■山崎浩一『雑誌のカタチ―編集者とデザイナーがつくった夢』読んだ。これはオモロい。エディトリアル・デザインの話となると読者が限られそうなもんだが、なかなかどうして間口が広い。雑誌に興味があれば誰でも楽しめるんじゃないかと。モノクロながら図版が結構入ってるのもいい。
扱ってるのは、POPEYE、少年マガジン、ぴあ、週刊文春、ワンダーランド、婦人公論、小学館の学年誌、クイックジャパン。現場の「雑誌のカタチ」に対する取り組みを紹介してる。
キャッチは「雑誌が時代を先導し扇動できたのはなぜか?」で、これがテーマになってるが、それにばっかこだわってるわけじゃない。アマゾンの商品説明には小難しいこと書いてあるけど、実際はあんまり論じてなくて、むしろそこがいい。
ウチの親とかですね、息子(俺)が何をやってるのか理解できないんですね。デザインっていうとまず服飾が頭に浮かぶ。次に工業製品。紙のデザインの意味がわからない。「この雑誌やった」と言うと、美術関係だからイラストを描いたのかと考える。でも描いてない。絵も文章も書いてなくて、写真も撮ってないなら、あと何の仕事があるのかと。そんなウチの親でも、これ読めば理解できるのではないかと。まあ、読まないけど。
■安田理央・雨宮まみ『エロの敵 今、アダルトメディアに起こりつつあること』読んだ。面白い。凄い。出て欲しかった本が、理想的な内容で出た。
比べて良い悪いって言うのはアレだけど、ササキバラゴウ『〈美少女〉の現代史』読んだとき、史観はいいから、まず歴史そのものをちゃんとまとめてくれんかと思った。その点『エロの敵』はしっかり資料になってて良かった。巻末に年表もあるしね。
エロ本を扱った第1章は、もともとそれなりに思い入れがあるから非常に面白かった。
けどAVの2章になると「ああ、俺は熱心なAV消費者じゃないなあ」みたいな。3章のネットなんかは、有料コンテンツ利用したこと1回しかないし、ファイル共有もやってないし、携帯サイト見ないしで、結構遠い話になる。知らない話が増える分、勉強にはなる。
エロ本のモノクロ記事を喜んでたのは一部の人間で、多くの人には邪魔だったってのは当然の話だろう。俺は喜んでた方だから、なくなって寂しいけども。俺にしたって、雑誌は雑多なものという前提があって、実際に面白い記事があったから良かったんで、記事がつまらなければ単に邪魔だった。
一方で、ただやってるだけのAVじゃ面白くない的なニュアンスが気になった。個人的に、AVに面白さを求めてないから。雑誌ならエロとそれ以外は別のコンテンツだが、AVの場合エロの中に面白さが混じってくる。これは邪魔。「ただやってるだけじゃエロくない」ならわかるが。
エロマンガでも「エロだけじゃないから偉い」みたいな評価のしかたが嫌いだ。もちろん、エロ以外の表現が優れているマンガが、エロのジャンルで発表されることがあるだろう。当然そういうのもあっていい。でも、エロだけじゃないから、エロだけのマンガより偉いっていうのは、エロをバカにしてる。基本的にエロは、いかにエロいかで評価されるべきだと思う。
なんかハードディスクに大量の画像があるんだけど、ほとんどが水着なりコスプレなりの着衣であって、裸の画像は少ないんすね。裸は動画で見るものってアタマがある。そんで動画にしたって、アイドルのビデオを好んで見るタチだし。
裸がレアだった若い頃はエロ本が主要なメディアだったが、AVの発展とエロの開放とともに年食って、ネット始める頃には過激さよりも、制約の中のエロに興味がいったからか。うわーネットにはモロが落ちてるなあと思いながら、あんまり拾わなかったな。
飽食しちゃってるんで、最近はAV借りても使わずに返したりすることも多い。美人のが凄い見えてても、そんなに大したことなくって、ピンポイントのツボを突いてくれるかが問題。
■海野和男『昆虫の世界へようこそ』
虫を撮り続けてるこの人ならではの文章。カラー写真も入ってる。
コノハムシのオスはメスよりも葉に似ていない。しかしメスは飛べないのにオスは飛ぶことができる。コノハムシの場合はオスに飛翔能力があることで、広範囲に遺伝子交換ができるのだろう。けれどコノハムシはメス単独でも卵を産み増えることができるという。ここまで葉に似て、これ以上変化する必要がないとするならば、オスは不要ともいえるようにも思う。このことは見事な枝への類似を見せるナナフシでも同様だ。ナナフシではオスがほとんど発見されていない種類まであるのだ。
メスは葉っぱに似てて安全。オスは危険を冒して遺伝子交換に動き回る。けど基本的にオスいらない。オス、カワイソス。他の生物もこんな感じか。アンコウみたいなのがいいな俺は。
■保坂俊司『宗教の経済思想』
これも面白かった。近代社会の発展には商業の発展が必要で、商業の発展には商業を肯定する宗教が必要。商業の発展にともなって商業を肯定する宗教が発展した。各宗教の経済観がどんなふうか紹介してる。
大乗仏教の特徴に、在家主義、つまり世俗の生活を行いつつ仏教的な修行を行うことが可能である、というより日常生活こそ真の仏教修行の道である、という極めて現実主義的な思想がある。これはキリスト教世界におけるルターやカルヴァンの思想を一五〇〇年以上も先取りした思想ということができる。(P.131)
とか
<…>筆者は仏教の救済(悟り)を住宅所得になぞらえて、ローン返済型宗教と呼んでいる。家(悟り:往生)を我が物とするために、一心にローン返済のために働くサラリーマンのようなものである。
一方、ユダヤ・キリスト・イスラームのような救済宗教では、神がいずれこの家をあげるからそれまで家賃(信仰や義務)を払いなさい、とて入居時に契約してくれる、いわば「棚ボタ」型の救済構造である。だから、契約を信じ神の愛にすがって家が持てるまで家賃を払い続けるわけである。しかし、この家賃と神が最終的に家を下さることとは、直接的な関係はないというのがキリスト教の考えである。そして、契約を実行すれば、もらえるとするのがイスラームである。その中間に、カルヴァンの思想がある。つまり、神はあらかじめ誰にあげるか決めておられるが、それは秘密である。しかし、一生懸命家賃を払っているとなんとなく分かる、という具合である。
また、初めから持ち家を持っている、すなわち救済というようなことを考えない宗教もある。神道である。神道では、初めから持ち家であり、ローンを組んだり、家賃を払う必要は無い。しかし、家を維持するためには、努力が必要であり、その努力がいわゆる祭りなどの神事である、と考えている。(P.153)
みたいなことが、いろいろ具体的に書いてある。
締めが松下幸之助。
<…>結局松下は、特定の宗教を持たなかったのであるが、しかし、宗教の重要性を彼は終生説き続けた。
その後、彼は「企業もまた宗教のような意義のある組織になれば、人々はもっと満たされ、もっと働くようになる」と考えるようになった。(P.206)
もっと働くようになる……。
彼は自ら若者の技術習得のための機関を設立し、その学生に向かって「諸君は松下電器のために働いているのではない。自分自身と公衆のために働いているのだ」と訓示している。彼の仕事への姿勢がよく分かる一文である。しかも「販売は重要且つ高貴な職業である」として、職業の公共性や倫理性を持つことを教え、さらにその職業の聖化、つまりルターらの召命思想に通じる精神を教え込んだ。
このような松下の経済倫理思想は、組織の末端にまで行き渡り、戦争を挟んで急激に発展する。そして一九五六年に彼は、売上四倍増の目標を立てる。しかし、それは「名声や儲けを求めるためのものではなく、あくまでも、製造業者が社会に対して負っていると私が信じる使命を達成する手段である」ということであった。
もちろん一歩間違えば、宗教的な情熱で利益を稼ぎ出そうとする、理論のすり替えにもなりかねないものであるが、松下の信念は、この目標に向かい終生ぶれることはなかったようである。(P.207)
昨今の儲かりゃいい的な風潮に対置させて、松下には倫理観があったという扱いだろうけど「一歩間違えば」が怖いっす。
全体通して思うのは、昔からみなさん「儲かりゃいい」とは思わないんだなということで。自分のやってることがおかしかったり、社会的に認められないのは耐え難いというか、少なくともイヤなんだなと。いくら儲かってても。俺も「儲かりゃいい」とは思わんが、みんながホントにそうなのかね。
アムウェイなんかも「みんなが幸せになる」的なことを言うし、その方が「もっと働くようになる」んだろうしな。
あとセン経済学と二宮尊徳の話も興味深かった。
『タイアップの歌謡史』
書籍 | 音楽
■速水健朗『タイアップの歌謡史』読んだ。
仕掛けられた流行に大衆が乗っていく様子が、イメージとしてアタマに浮かぶんだけど、それに対する印象が、昔の話と今の話で違う。昔の話はダイナミックに感じる。最近の話はバカみたいに見える。
昔は実際、時代がダイナミック動いてたんだろう。知らない過去は美化したくなるってのもある。流行の仕掛けも受容も、好意的に受け止められる。
'80年代、広告ブームとかあって、受け手のクセに送り手側のスタンスで(あるいは、さらにその上に立って)仕掛け方自体を「あれはいいよね」とか言ったりする風潮があった。'80年に俺は高1。分かったようなこと言いたがる時期が、調度このイヤな時代に重なった。'80年代は小賢しく、全然ダイナミックじゃない。今思えば恥ずかしい。
'90年代を過ぎてもまだ、踊らされてるヤツ、踊らせようとしてるヤツは、バカにしか見えない。例えば『あるある』自体がバカみたいだし、納豆を買いに走るヤツもバカみたい。音楽のタイアップも同様。
たまたま自分がそういう世代だから、そう思うのかもなと思った。
みんなが同じ曲を楽しめて、時代の曲として共有できればいいと思うんだけど、とっくにそうはいかなくなっていて。紅白も、俺が学生の頃にはもう、親の聴く曲と自分たちの聴く曲に断絶があって。っていうか紅白自体がダサくなってて。さらに今となっては、年長者向け、若者向け、両方ともに馴染みがなくて、ほとんど全部が等価に知らない音楽で。だからかえって、たまに聴くには面白いなと思ったりで。これは不幸なことだと思っていて。
家さえ飛び出なければ、今ごろみんな揃って、おめでとうが言えたのに、どこで間違えたのか。
タイアップ自体は別にいいんだけど、踊らされるのは単純に面白くない。「俺が、この曲を気に入った」っていう主体性を主観的に維持したい。最近のタイアップは周到なクセに、その辺デリカシーがないように感じる。これも俺が年食ったからかもしれんが。
洋楽の国内盤をあんまり買いたくないのは、まず高いからだけど、背広の匂いがするからってのも大きい。日本先行発売とか、日本盤だけのボーナストラック収録とか、オビに書いてあると商売っけを感じてげんなりする。
俺は作者にお金を払いたいんであって、背広の人を儲けさせたくはない。
アニソンは露骨で、'90年代から変なポップスになってしまった。
鉄人28号のテーマには「グリコ・グリコ・グーリーコー」と思いっきりスポンサー名が歌い込まれてるが、こういうのはわかりやすくていい。そこを除けばアニメのテーマ以外の何物でもないんで。
あと、探す人・探さない人ってのもある。探さない人は、目に入る、耳に入るものの中から気に入ったものを選ぶ。テレビの影響は大きい。探す人は、自分から見付けに行く。テレビ関係なくなってくる。
探す人が偉いのかっつーと、そんなことない。何にリソース割くかはその人の勝手だから。面白い曲探すヒマがあったら、他のことすればいいとも言えるんで。
これに関しては言いたいことが山ほどあるけど、長くなるし考えもまとまってないからこの辺で。
読んでていろいろ考えちゃって、面白かった。
■また東伏見だ。2回目の失踪って自宅(保谷)のすぐ近所なのな。計画的じゃないからなんだろうけど、見つからないものなんだなあ。
冒頭のマンガで「てかこれ『失踪日記』の便乗本じゃないのっ」「皆さん この本買わなくていいです! 漫画だけ 立ち読みして ください」って書いてるのがおかしい。
つーことで漫画は前後にちょっとだけで、あとはインタビュー。絵、上手くなってる。
■斎藤英喜『読み替えられた日本神話』、面白かった。
記紀の成立から始まって、中世(これがメインっぽい)、近世の古神道、国家神道、戦後の研究、そんで現代まで。日本神話がその時々にどう解釈され、どう利用されたを書いてる。
神話の利用って言うと、学校じゃ天孫降臨とか、政治の道具として使われたってことばっかり教わったが、この本はわりと逆。思考のツールとしてどう使われたかを書いてる。
ざっくり俯瞰する形式が、いかにも新書でいい。最後の方の『もののけ姫』と『ナウシカ』の比較も、通り一遍じゃなく面白かった。
■アスペクトから出たYMO本『イエローマジックオーケストラ』。インタビュワーが流石に濃い。羽良多平吉の装丁も濃い。っていうか薄い。白にエンボスだから書影がなんだかわからない。
■パンシャーヌは誰に向けてどうするつもりなんだろう。俺は観るが。
■毎日病院行かなきゃいけないんで、11時半に寝て、7時半に起きる規則正しい生活をしとります。
べろべろになった手は、「こんなんどうやって治るんだろう」と思ってたが、フィルムを逆回しするみたいに治ってきた。人間、凄え。一応マウスも使えるようになって、仕事もしてる。
ただ親指は表裏全周やられてるんで治りが遅い。植皮する必要があるとのこと。んで、親指に包帯してるとマウスを持ち上げるとき滑るから、長距離のドラッグができない。
身体の方は思ったより悪かった。結構な範囲に植皮がいるっぽい。
包帯してる限り痛みはなかったのに、一度ゲーベンという塗り薬に替えた日に、凄く痛くなった。翌日もとの薬に戻してもらったらおさまったものの、その後も微妙に痛みが続いてる。検索してみると、ゲーベンは火傷治療に普通に使うものらしいんだが、こいつに凄く悪いことされた感じがする。
検索でこんなん出てきた。
私の観察では,ゲーベンクリームを使っている限り,皮膚の再生は起こらないし,むしろ創は深くなる。つまり,ゲーベンは3度熱傷を人工的に作ってしまう。
あー。けどまあ、ここでゲーベンの名が出てるのは代表的な薬だからで、ゲーベンだけが悪いと言ってるんじゃないんだろうな。
上に登ってみると『新しい創傷治療 「消毒とガーゼ」の撲滅を目指して』。というサイトだった。知識がまるでないから、どのくらいどうなのかわからんが興味深かった。創傷治癒の基礎知識から読むと、主旨がわかりやすい。
医療も色々ですなあ。
■カルロス・カラード『トロピカリア』
トロピカリズモがどういうものだったかわかった。ブラジルローカルの問題で、よその国の人間はあんまり気にしなくていいかも、と思った。
俺のベッドは8階の窓際で見晴らしが良く、殊に夕方の空はなかなかだった。なんとなくカエターノ&ガル『ドミンゴ』が合う感じで、よく聴いていた。
あと毎朝おはスタ観てたから、月島きらりが退院後もずっと脳内で歌っている。
■しほの涼写真集『卒業』
大村くんにいただきました。ありがとうございました。しほの涼も仲村みうも中学卒業したけど、本人に魅力があれば残るだろうし、むしろ活動しやすいのかもしれない。
こないだ多田瑞穂のJC最終作『Feel Deep』の一部を拾ったが、大変に、あからさまにエロかった。ここまでエロくなるならJKでもいいや、みたいな。U-15っていう括りの意味も薄れた気がする。
■パトリック・マシアス『オタク・イン・USA』
山川さんにいただきました。ありがとうございました。日本人に生まれて良かった、かも。町山智浩『USAカニバケツ』も。『パラダイス・ロスト』怖え。
■西原理恵子『できるかな クアトロ』
ほんとにもう何がなんだか。
■中山 元『フーコー入門』
わかったような、わからんような。
■古事記
梅原 猛による現代語訳。人間(神)は見た目が大事。
■カート・ヴォネガット『スラップスティック』
20年ぶりの再読。
■私屋カヲル『こどものじかん』4巻
通常版購入。ジャケ綺麗ですな。ぱっと見、どうなってるのかわからんけど。
ラーメン屋で読んでて、白ちゃんのエピソードで泣きそうになってヤバかった。
宝院先生の活躍は嬉しいが、ちょっとキャッチーすぎるような。もっと、とぼけて、さりげなく、それでいてエロく、お願いしたい。
■杉田昭栄『カラス なぜ遊ぶ』
すべり台で遊ぶとか、人間の顔を覚えて復讐するとか。
脳化指数というのがあって、これがそのままアタマの良さとは言えないそうだが、カラスは0.16で、イヌの0.14、ネコの0.12に勝ってる。スズメは0.12、ハトは0.04。
人間は0.89、イルカ0.64、チンパンジー0.30だそうで、イルカ凄え。
寿命の話がカラスと関係なく興味深かった。
それではカラスの寿命はどれくらいなのでしょうか。一応科学的に考えるとすれば二通りの考えがあります。
ひとつは繁殖期に達する年限の約一〇倍というのが動物園などの動物飼育者や動物学者の見方です。〈略〉
もう一つは心拍数から算出する方法です。本川達雄著『ゾウの時間 ネズミの時間』によれば、動物の一生の心拍数はおよそ二〇憶回と計算されています。
人間が12歳で成熟するとすれば、寿命は120歳。まあ、人間は成熟が遅い生物だから当てはまらないんだろうな。心拍数を70として54年?
■平山 廉『カメのきた道―甲羅に秘められた2億年の生命進化』読んだ。主に化石の話。一般向けとは言え、構造の話とかはややこしい。
<略>体重が同じ場合、哺乳類は恐竜もふくめた爬虫類の一〇倍以上の大きさの脳を持つと結論できる。
<略>
恒温動物は変温動物に比べるとはるかに多量(体重が同じなら一〇倍以上)の食物を摂取する必要があり、したがって爬虫類よりはるかに多くの外的情報を脳に入力・処理せねばならない。より多くの食物を摂取せねばならない恒温動物が、変温動物より多くの学習能力、したがってより大きくて複雑な脳をもつのは、むしろ当然のことである。また哺乳類の高度に組織化された脳は、安定した高い体温という環境(恒温性)がないと正常に機能しない仕組みにもなっている。私たちが、風邪などを引いて、ごくわずかの体温変化でたちまち体調を崩すことから実感できるように、恒温動物にとって恒温性を維持することは生存に不可欠な条件である。<略>
変温動物の脳が恒温動物に比べると小さく、学習能力も低いのは事実であるが、これは生きるのに必要なエネルギー、そして知能を「節約」していると言い換えることもできる。<略>カメは一度食いだめをすれば、1ヶ月程度の絶食はごく当たり前のようにやり過ごせるが、ほとんどの哺乳類は毎日のように食事をしないと健康に生きることができない。<略>
<略>
人間など高等な霊長類の脳は、哺乳類の中でもとりわけ大きいが、これは彼らが群れをつくり、高度に組織化された社会生活を営むことを反映している。群れの中には些細な個体差を反映した厳密な順位や序列があり、それぞれのメンバーは自分や相手の地位、力関係をいちいちわきまえたうえで行動せねばならない。さもなければ群れから放り出されてしまいかねない。極論するなら、相手の顔色をうかがったり、「空気を読む」ためにこそ霊長類の学習能力は発達してきたと言うことになる。その終着点が言語をもつようになった現代人なのだが、まさにカメとは対極の位置にある。
この辺は文系受けする。あとオサガメの話はおもろかった。
リクガメは日本じゃ南の方にしかいないから、身近な感じがしないせいか、生き物としてあんまりいい設計じゃない印象があったが、人間さえいなきゃうまくやっていけるらしい。
■島田裕巳『日本の10大新宗教』
いい塩梅にまとまってる。
こういうの、読んだ端から忘れちゃうんで、いっぺんノート付けるとかしないとダメだな。
■橋本 治『日本の行く道』
今の世の中がおかしいなら、間違う前に戻ってやり直せばいい。具体的には'60年代前半。まず高層ビルを壊そう。むちゃくちゃなことを言ってるが、むちゃにも理がある。そんな内容。他の本でも家内制手工業に戻ればいいって書いてたが、その詳細的な。
■水兵きき『おまかせ! さやなのもえろ部』1巻
脳内完結でちまちまやってる感じに乗ってけない。この人のマンガってこんなだっけ? と『みかにハラスメント』(→感想)読み返したら、やっぱ『みかに』の方が全然面白い。この違い、人によっては気にならないのかもしれんが、俺的には凄い差がある。たまたま『もえろ部』がアウトなのか、たまたま『みかに』が大ヒットなのか。今後も注目しといた方がいいのかどうなのか。
■あと『栞と紙魚子』のドラマちょっと見た。うお! このサイト、諸星大二郎のコメント動画あるじゃん! “諸星大二郎の世界”んとこ。つーか、なんで俺はこんな映像で喜んでるんだ?
意外とドラマ向きの原作だなと思った。ドラマの方がキャラがマンガっぽい。紙魚子は結構好み。AKB48なんだな。メガネかけてないとダメだな。
■安原 伸『安原製作所回顧録』読んだ。
'97年から’04年まで存在した、世界最小のカメラメーカー、安原製作所の回顧録。特異な成り立ちは面白いし、フィルムカメラ終焉の記録にもなってる。
安原製作所の1号機・安原一式が発表された'98年は、何年も続いた中古カメラブームのただ中だった。カメラの進歩は行くとこまで行っちゃって、最新一眼レフは合理的だけど、気分的にはレンジファインダーもいいよねみたいな懐古があった。リコーGRなどの高級コンパクトのレンズがLマウント(旧式ライカのレンズマウント)で発売されたり、安価なロシア製ライカコピーが面白がられたりしてた。
安原一式はLマウントの実用機として登場した。金属製機械式レンジファインダーカメラ。メインストリームから見れば完全に時代に逆行しているが、趣味的にはトレンドを捉えていた。赤瀬川さんは「新品の中古カメラ」と呼んだ。35ミリレンジファインダーは高価なライカしかなかったが、安原一式なら5万5000円。ライカレンズを付ければ、写りはライカと同じ。クラシックカメラは安いのもあるけど、リスクがある。一式は新品が手に入り、メーカーサポートも受けられる。TTL測光の露出計も付いてる。機械式カメラを新規に日本で作ると高くなるが、製造を中国の工場に依頼することで安くした。今ならありそうな話だが、10年前にこんなことする人はいなかった。一人で設計、開発過程はホームページ上で発表。店頭には置かず直販のみ。ネーミングも妙だし、何かと珍しかった。
後にコシナがベッサシリーズでこのジャンルに参入してくる。大きなメーカーがライバルとなるとキツい。サイトにコシナに対する文句が書いてあることもあった。

一式のユーザーだったんで、個人的回顧を。上の写真は届いた日に撮ったもの。ゆうパックの箱が元箱。
'97年末にサイバーショット初代機、DSC-F1を買った。カメラには興味がなかったけど、電子機器としてのデジカメは面白かった。けど、新製品のカタログ見ても、電子部分はわかるがカメラ部分のスペックが理解できない。そもそも絞りとシャッタースピードの関係すら知らない。基本を知らないまま、どんどん便利になっちゃっていいのか?
とか思ってたときに、たまたま読んだ赤瀬川原平『ちょっと触っていいですか―中古カメラのススメ』で古いカメラに興味を持った。今後デジタルに移行するだろうから、電子化が進んだフィルムカメラは中途半端な存在に思えた。どうせ買うならマニュアルフォーカスの方が魅力的。
当時はまだニコンF3などのフラッグシップと、FM2などの普及機が新品で買えたけど、ロングセラーで生き残ってるだけ。俺の世代のカメラじゃない。欲しい種類のカメラは、もう新製品が出ない。
そう思ってたのに出ちゃった一式は魅力的だった。受付開始後すぐに予約して、'99年6月にようやく届いた。
中国製だけあって、作りは雑だった。表面の梨地の荒さがボディーの左右で違ってた。セルフタイマーが真っ直ぐ上を向かなかった。シャッターの具合がおかしくなって1度修理に出した。その後も快調とは言えなかった。ライカではファインダーの見えの良さが語られるが、一式のはレンズシャッターの普及機と同等以下。明るいところだと露出計が見にくかった。そんなんでも世界最小のカメラメーカーが作ってると思えば納得できた。
'04年、安原製作所のサイトに業務終了のお知らせが出た。うろ覚えだが、デジタルの進歩が予想以上に速かったから、とか書いてあった。お知らせ自体は事務的で、ユーザーに対するまともな挨拶はなく、会社畳むにあたって一句詠んであった。この一句がカチンと来たんだよなあ。会社なくなるってことはサポートが受けられなくなるってことで。「実用機」だから一式を買ったのに、話が違う。修理を必要とする精度なのに、とっととつぶれてもらっちゃ困る。俺はともかく手にしてから時間が経ってない人もいるだろう。会社畳む側はそれどころじゃなく大変かもしれんが、俳句なんか書いちゃって「やるこたやったよ、すがすがしいね」的気分を出されても。安原製作所は「頑固オヤジの店」みたいだった。客の側には「面白いヤツが面白いこと始めたな。いっちょ乗ってくか」的なとこがあったと思う。なのに「俺が勝手に始めて、勝手に終わる」って態度に出られちゃしょんぼりだ。物を買うときは1票投じるつもりでいるんで、この本に書いてある「メーカーを支える気持ち」もあったんだが、メーカーの方でユーザーに対する義理を欠いてるんじゃないか。一式は壊れる前に売った。
そんなんで安原製作所をあまり良く思ってないんだが、2号機・秋月の失敗の下りを読んで、まあしゃあないかと思った。秋月はアンラッキーだが、一式はラッキーが重なって出たとこもあるんだな。
■速水健朗『自分探しが止まらない』読んだ。
肯定的にせよ否定的にせよ、自分探しに興味がある人にはいい本だなと思った。
扱う範囲が広くて面白かったけど、読み進めるうちに、要点を箇条書きでまとめるとあっさりしたものになるなと思った。箇条書きの裏付けとして文章量がいるわけだが、あらかじめ自分探しに距離を置いてると、そこまで丁寧じゃなくてもわかるというか。
現状とそれに至る過程がさっくりきっちりまとまってて、新書だからこれで正しいんだろうけど、ちょっともの足りなさもある。
「著者はマスコミ関係じゃん」ってのが、読んでてずっと気になってた。これに関してはあとがきで納得。著者がモロに自分探し世代なら、個人的な話をもっとしてほしかったと思うのは俺だけなのかな。
そういえば前に響鬼の感想でこんなの書いた。“30話以降”というのはこれのこと。もっちーがボランティア始めちゃってうんざりしたのも30話以降だったなあ。
■特撮ついでに、今週のハニー The Liveはよかったっすね。
ゴーオンジャーは「産・業・革命〜!」に笑ったけど、ノリが合わないので見なくなりそう。
■オリジナルテープを編集して人に無理くり聴かせてキモがられたりがウェブで簡単にできるMuxtape。今んとこMP3のみで、m4aとかはダメなのと、重くて繋がらないことがあるのは要注意だが、あとは説明いらず。
んで、作ってみた。40分だけ付き合ってくれたまえ。バックグラウンドで鳴らしといてくれたまえ。みんなもブラジル音楽を聴けばいいじゃない!
■山本 弘『“環境問題のウソ”のウソ』飛ばし読み。買わずに立ち読みで済ませばよかった。『環境問題のウソ』(俺は読んでない)がいい加減だということはわかったが、くどくどくどくど重箱の隅をつつくような文章が厭らしくて不快。まるで2ちゃんでやってる議論のための議論。表紙も酷いね。
■ハニー THE LIVEはよかったですね。原幹恵が意外とハマリ役だった。水崎綾女はこれでファンになった。
辛酸なめ子が出てた『くちこみジョニー!』も終わったし、今期のスゥーパァ〜〜ヒィロォタァイムは脱落しましたので『やりすぎコージー』以外もう見るものないな。福満しげゆきの原作も使う『週刊 真木よう子』は見てみようかな。
■池松江美『男性不信』
主人公は“虫酸ラン子”、オビには「辛酸なめ子の半自伝的小説」とある。生い立ちやら過去のセクハラ体験やら、生々しいようで、すっとぼけていて、肩すかし感もあり。
同世代にはモテないが、おっさんには大人しく純情で言うこと聞きそうに見られてモテるそうだ。俺はおっさんでありアイドルとしてのなめ子さんのファンだが、そんな風には見てないなあ。まあ、おっさんの時点でダメなんだが。
■今井和也『中学生の満州敗戦日記』(岩波ジュニア新書)、松原一枝『幻の大連』(新潮新書)。
満州回顧もの新書。広告業界人がジュニア向けに書いたものと、作家が一般向けに書いたもの。結構テイストが違う。単純に比べられんが、『幻の大連』の方がおもろかった。
■『実践Web Standards Design』。ウェブもできるようにならんとな、ということで、評判良さげなのを購入。いままでHTMLはよくわからんまま行き当たりばったりにやってたが、見通し良くなった。
■『入門DTP演習 INDESIGN CS3』。未だにOS 9ベースで仕事してるがInDesignもやっとかんとな、ということで購入。この本自体の制作過程を教材にしてるんで実際的。これと別に網羅的な本も必要になるけど、リファレンスやケースバイケースのマニュアルだけじゃ実作業の進め方はわからない。
これも良い本だった。もうInDesignいけるよ。そうなると9ベースで仕事するのはヤになるが、やらざるをえず。
■リファで気付いたんだがBlog-Headlineとかいうとこで、前書いたエントリーが投票対象になってた。ここに“ノーマル : 刀狩りにあった”がある。上に登るとこんなサイトだった。
商用サイトでスタッフの選択のもと、Good/Bad2択の投票対象にされてんのは、なんか釈然とせん部分があるなあ。
■雨宮昭一『占領と改革』読んだ。
戦後民主教育にどっぷり浸かって育ったのだが、あとになって思えば俺らの思考はGHQの思惑どおりに作られてんじゃないか。軍部だけが悪いってことになって、民主主義の主権者であるはずの国民と、逆に頂点の天皇は免罪されて、責任を取り損ねた。「戦争はイケナイ、上の人間が暴走してやったことで庶民は常に被害者だ」と考えるようになった。
庶民って言葉は使わなくなったけど未だに「お上VS庶民」の構造はあって、庶民はお上に文句言ってればいいと思ってて主権者の自覚を持たない。
GHQの思惑どおりじゃなさげなとこは、戦後民主教育が左なこと。片っぽではアメリカ文化にしっぽり染まったが、片っぽで反米もある。そのへんがわからない。
なんにせよ自分のベースには、戦後処理が大きくかかわってる気がする。
そういうことで買ったんだが、この本の主旨は、これまでの占領政策の評価に対する反論だった。日本はアメリカの占領で民主化・近代化されて良かった、ということになってるが、そういう評価はどうなんだと。日本の民主化はホントにアメリカのおかげか、アメリカがいなくても近代化できたんじゃないかと。
そもそも占領政策そのものをよく知らないので、そっから先の話をされてもわからない。
わからないが、この本の視点にはヒリヒリ来るものがある。例えばこれ。
<…>アメリカ政府ではアメリカが中心となって日本を占領し、ソ連とイギリスと中国で分割統治をするという案を考えていた(五百旗頭真『米国の日本占領政策』下)。しかし、この五百旗頭の議論もそうだが、敗戦が早まって分割されなかったのは非常にラッキー(幸運)だったと強調されることが多い。しかしラッキーだったという視点でよいのか。それよりも、もし分割された場合には、異なった展開が考えられて、必ずしも悲惨な状況というばかりではないあり方があったのではないか。(P.22)
歴史が好きな人って、人物が好きな印象がある。誰が、どう考えて、どうなったか、キャラ寄りで考えてる感じがする。この手の、誰かの意志が歴史をドライブする「意志ドリブン」みたいなのには違和感がある。フィクションでもそうで、かわぐちかいじ『ジパング』に全然のってけないのも、人物優先・意志ドリブン史観だから。自分のことも自分でわかんなくて意志どおりには動かないものなのに、政治みたいなデカいとこでそんな単純にことが進むんだろうか。権力者が歴史に大きな影響を与えるのは当たり前にしても、そのうしろには民衆やら周囲の状況やら、いろんなファクターがあるはずだ。上で引用した文章には、いろんなファクターといろんな可能性が折り込まれてる。「分割統治されてたらされてたで、違う未来があったんじゃないの?」なんて、なかなか言えない。でも、そういうもんだと思う。だもんで、視点に信頼がおけるこの本は、入門書として読んでも面白かった。
読んだはじから忘れちゃうんで、これからはノートを取ることにする。
<…>農村と都市、ジェンダー等々を含めたさまざまな格差と不平等は、一九三〇年代以降も存在した。とくに一九二九年から始まる世界大恐慌の中では、この格差と不平等が緊急に解決すべき問題として出てくる。この問題の解決には三つの方法があったと考えられる。第一は社会運動による解決、第二は社会の中の支配層の進歩的な勢力と社会の中間層以下との連合による解決、第三は総力戦体制への参加による平等化と近代化、現代化による解決である。(P.3)
総力戦体制で平等になる。
'20〜’30年代の政治潮流
- 国防国家派:陸軍統制派、商工官僚、財閥。上からの軍需工業化で結果的に平等化、画一化
- 社会国民主義派:下からの平準化。東亜共同体
- 自由主義派:民間企業の自立。統制を望まない
- 反動派:陸軍皇道派、海軍艦隊派、観念右翼、地主。民主化で既得権を失った
上ふたつは総力戦体制で得をする。下ふたつは損をする。
右/左で言えば、社会国民主義派が左だが、国防国家派と利害が一致する。どちらも大きな政府指向。
社会国民主義派と国防国家派の連合は東条内閣の成立でピークを迎えるが、国内での総力戦化へのいっそうの進展と国外での軍事的敗退のはじまりによって、東条内閣の後半には、総力戦体制に否定的な反動派と自由主義派の連合が台頭した。四五年二月に出された「近衛上奏文」は、まさにこの反東条連合のマニュフェストであった。
近衛の主張の主旨は、現在政治をおこなっているグループは私有財産を侵し、家族制度を侵し、労働者の発言権を増大させているということに尽きる。<…>つまり、私有財産を侵すものに反対するということを通して、総力戦体制の根幹的な問題にふみこむものであった。
総力戦体制では現実に富を生みだし、労働する者が、相対的に地位を向上せざるをえないのである。したがって、従来の地主や資本家の思うがままの体制に対抗して労働者の福祉や保険の制度、地主の持ち前をいちじるしく削る食糧管理制度等々がつくられて、労働者や農民の経済的、社会的地位が向上した。それが、近衛上奏文の「労働者発言権ノ増大」という表現にあらわれている。
また家族制度を侵すというのは、総力戦・総動員体制の中で、女性労働力の社会への進出、女性の社会的地位の向上を意味した。(P.12)
好戦=右=資本主義、反戦=左=社会主義のイメージがあったが、そうでもないと。