都落ち、その後

 現在、町工場に勤務している。試用期間の3ヵ月を終え、正式に社員となった。
 
 ’85年に二十歳で上京してエロ本のレイアウトを始めてから、ずっとグラフィックデザイナー、主にエディトリアルをやってきた。’00年にフリーになり、気ままな日々を送っていたが、’15年にメインの仕事がなくなり、廃業し、実家の大阪へ帰った。都落ちである。
 このとき50歳だったので、もうデザイナーの仕事はないと思ってた。だったら、わかりやすく社会の役に立つ清掃とかやりたいと考えた。しかし清掃は清掃で難儀で、「女子トイレあり」とか書かれていると男は採らないし、そもそもフルタイムの仕事が少なかった。
 そんでデザイン関係の仕事をみてみると、あることはある。そっち方面のキャリアは持っているので、活かせるもんは活かしたい。
 ある会社に入った。広告関連の会社だ。これまでエディトリアルをやってきたけど、広告もやればできると思っていたら、全然できなかった。特に安い広告はフリー素材を使ってにぎやかしをやるのが普通だったが、こういうの凄い苦手。基本、シンプルなのが好きだし。まあ、言い訳だが。
 この会社はもともとデザイン会社ではなく、あるもくろみによってデザイン部門を設置したものの、計画通りいってないという具合。デザイン部門はいつでも閉める気であった。それもあって次を探した。
 もうデザインスキルを問われるのはしんどいので、DTPオペレータになることにした。派遣ならいくつか仕事先があった。ただ、派遣は安定しない。基本、短期だし、長期のはずでもいつ切られるかわからない。
 数件の派遣先を回ったあと、今年。55歳となるとマジで仕事がない。紹介予定派遣とかエントリーしても、「若い人が欲しい」と言われて切られる。
 そもそもDTPオペは給料が良くない。デザイナーと違ってセンスや才能は不要なんだけど、技術職ではある。アドビ他のソフトが使えて、ある程度の印刷知識も必要。なのに安い。
 もう職種はなんでもいい。55歳を雇ってくれて最低限の給料をくれればいい。
 ということで、あちこち受けて断れて、受け入れてもらえたのが今の会社。けっしていい給料ではないがDTPオペと同等ではある。
 仕事内容にも不満はない。 DTPオペだって楽しくはなかった。ただ、今度のは外の仕事なので寒暖・雨など気候が影響するのと、手が汚れて爪の周辺など洗っても落ちないこと、土曜休みが隔週で祝日も潰れがちなことはしんどくはある。
 
 以前DTPの仕事が見つからなかったときに倉庫で働いたことがある。これは最悪だった。みんな忙しいので何も教えてくれない。教えないけど、できろ、という職場だった。新人ウェルカムな雰囲気はまるでなく、皆冷たいか、そうでなければ変人だった。
 今の職場は、皆いい人だ。仕事もやさしく教えてくれる。
 80歳の人も働いている。働ける限りは働けるということだ。これまで主に国民年金で来た俺は、年金で食っていけない。職を失うと死だ。これで取りあえず80歳くらいまで延命されたことになる。
 デザイン関係でやってきた俺には第2の人生だ。楽しくやっていけたらいいなと思う。

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