区内とは思えない呑気さ。
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 武蔵野市役所周辺も、グラウンドや体育館なんかが集まってて晴れやかで、大きな街路樹が並んでる。
 天気のいいとき自転車で走ってると気持ちいい。おいしいもの食べたとか、いい曲を聴いたとか、そんな感じに似たものがある。
 どっか外国の、都市計画と自然保護がしっかりしたところに住んでたら、こんなもんじゃないんだろう。日常受け取るものがかなり違うんだろうなと思ったりする。
 
 単に自然が多いということなら地方に住めば良くて、でもそうせずに、わざわざ都心部に住んでる時点で、自分の中のプライオリティーが低いことになるが。
 いがらしみきお『かむろば村へ』で、主人公のタケが、郷土料理オタクのみんちゃんのところへ行って、飯を食わせてもらうシーンがある。朝、急に押しかけて出てきたのは、里芋の茎の味噌汁と、ご飯と、大根の漬け物。
「オレビンボだけど いいもの食ってるなぁ〜」
「タケちゃんは うまいうまい 言ってくれるから。」
「え? みんなはうまいとか言わない?」
「田舎の人はね、うまい時は黙って食べるの。」
「そう言えばみんな黙って食べてるよね。」
 都会から来たタケと、もともと住んでる人で、ご飯への接し方が違う。うまいとき黙るのは、感覚的にわかる。説明しようとすると、つまんなくなるのでやめとく。
 “田舎では普通の、うまいもの”があるとする。タケがその“ビンボだけどいいもの”を喜ぶのは、都会では普通じゃない珍しいものだからで、もうひとつはタケが田舎を選んで越して来たからだ。都会を選ぶ人は、田舎に当たり前にあるいいものとは違ういいものを求めて都会にいるわけだから。
 あれ? 引用までしといて、何が言いたくてこの部分を書き始めたのかわからなくなってしもた。
 
 あんまり関係ないけど、最近“パワースポット”って言葉をよく目にする。なんか「元気もらいました」に繋がる気がして感じ悪い。
 前も書いたけど「元気もらいました」ってもともと、歌手とかスポーツ選手とかが、ファンに対して言う言葉だったんじゃないかな。本人に届いてるのか、意味があるのかわからない応援に対して、届いてますよ、あなた方の声援があるから私は輝けるのですよと。
 ファンの側が「元気もらいました」って言うと、主従というか上下が逆転する。「あなたの行動や作品は、この私の得になりました」になる。あんた何様で、なんでいちいち損得に勘定するのかと。
 昔から作品や有名人の行動に勇気付けられることはあっただろうけど、こんな気持ち悪い言い方してなかったと思うなあ。
 そんでパワースポット。そこへ行くと気分が良かったり、神妙な気持ちになったりする場所はある。そこで感じるのは大きな存在に対する畏敬の念だと思うが、その辺が軽くて、元気もらったり癒されたりの、“私の得”に収められてる気がする。

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