■副題が「太平洋戦争に見る日米摩擦の底流」。人種の面から見た太平洋戦争。初版は'87年。出たときに話題になってたのかもしれない。
第一部は全体の俯瞰。日米お互いにクソミソ言い合っていたわけだけど、悪口には根拠があってデタラメじゃなかった。お互い実際ひどかった。つまりはお互い様だった。相手をひとまとめのステレオタイプにはめるっつーのは反日・嫌韓の人らが今もやってることで。進歩がない。
第二部はアメリカが日本をどう思ってたか。自分がどう思われてるかは誰しも気になるところで、日本人的にはここが一番面白い。うんざりするほど日本人がクソミソに言われる。「黄色い猿」に差別が含まれてると知ってはいるんだが、実感としてどんなふうかはわかってなかった。太った人をブタ呼ばわりするのとどう違うのかピンと来ない。そのへんが、うんざりするほど読めばなんとなくわかってくる。概要まとめたり、どっか抜き出して引用したところで「そんなのは知ってるよ」ってことになっちゃうんで、やっぱりうんざりするほど読まないと。
妙だったのは、日本人は平衡感覚に欠陥があるから航空機の操縦に向いてないと思われいて、その原因は乳児のとき、背負われてシェイクされるからじゃないかと言われてたこと。
もうひとつ。日本人が精神的に未発達なのは、子供の頃の厳しすぎる排便のしつけにあると説明されてたらしい。厳しすぎるってどういうことだろう。欧米はどうしてたんだ? それか当時の日本は、今はなくなった異常に厳しいしつけをやってたのか?
第三部は日本からみたアメリカ。なのだが、単純に裏返しにならない。欧米は現に勝ってたから、白人から見て白が優秀なのは自明のことだった。一方、日本は遅れてきて欧米から学んでる立場だから、黄色人種の方が優れているとは言えない。で、精神的に優れていると主張し、アジアの白人になろうとした、って話。
第四部は戦後の話。これがないと話はまとまらない。まとめに向けて、こじつけた感じがしないでもない。それでも興味深くはある。
気持ちの問題は客観的に扱いにくいもので、歴史関係の本としては比較的怪しい部類になるのかもしれないけど、実利の面であーなってこーなってって話より、よっぽど今に繋がる流れがわかる感じで面白かった。
くじごじ・沖縄料理・アイドルビデオ
マンガ | アイドル | 雑
■川島よしおの同人誌『KUJIGOJI II』を求めて久しぶりに中野へ。
俺にとっては、この人のエロが一番エロい。抜ける抜けないとはまた違う基準で。『くじごじ』はあんまりエロくないんだけどキャッチーで好きだ。同人じゃなく白泉社から出てる『くじごじ』はこちら。
■『ちゃんぷる亭』って沖縄料理屋で、ヘチマの味噌煮定食食ったらうまかった。新宿でときどき食うんだけど、同じメニュー、同じくらいの値段で、中野の方がうまい。新宿のシンプルな味もそれはそれで好きなんだけどね。今後、中野行ったらメシはここだ! つーか、ここがあるなら中野行く回数増やしたい。地図はこれ。中野駅から見て、ブロードウェイ突き抜けてちょっと右行ったとこ。
■古本屋で秋山奈々が表紙の『Chu-Boh』5号購入。DVD未開封で、プレミアも付いてない普通の中古価格。秋山奈々は水着じゃないが、中3という最も素晴らしい時期の良さが出ている。あと柏静香がω。
■DVDといえば、永岡真実の2枚目は評判いいみたいだな。これだけども。
あと倉田みなのDVDが気になってんだよなー。U-15つってもそう見えない子が多いなか、ちゃんと中学生に見える。いい意味の普通っぽさがある。巨ではないものの乳もある。いい子そうだし、しほの涼と同じ事務所でサービスも良さげ。
北村ひとみも評判いいね。乳のみならず尻もイイ感じでデカい。顔が次長課長・河本にちょっと似てるけども。ここでサンプル動画見れる。揺らしまくり。
月額固定で郵送形式のビデオレンタルだと、この辺のも借りられるみたいですな。アイドルビデオだけじゃなくマイナーな映画も観れるしお得なのかも。
■タナカカツキのタナカタナ夫DVD
キレイな金魚のパケだけど、たなびく曲線はフンだという……。
なんか涅槃げですな。空飛ぶ子供の映像なんて、向こう側の世界からこぼれてきちゃったような、向こうに呼ばれてるような。夢見てるのと起きてるのの間のような。ディック風に言うと入眠時幻覚みたいな。パノラマの作品なんかも、視線が凄く遠くにある感じがする。死んじゃってる人の視点。
■コンゴトロニクス2
DVD付きCD。親指ピアノ(こういうの)を電気増幅して奇っ怪な音に。遠くまで音が届くようにアンプに繋いだそうで、もとの玄妙な響きはなくなってる。曲によってはミニマルテクノみたいにも聞こえる。ボーカルもなんだか割れててマーク・スチュワートみたい。前のコンゴトロニクスは1バンドで1枚で、面白いけど聴き通すのしんどいかもなーとパスしたけど、2はオムニバスで楽しい。
DVDがですね。生というか、映像的にあんまり凝ってなくて、現地の状況そのままなんですね。いわゆるミュージックビデオとあまりに違うんで軽くショックだった。
日本人は多分、世界一小綺麗だと思う。特に女の子。それはチェック項目を満たさないと後ろ指さされるってことでもあって、あんまり良くないと思うんですよ。「エコ」っていう名目ができるまで過剰包装がやめられなかったこととか、やたら完成度ばっかりを問題にするのとかも関係してて。
そんな小綺麗を嫌う俺が見ても、小汚いのな。軽くショックなほどに。美人ダンサーもいるんだけど、あなたが頭に付けてるひらひらした飾りは、カセットテープちゃいますの?とか。なんかお腹にデコボコがある人がいて、腹筋にしては妙だし、病気ちゃいますのん?とか。パーカッションの台がビールケースだったり、それ以前にビンが楽器だったりもするし。それで慌ててホワイトバンド買いに行くとか、そういうことは全然なくて、まー正味、珍しいんですよ。いろいろと。
テレビとか映画とかも含めて、映像見るのめんどくさくてあんまり好きじゃないんだけど、やっぱ見なきゃダメだなーと思った。
■これまた変な映画だった。おもろかった。
特撮がもー、こんなん作られたらもうゴジラとかガメラとか全然無理って感じ。目の前の異変がリアル。東京タワーとかデカい建物壊れないけど、そういうんじゃないってことかもしれんし、今となっては生々しいから避けたのかもしれんし。
そのくせ、妙にリアリティーがなかった。テレビの小っこい画面で見たってのも大きいと思うけど、現実よりは夢っぽい。やけに簡単なとこも。宇宙人が出てくる直前、娘さんの顔にクモが付くのなんか簡単すぎるんだが、半分わざとやってるんじゃないか。夢ってこんなんだし。
妙なのは父ちゃんの通過儀礼で話ができてること。
あと、娘さんの前に酷い光景を持ってくること。父ちゃんは娘を守って逃げるんだが、それは光景から守るっていうか、見せないようにするっていうことだったりして、でもやりきれてなくて、なんなら自分が酷い光景の当事者だったりする。「監督のスプラッター趣味」じゃ収まらないなんかがある気がする。
トライポッドのデザインはちょっとアレだな。何万年も埋まってた異星のメカに見えん。日本人の方がいいの作れるのでは。
・Sinatra and Jobim
フランク・シナトラとジョビン。間奏で一服するのがダンディー。
・Astrud Gilberto - The Girl From Ipanema [1964]
お馴染み『イパネマの娘』。出だしがおもろい(だけ)。
・Águas de Março
ジョビン、シコ・ブアルキ、カエターノで『三月の水』。
・Os Mutantes & Gilberto Gil
こんな大編成なのか。ジルベルト・ジルかっこいい。ムタンチスはルックスが幸せそうだな。特に髪型。
・Chico Science & Nacao Zumbi - Maracatu Atomico
シコ・サイエンス&ナサォン・ズンビ。土方巽が一枚噛んでるような……。
・Daniela Mercury no polêmico vídeo da camisinha
ダニエラ・メルクリ。コンドームを付けよう? こんなのあった。元記事が見れないが、避妊の是非で揉めてたんだろうか。
・just a little birthday video for marina
セウ・ジョルジの検索で出てきた。セウ・ジョルジは役者でもあり、映画『シティ・オブ・ゴッド』の「色男・マネ」。ブラジル風ファンク、ファンキの人。最新作はなぜかデビッド・ボウィのカバー集。
・A Sua - Marisa Monte (live)
マリーザ・モンチ。照明がきれい。
・Morelenbaum2 Sakamoto - CORACAO VAGABUNDO (Live)
ジャキス・モレレンバウム+パウラ・モレレンバウム+坂本龍一のユニット。モレレン2は複数上がってた。
・Arto Lindsay + Peter Scherer - It's Gonna Rain (Live at NYC)
MPBじゃないがモレレン2と同じ方がアップしてたアンビシャス・ラバーズ。
■立ち読みした週刊アスキーに、コーネリアスのヤン富田ミックスがiTMSで限定販売とか書いてあった。あった。買った。iTMSで特に宣伝されてないし、検索しても盛り上がってる様子はないが、ほんとに限定なのかな。どっちでもいいんだけど。
■中古で『コマソン黄金時代 懐かしのTV-CM大全集(1962〜1973)』ってCD買った。『見えすぎちゃって困るのオ〜』が入ってる。植木等の「なんであるアイデアル」とか巨泉の「はっぱふみふみ」とかセリフだし。コマソンじゃないし。5秒とかだし。
今も売ってるのかアマゾンで検索したら、中古が1万円とかだった。これ。俺は1200円で買ったよ。アマゾンの中古は強気なのが多いから、これが相場かどうかは知らんが。
■ボサノバは同じ曲をいろんな人がやってる(この時代はほかのジャンルもそうだけど。スタンダード・ナンバーがある)。作曲家は先生で、歌手はスターで、今の「アーチスト」よりも一般人との格の差は大きかったんじゃないかと思うが、名曲は共有財産みたいな感じもあるように思う。サンバは共同体の音楽みたいだし、最近のMPBでも古い曲のカバーがあったりする。みんなで楽しむ分には、必ずしも新曲でなくていい。
一方、今は、っていうか俺が自分が楽器できなくて、歌も音痴だからそう思うだけかもしれんが、身近に音楽がない感じがする。古い映画見ると、意外なとこで意外なかたちで歌が出てくる。意外に思うのは、みんながいる場で歌うことがなくなってるから。
今は「音楽=CDを出すか買うか」みたいな。「みんなのうた」じゃなくて「俺の歌」。俺の主張を聞け、俺の世界を知れ、みたいな。それか逆にマーケティングもりもりみたいな。カラオケとクラブはあるけど、フィジカルな発散の意味が強い気がする。軍歌とか闘争歌とかとはだいぶ違う。そこいらで踊る習慣もない。かろうじて盆踊りとか祭があるくらい。こんなふうに想像上の昔を今よりいいものとして対置するのは、ありがちでヤバいけども。
ブラジル音楽に首突っ込んじゃったから、どうせなら「ちょっと詳しい」くらいまで行こうと思って、さらにCD買ったり本読んだりしてるんだけども、ポルトガル語がわからないのが大きな壁で。英語だってわからんが、そこそこ聞き慣れてはいる。ポル語は曲名の意味がわからん以前に読めない。発音できない。仮に多少わかるようになったところで、ブラジルの歌はよその共同体の歌であって、俺らの歌じゃない。
で、俺らの歌ってなんかあるかと考えると、アニソンとかしかないんじゃないか。好きな曲ならいくつも挙げられるが、好きな歌となると、細野さんのファーストと一時期のムーンライダーズくらいしか浮かばない。ものごころ付いた頃には歌謡曲も微妙なことになってたし。とか思って、CM集もわりと真面目に買ったんだけども……。
そんなこんなで大工哲弘はやっぱいいなと思ったりした。
■秋山奈々らしき人を見かけた。顔はごく短時間しか見えなかったけど、たぶんそうだと思う。少なくともルックスと服装と一瞬聞こえた話の内容からしてモデルかタレントであることは確か。北陽の伊藤でもなかった。美少女というより美女だった。もうちょっと人が少なければ、しっかり見れたのに。
■昨日書いたのは、昔/今と、ブラジル/日本がごちゃごちゃで何言ってんのかわからんな。
ブラジルのことで言うと、こないだ買ったカルトーラは'74年の録音で、このとき65歳だそうな。これがファースト(とセカンドのカップリング)なんだが、かといって「苦節何十年、ようやくレコード出せました」的な超遅咲きではないらしい。二十歳のときにマンゲイラを創立している。サンバの巨人であることに、レコードが出てるかどうかは関係ないらしい。こういうの、日本じゃ考えにくい。
(マンゲイラは史上2番目にできた、現存する最古のエスコーラ・ジ・サンバ。エスコーラは学校の意味で「サンバ学校」と訳されるけど、意味合い的には「チーム」で、生活共同体だったりもするらしい)
中原仁『ブラジリアン・ミュージック』(持ってるのは'95年版)に載ってた、ノルデスチ(北東部)の民衆詩人の話もなんか凄い。
北東部の民衆詩人(ポエタ・ポプラール)は、その表現の仕方において大きく「吟遊詩人」と「詩人」に分けられる。詩を用いて物語を綴るのが「詩人」であるのに対し、吟遊詩人は「歌い手(カンタドール)」とも呼ばれるとおり、自作の詩や他の詩人が作った詩を歌いながらセルタォン地方の旅を続ける遍歴者だ。彼らはいつも、旅先で仕入れた最新の情報を持ってやってくる。そして見たこと、聞いたこと、体験したこと、感じたことをテーマに「物語」を創り、歌って歩く。世相を反映した詩を人々に歌って聞かせるという、まさに「歩くシンギング・ニュースペーパー」のような存在だ。
(略)
民衆詩人の詩作は、口述によって人々に紹介される一方、小冊子に印刷され販売されている。この小冊子を「フォリェット」と言う。一般的には新聞紙に印刷されていて、ページ数は4の倍数。内容がニュースの場合はページ数が少なく、架空の話の場合は16ページから64ページまである。表紙やイラストには、作者自ら描いた木版画が用いられることが多い。これらの小冊子による文学を総称して「リテラトゥーラ・ヂ・コルデル(紐の文学)」と呼ぶ。これはイベリア半島から伝わってきた呼び名で、小冊子が紐でつるされて売られていたことが起源である。もっともブラジルでは一般的に、地面に新聞紙を敷いてその上に並べるか、ふたを開けたトランクの中に入れて売られている。“手入れ”があった時のことを考え、素早く店をたたんで逃げるのに便利だからだ。
(略)
実際、フォリェットはこの百年ほどの間に、北東部の民衆に最も広く読まれている印刷物だ。学術的な出版物の発行部数が国内で約2000部ぐらいなのに対し、フォリェットは1万から2万部発行されている。ベストセラーは10万部以上になる。フォリェットは多くのブラジル人の嗜好や情緒を養い、そのような人々を通じて民衆文学そのものも養われていく。マスメディアを媒介としない広がり方はいたって明確なもので、内容の良いものほど大勢に読まれ、自然発生的に口コミで情報が広まっていく。
なにこの同人マーケット。いつの時代の話ですか?って感じだが、今もこうらしい。
■So-netの迷惑メール振り分けサービスが無料だと言うんで登録してみた。OS Xのmailにはスパムフィルターがあるんだが、DTP中はOS 9だし、たまに京ぽんでメールチェックするときもスパムがやっかい。
振り分けはスパムに印を付けるだけのものと、サーバ側で別フォルダに隔離するものがある。前者はあんまり意味がない。後者はウェブメールの使用が前提になってる。
んで後者を選んで、初めてSo-netのウェブメール使ってみたが、gooに比べて使いにくい上に、朝方だっつーのにアクセス過多で繋がらなかったりすんの。えー?
ウェブメールの画面上部には、My So-netとかRSSリーダーとかブログとかサービスメニューが並んでるんだけど、サービス毎にいちいちログインしなきゃいけないの。IDもパスワードも共通なのに。さっきメール見るのにログインしたのに、ブログんとこ行くと「ようこそゲストさん」だって。えー? So-net Blog、一時期使ってたけど重くて話んなんない。なんでこうもへぼちんなのか。無料ったってプロバイダの料金でやってんだよねえ……。
■1年前から、はてなアンテナやめてI know.使ってる。「ぜひみなさんも」とは言えないのだが、もっと使われてもいいように思う。
欠点から言うと、
・100件までしか登録できない
・巡回が全般的に、はてなより遅い
・インターフェイスがわかりにくい
特にはてなダイアリーは、はてなアンテナに即座に反映されるから、I know.の遅さが目立つ。I know.で上がって見に行くと、次の日の日記が書かれてたりする。
はてなアンテナやめた最大の理由は、自分のサイトの更新を拾ってくれないから。なぜかI know.は即座に拾ってくれる。俺に優しい。はてなはもうしょうがないから、毎度自分で手動更新してる。
俺んとこを拾わないのと同様によそも拾わない可能性がある。実際、拾わないまま沈んでいくサイトがあった。I know.は遅くてもいつか拾う。
もうひとつの利点は、RSSに対応してること。この機能、使ってる人が少ないかもしれんが、便利っすよ。RSSで更新チェックすれば、チェック範囲を工夫しなくても、コメントやトラックバック、ちょっとした書き直しをいちいち拾わないで済む。このメリットは、はてなRSSをアンテナ代わりに使ってる人ならわかるはず。RSSの表示も、はてなRSSみたいにフィード毎に分けるか、はてなアンテナみたいに1つにまとめるかをサイト毎に選べる。
逆にコメントとかトラックバックとかも拾いたければ、RSSじゃなくて通常のアドレスで登録すればいい。RSSリーダーとアンテナがひとつで済むのがI know.のいいとこ。
俺的には巡回遅いのだけ改善されればいいんだけど。みんなI know.にping送ってれればいいのに。ここ↓
http://ping.i-know.jp/
■NHKでやってた『沖縄“笑いの巨人”伝 〜照屋林助が歩んだ戦後〜』見た。世相を折り込んだコミックソング歌うのなんか、吟遊詩人っぽい。そのうちCD買ってみよう。
ブラジル音楽も「伝統に根ざした大衆芸能」という中村とうようげなとこに惹かれてるんだけども、それはナショナリズムの産物で、もともと帰属意識が薄い俺にとっては違和感もある。
さらに日本の大衆芸能だと左翼っぽいというか、いや、戦後民主教育の申し子だから左にアレルギーはないんだけども、市民くさいというか、NHK向きというか、なんだろうな。例えばMPBに対して「午後のティータイム、ぼけーっとするのにいい」とかいうステレオタイプを、当の地方の人自身が演じてるような妙さが。
若者は自意識過剰なので、自分が若者であったときにはアーチストの自意識過剰に同調できたけども、年食ってくると鬱陶しいから「みんなのうた」に興味出てきたものの、自分を「市民」と位置付けるのはどうもなあ、みたいな。って言うかわざわざ東京出てきといてワールドミュージック好きってどういうの?みたいな。
そんで、ナショナリズムったって、「俺のナショナルってなによ?」みたいな。ブラジル人でも沖縄人でもないし、伝統から切れてるし、アメリカ文化に憧れた世代でもないし。テクノポリス・トキオなのか? あ、俺、関西人だ。じゃあネチズン? 一日中モニターの前にいてアンテナリロードしてるしな。
まー自分の出自なんて、わざわざ探すもんじゃないけど。自分の資産について考えてみたりして。グラフィック方面じゃ、やっぱり「侘び・寂・萌え」みたいのはしっくりくるんだけど、もうオタでもないしなあ。確かに電子音を聴きながら、アニメ見て育って、それしかないんだけども、そういうのは世代論みたいでつまらんし。
■ボウケンジャー、いいっすね。イエローのスカートの裾が。今週はカブトも妹のスカートの裾のあたりが良かった。日曜の朝はスカートの裾から目が離せない。「ぼく」の子はあざといと思うんだけど、どうしてもああいうタイプは好きなんでスカートを履いてほしい。末永遙はU-15の頃と比べて別人っぽいけど、今は今でいいね。スカート履いてるし。
あとリュウケンドーは真面目にやるように。佐藤寛子と細川ふみえがあんまり出ないじゃん。
■諸星大二郎『トゥルーデおばさん』読んだ。グリム童話をもとにした短編集。面白いっちゃー面白いんだがわかりにくい。もともと奇妙な話であるからわかりにくいうえに、必要なコマが足りん感じがする。何度か「あら、いまページ飛ばしたか?」と思った。
■細川ふみえの映像目当てに、DVD付グラビア誌『GRAPHY』を買った。
細川ふみえの魅力は絶妙なたるみ具合にあった。同性が羨むかっこいいキャラと体型からずれてた。みっともなさがあった。そこがエロかった。だから年食ってもいけると思ってた。実際スチルで見てるぶんにはいけてた。
でも映像見るときついなー。足のアップから始まるんだけど血管ぼこぼこ浮いてる。脚が凄く細いが、締まってなくて貧相な感じ。スチルではごまかせてる肌の質感がどうにも……。いやー、太ってください。
あと佐藤寛子も目当てだったんだが、本人はあんまり動かずカメラがなめるタイプの映像でがっくし。ほかの映像もおざなり気味だし、もうこの本買わんと思う。
■デジキシンのソニン見た。ころころしてた。なんで走ってんだ? 昔走ったからか? なんでまた今頃? 走るってことは揺れるってことだろうからDVDの方買うか。
■ミュージックマガジンに載ってたアドリアーナ・パルチンピンのビデオが面白そう。「女カエターノ」と呼ばれたりするアドリアーナ・カルカニョットが変名でやってる子ども向けライブらしい。実際は子どもだけが対象じゃないだろうから、「子どものため」をコンセプトにしたショウって感じか。ステージに置かれたオモチャや食器なんかを楽器にして歌ったりするそうな。
■ムーバブルタイプのスパム対策プラグインをmt_spam_blockerに変えてみた。コメント、トラバがうまくいかない場合、メールで教えてくださると助かります。
■秋山奈々写真集

ナイスジャケ。発売を楽しみにしております。
古本屋で買ったユリイカ'98年6月号に載ってた、カエターノ・ヴェローゾ『食人習慣』から部分引用。
僕にとってはとりわけ、オズヴァルドの一連の「マニフェスト」のショックが強かった。二四年の『パウ・ブラジル的詩作のマニフェスト』、そして特に二八年の『食人習慣的マニフェスト』である。この驚異的な美しさを誇る二つのテキストは、今日的であると同時にヨーロッパ的前衛主義からの開放だった。ヨーロッパで生まれた各種マニフェスト同様、これらもマリネッティの未来主義の申し子であり、特に前者はシュルリアリズムに先立って生まれている。また、この二つは、ブラジルの再発見であると同時に、新たなブラジルの創設でもあった。(略)
二番目のマニフェスト『食人習慣的マニフェスト』は、食いつくすことの隠喩を展開し、明示している。我々ブラジル人は、どこからくるなんであれ、真似をするのではなく、食い尽くさねばならない、あるいはアロルド・ヂ・カンポスの言葉を借りるなら、「ブラジル種の元で外来の経験を吸収し、これに、最終生成物が独自の性質を持つよう、そしてとりわけ、海外との接触において輸出用産品として機能する可能性を持つよう、疑いのない地域的特徴を加味しつつ、我々の流儀でこれを再発明」せねばならない。オズヴァルドは、使い古された形式、方程式を持つ不滅の輸入行為という(しかも、作者の側の想像力というよりは、過去の事例と未来への助言の出来の悪い集大成に見えていた)図式をひっくり返したのだ。そして、食人習慣という神話を提議し、国際的な文化関係に人食いの儀式を持ち込んだのである。インヂオがペーロ・フェルナンデス・サルヂーニャ神父をむさぼっている場面こそが、ブラジル文化、ひいては我々の国民性の基礎たる最初の場面となるのだ。
文化的食人習慣の思想は、トロピカリスタにぴったりと適合した。僕らはビートルズやジミ・ヘンドリックスを「食らっていた」からだ。
しかし、トロピカーリアの中にも(そして食人習慣の中でも)ブラジルを観光客にとってもブラジル人にとってもエキゾチックにしてしまおうとする傾向があると見るのは妥当なことだ。疑いなく、ぼく自身も今日まで、この熱帯のカソリックの化け物が持つ奇妙な特徴を中和しようとする、平凡な国際的尊敬とやらを模索する名目で行われる滑稽な試みと思えるものは撃退してきている。無論、バナナを吊したターバンの連想が、ブラジル生まれの核物理学者や古典文学者の頭にとって、特に有益でないことくらいは僕にもわかる。ただ、僕が知っているのは、この「ブラジル」という事実が上記のような学問の研究者(あるいは新しい学問の発明者)を大勢輩出するような創造的エネルギーを発するとしたら、それは、この「ブラジル」が自身を前に臆病がらない場合だけであり、国際秩序に対し、可能な限り分別を働かせて従うことの落胆の上に、自己愛的喜びを位置させられる場合だけだと言うことだ。『オルフェウ・ド・カルナヴァル(黒いオルフェ)』が初公開されたとき、僕は十八歳だった。僕はこの映画をバイーアのバイシャ・ドス・サパテイロス(!)のシネ・ツピー(!)で見た。僕を含めて客席中が笑い、あのフランス人監督に、かくも魅力的なエキゾチシズムの産物を作り出させた厚かましい不正当性を恥ずかしく思った。我々ブラジル人がこの作品について下した批評は、「いったいなぜ、ブラジルを代表するもっとも純粋な音楽家たちは、このようなまやかしを装飾する(そして、これに威厳を添える)ために作品を提供することを承諾したのだろうか?」に要約される。この映画の元となった戯曲の作者であるヴィニシウス・ヂ・モライスが、ロードショー前に制作者が行った試写会の際、腹を立てて試写室を出ていったというのは、世に知られた事実だ。とはいえ、その魅力は外国人においては機能した。映画は(実にさまざまな文化レベルの人々にとって)ギリシャ神話のモダンで大衆的なお涙頂戴バージョンと映っただけでなく、この物語の背景となった極楽のような国を紹介するものだったのである。トロピカリズモが起こったとき、この作品はブラジルではすでに忘れ去られていた。しかし、六九年、僕らがロンドンへ着いてみると、レコード会社の役員たち、ヒッピー、インテリなど、知り合ったすべての人々が、一人の例外もなく、僕らがブラジル人だと知るやいなや、『黒いオルフェ』について熱狂的に語り出した。僕らはまだ、若干の恥ずかしさを覚えていたが、「カルナヴァルの朝」を歌ってくれというリクエストに応えるのは、多くの場合報われることだった。外国人(ロックのシンガー、第一線の小説家、フランス人社会学者、新人女優)によるブラジル発見物語のナラティヴは、今日に至っても絶えることがなく、そのどれもが忘れ得ぬマルセル・カミュの映画によって彩られているのである。エリザベス・ビショップは、リオから出した手紙の中で、最初は——恐らく詩人であり、ブラジルに長く住んでいたからであろうが——アメリカ人の友人たち(ロバート・ロウェルを含む)に向かって、あの映画は音楽は素晴らしいが、内容は彼らが思っているのとは逆にくだらないと言って説得しようとしていたが、じきに、その評価においてブラジル人とは距離を置きはじめ、映画の曲は「純粋な」リオのファヴェーラの音楽とは違うからという理由で評価しなくなった。ジョン・アップダイクは、部分的にはこの『オルフェ』に触発され、『ブラジル』と題された著書を書いたが、これはカミュの映画と大して変わるものではなかった。映画が封切られた時期に、この作品、詩、オルフェの神話とリオデジャネイロの町について、なにからなにまで正当な評論を書いたのは、唯一ジャン=リュック・ゴダールだけだった。トロピカリストにとってこの評論は、まさに自ら署名したいと望めるものだ。だが、これが書かれていたことを僕が知ったのは、七〇年代に入ってから、バイーアに戻った時だった。その間に、この映画についてなされたトリピカリズモ的批評は、とりわけ、外国人のブラジルに対する見方について、そしてエキゾチシズムを伴う愛と戦争の繊細さについての考察が深められたと指摘していた。
ややこしい文章だなあ。インテリだな。熱いな。
日本人だからエキゾチックなものとしてしか『オルフェ』は見れないけども、とても「極楽のよう」に見えなかったけどな。単に「うわー、貧乏だなー」と思った。一方'99年のリメイクはPVみたいで、それこそ「極楽のよう」に見えた。で、音楽はカエターノ。これはどうなんだ。ブラジル映画だからいいのかな。
■秋山奈々写真集、まだだと思ってたらもう売ってた。買った。ジャケはこないだ貼ったから、付属のトレカを。この写真が一番、巨に見える。
たたずまいが愛らしい。なんだか、ちょこんとしてる。線が丸い。しかも固い。まさに俺の得意とする領域。加えて、揺らぎがある。あきらはちょこんとしながら、ビッとしてた。顔の作りも不思議。謎がある。まさに俺の弱い部分を突く。そんな秋山奈々の魅力がしっかり写ってる。ページ数は普通なのに、見てて「あれ? もう終わり」って感じがした。表情のバリエーションが豊かだから、逆に枚数が少なく見えるという贅沢な不満。
いわゆる「ファンならマスト」だが、難を言うなら実用的な決めショットに欠けることか。特に胸部の肌の質感にしっかり迫って欲しかったんだが。
■スピリッツは巻頭が堀北真希、巻末がソニンという俺的に豪華すぎるラインナップ。堀北さんはなんか顔違う感じするんだけど、カメラマンのせいか? 古くは原田知世から、最近は上戸彩まで、みんなある時期にマジックを失っちゃうんだが、堀北さんは大丈夫なのか?
■週刊プレイボーイに吉野紗香。素敵な大人の顔をしてらっしゃる。横乳も素晴らしすぎ。4月発売の写真集も楽しみ。
巻頭は紗綾。写真はいいんだけどね。事務所変わらないと異端のグラビアアイドルのまま普通に年食うだけと思うな。オタ相手の商売に満足してないのはわかるけど、舞台裏見せたところで逆効果にしかならんだろう。
■柏木ハルコ傑作短編集『愛・水族館』読んだ。性愛絡みで、ちょっと変で、なんかリアルで楽しい。『梅沢かりん(32)の場合』のセリフのやり取りに笑った。
『コジューツ』1巻は面白いのは面白いんだけど、こういうの柏木ハルコがやんなくてもいいのにな、と思ったりも。本人が乗って描いてるんならいいんだけど休載目立つし、編集側の意向なのかと邪推したりして。
・鬼虫→コジューツ
・つゆダク→ハクバノ王子様
・ルサンチマン→ボーイズ・オン・ザ・ラン
ちょっと前と比べるとスピリッツ凄い普通になったというか、個性殺してるように思えるんだが。
■digi+KISHIN ソニン買った。DVDの方。予想以上にKISHINの部分が邪魔だ。ビデオなのにスチルを見せられる。ならば本の方がいい。ビデオの合間にスチルが割り込む構成というか、スチルの間をビデオが繋いでるのだが、スチルとビデオの中間として、コマ落としとスローモーション、逆に早送りを多用してて、普通に動くソニンはなかなか見せてもらえない。アイドルビデオとしては最低のデキ。作品としてもなかなかしんどい。でもこれしかないんだもん。選択肢が複数あればこんなの買わないのに。篠山紀信でなきゃなかなかノーブラで走ったりしてくれないだろうから、揺れだけがこのDVDの救い。
■買おうと思ってたサンワサプライのCPU切り替え器が、中古でえらく安く買えた。これ。G5買ってもOS 9起動はできないんで、今のG4を併用することになる。これがあればモニターとキーボードは1セットで済む。はず。今現在デスクトップが1台しかないから試せない。なんで切り替えるだけのものが2万円もするのか謎だったが、単純に切り替えるとUSB機器を引っこ抜いたことになるからエミュレーション機能とかいるらしい。でも高い。いや、安かったんだけど。
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